果実の作法

マニマニ

果実の作法

 歯が繊維を裂く音、その果汁の甘さとともに口の中になだれ込む感覚、すでに何個かの果実を剥いていたこの手はその水分で白くふやけている。咀嚼は最初に食いついてからはほとんどなく、飲み込むように喉を通った。唇の端に飛び散った繊維質の残骸を舐めとる。熟しすぎた柿は皮を剥くまでもない。

「なに」

「いや」

辰哉はフォークで俺が剥いた柿を口に放り込む。口を動かす間もこちらに定めた視線は動かさない。居心地の悪さを感じながら四つ切りの柿にまた口をつける。顎に伝った果汁を手の甲で拭う。舐めとる。

昔ばあちゃんの家に大きな柿の木があった。秋になると金木犀の香りに混じって鳥が落とした甘い香りが漂っていたのを思い出す。熟すにつれて甘さは強くなり、腐り始めたことには気づかずに蟻が群がる落ちた実が黒ずんでいるのを見てようやく理解する。「爛熟した花の香り」は分からないが、腐敗が甘さに誤魔化されることはわかる。

じゅ、と音をたてて食べ終わると、やはり辰哉はこちらを見ていた。

「なんだよ」

「うん」

「答えになってねーよ」

「いや、野生だなあと思って」

「なにそれ」

がう、と汚れた手で虎の真似をする。辰哉が声を立てずに笑った。こいつはこういう時、とてつもなく優しい笑い方をする。本人が気づいているのかは知らないが、この素振りだけでくらっときてしまう人間は少なくはないだろう。辰哉が俺のことを心底愛しているわけではなくても、彼は少なくとも俺の言動に何か感じるものがあるなら嬉しい。


 辰哉は俺と寝るまで男に抱かれたことはないらしい。学生時代、専門のお店で女の子に尻をいじられたことはあるそうだが曰く「無だった」そうだ。それもそうだろう、この人はムードがないとダメな人だ。

「辰哉」

じりじりと腰を引く。狭い体内に無理に突き入れても彼は喜ばない。腰骨を掴んで前立腺を擦り上げるように抜けるぎりぎりまで引き上げる。毎度身構えた様子もなく、刺激を一身に受けて枕を抱き締めている。自分が人を抱く時はどうしてるんだろう、何か狙いを定めたりはするだろうに。頭のいい彼なら次に何が来るか想像して自分で追い込まれたりしていそうだが、そこまでの余裕すらなくなっているんだろうか。それはそれで興奮する。

 背骨に沿ってついた筋肉を手のひらで撫であげると辰哉が息を飲む。どんな顔をしているんだろう。慣れるまではバックにしているが、顔が見たくなる。荒い呼吸に合わせてうごめく体が愛おしい。紅潮したうなじに汗がしたたっている。引き締まった腹に腕を回すと俺の体で押さえ込まれたせいで肋骨が戦慄いているのがわかる。そのまま熟れた首に歯をたてて腰を押し込む。

「っく、ぅ……」

「くるしい?」

首が振られる。よかった、と耳に吹き込むと噛み締めた唇から力が抜けた。抱き締めて、好き勝手噛み付いて、慣れた頃合いを見計らって腰を揺らす。普段の余裕を文字通り突き崩す。彼にはムードが大切だ。惜しみなく求めていることを示し続けないといけない。

「ジュン、なあ、ジュン」

「なあに」

きゅ、と弱い力で髪を掴まれる。もっと近くへ来いってことだ。体重がかかるのも気にせずにピタリと体を合わせて耳を寄せる。鼓動が速いのがばれそうだと思う間もなく彼の心臓も早鐘を打っていることがわかった。

「もっとかんで」

蚊の鳴くような声だった。がう、とふざけて耳に噛み付くとあは

、なんて笑いながら如実に締まるのがわかる。ああそう、あんたそういう人なんだ。

それならあとはもう、動物に戻るだけ。


 シーツのあちこちに小さく血の痕が見える。切れたかと思って焦るものの、口の中にわずかに残る鉄の味にこれは俺のせいだと理解した。シーツから覗く肩口には歯形がいくつも付いているが、朝日の下で見るにはなかなか背徳感がある。夏が過ぎててよかった。こんなもの、あからさまに行為の後じゃないか。そっと触れるとちょうど犬歯の位置に瘡蓋になっているのがわかる。そんなに強く噛んだ記憶ないんだけどな。

「おはよ」

狸寝入りをしていたのか、俺に触れられて起きたのかは分からない。寝不足の目で瞬きを繰り返して辰哉はこちらに擦り寄る。普段はすかしてる癖に、こういう時だけやたらと甘えたがる。寂しがりなのにそれを自覚していないから俺みたいなのに捕まるんだ。そういうのを見抜いて、そういうところをかわいいと思ってしまう奴。

「野生だよな」

ぼそぼそと辰哉がつぶやく。何言ってんだと思いつつひとまず聞く姿勢をとる。

「髪が長いの」

毛先を指で弄んでいる。何かとこの人は髪を触る。女の子が好きだった時の名残かなあと少し身構えてしまう。

「毛が長くて、セックスの時は噛みまくるの」

「えー」

あんたのリクエストじゃん、とは口に出さない。

「野生じゃん。野生のでかい猫」

にゃん、と鳴き真似をしてやるとまた柔らかく笑った。卒なく鍛えられた腕がにゅっと伸びて乱れた髪を梳く。満足したらぱたりと首に落ちた。この人の方がよほど猫の気まぐれさがあるのにな。

「でかい猫っていうか虎というか……」

「なんでそんなに喩えたがんのよ」

「いや、食べられるの、興奮したからさ」

なんとなく想像していたことを恥じらいもせずに言われてしまうと、こちらが照れてしまう。

「また今度くだものをやらしく食べてあげるね」

ふは、と胸元で笑う。くすぐったい。

「よろしく頼むよ」

もうちょっと寝る、と彼はすっかり二度寝の体勢に入ってしまった。


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