第69話 【茉莉5】
好きな人を見つけるのは、昔から得意だった。
八月二日の今日も、わたしは瀬田西高校の誰よりも早く好きな人——ダイバのことを見つけたんだ。
「ダイバ! 本当に来てくれたの?」
嬉しくて、自分でもびっくりするくらい大きな声が出る。
「まあな」
ダイバは少し照れ臭そうに頬をかいて、右手をあげて答えてくれた。
「来てくれないかと思ってた」
「約束したしさ。それに……」
そこまで声に出して、ダイバは苦い表情を浮かべる。
「……この前の水族館のこと? それはもう忘れようよ」
わたしは無理やり笑顔を作る。
「忘れる、か。……そうだよな」
ダイバは久留島高校の校舎を眺めて、大きく息を吐いた。
「今日は全力で応援するよ」
ダイバの視線は校舎からわたしに移る。目が合うと、やっとダイバは笑顔を見せてくれた。
「うん。わたしも全力で頑張るね」
さっきとは違う、わたしの心の底からの笑顔がダイバの瞳に映っていてほしくて、恥ずかしいけど、じっとダイバのことを見つめる。
「茉莉ー!」
わたしもダイバも、どんな言葉を言えばいいか迷っていた時、遠くの方からメグの声が聞こえた。
「一年の試合もうそろそろ始まるよー! ……ってあれ? ダイちゃん?」
「メグ! 元気か?」
ダイバの視線がメグに移る。
「やっほー。すごく元気だよ。……応援に来てくれたの?」
「そうだぞ」
ダイバは胸を張る動作をしておどけた。メグはちらりとわたしを見て、うんうんと頷きながら笑っていた。
「写真撮ろうよ。みんなでさ」
メグはそう言うと、携帯を取り出した。
ダイバもわたしも、メグの構える携帯のレンズに映るように屈んでみたり、ピースをしてみたりする。
「ダイちゃん、もう少し茉莉の方に寄って」
メグの声に、ダイバが少しだけわたしの近くに寄る。
「はい、撮るよー!」
カシャ、という音が聞こえて、すかさずメグが撮れた写真を確認する。
「うん。いい感じ。後で二人に送るね」
「ありがとうメグ」
「いいよいいよ。せっかくダイちゃんが応援に来てくれたんだもん。その記念」
メグは携帯をポケットにしまって、わたしの方を見る。
「さ、本当はもっとダイちゃんとも話していたいだろうけど、一年の試合が始まるからもう行くよ」
「はーい」
「観客席は外階段から入れるところにあるみたいだから、ダイちゃんはそこに行ってみて」
メグが体育館の周りに据え付けられた鉄の外階段を指差した。
「わかった」
メグの指差す方を見て、ダイバが答える。
「——おい!」
と、遠くの方で鋭い声が聞こえた。
「お前、この前の瀬田西のやつだろ?」
声の主の背丈は栗原くんぐらいで、派手な柄のシャツをうまく着こなしているけど、どこか嫌な態度の男の人だった。その隣には、ダイバと同じくらいの背丈の、やたらと顔の整った人。
「よお。お前よく
その二人はゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。
「……あの二人は誰? ダイちゃんの友達?」
メグが眉をひそめながら言う。
「いや、友達じゃない」
ダイバははっきりとそう言い切った。
「なんか……あの二人怒ってる?」
メグの言葉に、どんどん近づいてくる二人の表情を見る。ダイバと同じくらいの背の人は嫌な笑みを浮かべていて、背の高い人は明らかに不機嫌そうな顔をしていた。
「ヤス、そいつがシノの?」
「そう。こいつが前にミキヤに話した、俺に舐めた態度取ってきたやつ」
その二人の名前はヤスとミキヤというらしい。
二人はある程度の距離を取って、時折こちらをちらちらと見ながら会話を続ける。
「へえ。こいつがねえ……」
ミキヤ、と呼ばれた人はダイバの全身を舐めるように見たあと、ふっ、と鼻で笑った。
「お前みたいな芋臭いやつがシノに近づくんじゃねえよ」
嫌な言葉、嫌な声だった。内容はもちろん、ミキヤという人の仕草も表情も、全てが嫌だった。
「誰かわからないけど、いきなり何?」
メグが冷たく言い返す。
「あー、驚かせてごめんね。いや、コイツがさ、俺の女に手を出したらしくてさあ」
ミキヤはカラカラと笑って、ダイバのことを指差す。
「え? ダイバ、他の女の人に手を出したって……本当?」
「手は出してねえよ」
本当なら、いきなり喧嘩をふっかけられたことを問題にするべきなんだろうけど、わたしの心は、そんな些細なことよりも重大な問題があると主張していた。
「……あれ? もしかして君、そいつの彼女さんかなんか? ならさ、君からもキツく言ってやってよ」
ミキヤは笑いながらそう言うと、わたしの方にゆっくりと近寄る。
「ちょっと、茉莉に近づくのはやめなよ」
メグがわたしを庇うようにしてミキヤの前に立ちはだかる。
「おっと、俺は女の子には変なことしないから。安心してよ」
「とにかく! 近づかないで!」
「はいはい。わかったってば」
ミキヤはそう言うと、肩をすくめるような動作をしながら、再びわたしたちと距離を取った。
「とにかくさ、俺たちは君らに用はないんだよね。用があるのは、そいつ」
もう一度、ミキヤがダイバを指差した。
「ヤスからあの話を聞いてからさ、一度くらいはコイツをボコっておかないとって思ってたんだよね。というわけで、君たちは解放してあげる。これから君たちの試合もあるんでしょ? 頑張ってね」
言葉の終わりに、ミキヤのウインクが飛ぶ。とてもスマートで綺麗なウインクのはずなのに、鳥肌が立つくらい嫌な気持ちになる。
「はあ? ダイちゃんが何をしたのか知らないけど、暴力なんてダメに決まってるでしょ?」
メグはミキヤの提案に素直に従うことはせず、ミキヤとヤスと呼ばれた人に食ってかかる。
「そんな怖い顔しないでよ。可愛い顔が台無しだよ? ボコるって言っても、二、三発殴るだけだからさ」
ミキヤは終始、こちらを舐めたような態度を続けている。メグがそれに怒りを露わにして、何かを言い返す。
そんなやり取りが何度も繰り返されている間に、わたしはダイバの方を向いてある疑問をぶつけた。
「……手を出したってさ、この前快斗くんと一緒にいた人?」
「だから、手を出してないって」
「嘘! そもそもおかしいって思ってたんだよ? だって、あの人とダイバが水族館で会って、ちょっと話しただけで『最低』って言うなんて変だもん!」
ミキヤとヤスというよく知らない二人がかき乱した空気に感化されるように、わたしのダイバに対する熱が激しくなる。
「そいつが言ってるようなことは一切してないぞ」
「じゃあ、なんでこの人たちはこんなにダイバに対して怒ってるの?」
「知らねえよ! たしかにそこのデカいやつとは一悶着あったけど、それも俺がシノさんを助けようとしただけで……」
高校に入学して、出会ってから今の今までずっと飄々としていたダイバの、焦った顔を初めて見た。
「助けようとした? なにそれ?」
「なにそれって……シノさんが倒れたから助けただけなんだって!」
「それだけじゃあの人の発言も、今のこの状況も説明つかないじゃん!」
水族館デートが台無しになったことも、今こうしてダイバと口喧嘩をしていることも、全部がわたしの燃料になっているみたいだった。
「——おい! お前らこっちを無視して痴話喧嘩してんじゃねえよ!」
背の高い、ヤスから大きな声が飛ぶ。
「うるさいな! ちょっと黙っててよ!」
耳障りなその声をかき消すように、わたしも大きな声を出す。
「な……」
わたしが大きな声を出すとは思っていなかったのか、メグもダイバも、さっきまでニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべていたミキヤたちも、大きく目を見開いてその場に立ち尽くしていた。
あれほど騒がしかったわたしたちはしばらくの間、しん、と静まり返った空間を共有していた。
「みんなどうした?」
芯のある女性の声が、わたしたちの静寂を破る。
声の主は、崎山先生だった。
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