第41話 【シノの過去4】

 デタラメに街を走った、つもり。

 風の吹くまま、何も考えずに、右に曲がり、左に曲がり、あえて真っ直ぐ走ったりしてみたんだ。

 今ならわかる。

 もしも人生というものが、私たちが知らないだけで、一度きりじゃなかったとしても。

 私の人生ならきっと、どこかのタイミングでこのにたどり着くんじゃないか、って。

 そして、私の隣にはもちろん——。


『ちょっと……ここで休もう』

 ようたろう君が公園を指差す。私もかいと君も、その意見に息を切らしながら頷いた。

『……なんて読むのかな? 幼稚園と同じ文字だよ。ぼくたちの幼稚園って、ういどようちえん、だったよね?』

『なんでもいいよ。中入ろう』

 その公園は大きな坂道の途中にあった。高いところは削り、低いところは盛る。斜めの線に、地面と平行な一本の直線を引いたような作りになっていた。

 私たちから見て、右手側。坂の下側には、一通りの遊具が揃っている。

 そして左手側には大きな広場。その広場から坂と同じ角度で伸びる長い階段の上に、東屋あずまやがあった。

「ねえ、なんか、上の方に壊れたお家があるよ?」

 当時は東屋なんて言葉は知らなくて、私は思ったことをそのまま口に出す。

『ほんとだ』

『あれ? なんか、誰かいるぞ?』

 ようたろう君は東屋の方に向かって歩き出した。

『だ、ダイバ君! やめたほうがいいよ』

 制止するかいと君の声を無視して、ようたろう君はどんどん東屋に近づいていく。

 私は目を凝らして東屋を見る。たしかに、誰かが東屋の下のベンチに座っていた。……おじいさん?

 ようたろう君がそのおじいさんと何かを話している。

 ようたろう君の笑い声が、音の高い部分だけ途切れ途切れに聞こえる。

 遠巻きに眺めていた私はなんだか東屋の空間が羨ましくなって、引き寄せられるように歩き出した。

『あれ? クゥちゃん? ……ちょっと待ってよ、置いてかないで!』

 かいと君が私の後ろをぴったりとついてくる。

『あ、クゥちゃん! かいと! こっちこっち!』

 私たちが東屋に向かっていることに気づいたようたろう君が手を振る。

 ようたろう君が上がった広場から伸びる階段とは別の、公園をぐるりと囲む舗装された道を行く。

 公園の中では東屋が一番高い場所にあって、舗装された道も、階段も、まだまだ未熟な私たちにとってはなかなか厳しい道のりだった。

『……この坂、山みたいだね。ダイバ君みたいに広場に行って、それから階段を登ればよかった』

「うーん……楽だと思うけどなあ」

(それは大袈裟じゃない?)

 かいと君の言葉にそう返したかったけれど、5歳の私の脳内には大袈裟という単語は浮かんでこなくて、曖昧に返事をする。

『そ、それは嘘だね……』

 かいと君が息を切らしながら、私の後をついてくる。

『おいおい、大丈夫か?』

 ようたろう君が走ってこちらにやってくる。

『うん、このくらいへっちゃら……』

『そっか。ならあと少しがんばれ。すごくいいものが見れるぞ』

 ようたろう君はそう言うと、かいと君の背中を優しく押す。

『……ありがとう』

 ヘトヘトになりながらも、かいと君は着実に東屋に近づいていく。

「……あー、あたしも疲れたなー」

 なんだかようたろう君に背中を押してもらっているかいと君が羨ましくなって、疲れたふりをした。少しだけ歩みを遅くする。

『あれ? クゥちゃんも? 二人ともしょうがないな〜』

 ようたろう君の右手がそっと私の背中に触れる。

 風に背中を押されたような、背中に翼が生えたような、なんと表現していいかわからない不思議な力が私の中から湧いてきたような感覚。

 嬉しくなって前を向くと、東屋には、ハットを被ったおじいさん。

 私と目が合うとおじいさんはハットを取り、優雅な会釈をしてくれた。にっこりと微笑んだその顔は、私たちの様子を優しく見守っているよう。

『ほら、着いた〜!』

 そんなことを思っていると、ようたろう君の手が背中から離れた。

「あ……もう着いちゃったんだ」

 ようたろう君の手が名残惜しくて、そんなことを呟く。

『え? クゥちゃんなんか言った?』

『ほら、そんなことよりも二人とも見てみろよ。すごくいい眺めだろ!』

 ようたろう君が自慢げに言う。まるで、宝物を披露するみたいに。

「……うん。いい眺め」

 街よりも少し背の高い場所にある東屋からは、この街がよく見える。普段は見えない住宅街の屋根たちはさまざまな色をしていて、一つの作品を見ているみたいでとても綺麗だった。

 これは、たしかに宝物だった。

 ようたろう君やかいと君に出会えたことも、この景色を見れたことも、この記憶を思い出せたことも。

 お母さんに話す時は、ようたろう君みたいに、目一杯自慢してみよう。そんなことを思いながら上を向く。

 東屋は、おじいさんも私たちも平等に包み込んでくれているようだった。屋根を覆うように生えている植物が、とても神秘的に映る。

『いい場所でしょう?』

 おじいさんは私に向かってそう言った。渋くて、優しくて、暖かい、いい声で。

「うん。あたし、この場所だいすき」

『それはよかった』

『あ、ヒデさん、この二人はおれの大事な友達なんだよ! クゥちゃんに、かいと!』

 ようたろう君は私たちに手を向けてそう言った。

 ようたろう君の顔はおじいさんの方を向いていてよくわからなかったけど、私たちを紹介している時の顔がさっきと同じで、宝物を自慢するような笑顔なら、いいな。

『そうですか。よろしくね。私のことはヒデさんって呼んでくれると嬉しいな』

『あ、あの、いぬい かいとです!』

 かいと君が私の横でペコリと頭を下げる。

「ヒデ……さん?」

『そう。君が……クゥちゃん? どうしてクゥちゃんって呼ばれているのか、聞いてもいいかな?』

 ヒデさんに言われて、私は考える。そういえば、どうして私はクゥちゃんって呼ばれていたんだっけ?

『ぼくが最初に呼んだんです! クゥちゃんって呼び方、かわいいなって思って、それで』

 かいと君が手をあげながら言う。発言がしたくて必死に先生にアピールをしている時の癖がそのまま出ているみたいで、とても可愛く見える。

『えー、そうなんだ。なんか意味があるのかと思ってた。なら、おれはクゥちゃんのこと、名前で呼ぼうかな』

『はは。なら、私もそうさせてもらおうかな。お名前は?』

「すずき なつき……です」

 咄嗟に出た鈴木という苗字が、私の心をざわつかせる。……あれ? 私の苗字は篠原じゃなかった?

『へえ、クゥちゃんってなつきって言うんだ。それじゃあ、なつきって呼ぶぞ』

『なつきちゃんですか。いいお名前ですね』

 幸いなことに、二人とも私の夏希なつきという名前を誉めてくれた。

『なつき!』

 ようたろう君が何度も私の名前を呼ぶ。

「ど、どうしてそんなにあたしの名前を呼ぶの?」

『今までクゥちゃんって呼んでたから、その分! おれ、なつきって名前の方がすきだから!』

『はっはっは!』

 ようたろう君の言動に、ヒデさんが豪快に笑う。

『……ようたろう君はいい子なんだね』

『えっ? ほんと? ……おれっていい子なのかなあ? なら、どうして母ちゃんに怒られるんだろう?』

『お母さんはようたろう君のことが好きなんだろうね』

『えー? 絶対好きじゃないよ。好きなら怒ったりしないもん』

『好きだから怒るんだ。お友達でも、好きな人でも、ダメなことはダメって言ってあげるのが、本当の優しさなんだよ』

『そうなの? ……うーん』

 組めてない腕組みをしながら、ようたろう君は一生懸命考える。ヒデさんが言ったことは幼稚園児には難しいだろう。高校生の私にだって、難しいんだから。

『ぼく、頑張って言います。ダメなことはダメって!』

 かいと君が言う。

『偉い。それが一番だよ』

 ヒデさんが優しくかいと君の頭を撫でる。かいと君は心底嬉しそうな顔で、ヒデさんの大きな手を受け入れている。

『ごめんね。少し難しいことを言ってしまったね。お詫びと言ってはなんだけど、私が作った卵焼き、食べるかい?』

 ひとしきりかいと君の頭を撫でたあと、ヒデさんはようたろう君の方を向いて言った。

『えっ、卵焼き!?』

 ベンチの上にあるカバンから包みを取り出すと、膝の上に慣れた手つきで広げる。

 包みの中からは、お弁当箱。そしてそのお弁当箱の中には、宝石のようにキラキラと輝く卵焼きが四つ入っていた。

 風が少し、強くなる。

 ベンチが四つ。私たちは四人。私たちは当然のように一つのベンチに詰めて座った。

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