第39話 【シノの過去2】
二人だけの秘密の場所に、私の泣き声が響いた。
『え? クゥちゃん。ごめん、おれ、また何かわるいことした……?』
ようたろう君は焦った様子で私の周りでオロオロとしている。
「ち、違う……の」
涙が止まらない。爆発した感情を、泣くこと以外の手段で処理しきれなかった。
『え? 違う……?』
ようたろう君は私の声にならない声を必死で聞き取ろうとしている。
「嬉しい、の」
『嬉しい……?』
ようたろう君の声に、私は泣きながら頷いた。
「あたし、あなたに酷いことしたのに……。あなたが、優しくしてくれて、嬉しくて」
枯れかけた声を必死に絞り出す。ようたろう君に伝えたかったから。
泣くことは、かなり、疲れる。
「ごめんね」
言いたいことの内の一つが言えて、私の頬にできた小川も少しずつ細くなる。
『おれは、やさしくてカッコいいやつになりたいから。人にやさしいやつが一番強いんだって覆面ドライバーも言ってたしな!』
「ふくめん、ドライバー?」
『そう。俺の大好きなヒーロー! 覆面ドライバーに変身するトリシマ・ルヒトはカッコいいんだぞ!』
ようたろう君はそう言うとよくわからないポーズを決める。ようたろう君と瑞穂先生がやっていたポーズはやはりヒーローのポーズだったみたいだ。
私は、泣きながら笑う。
普段は拙く見える園児の変身ポーズが、今は、今だけは本当にヒーローに見えたんだ。
場面が変わる。
ようたろう君にお城の下の二人だけの秘密を教えてもらって以降、私の幼稚園での生活は一変した。
大切な宝物が新しくできて、ようたろう君とも仲良くなれて、幼稚園の生活が楽しくてしょうがなかった。
今まで参加しなかったサッカーにも参加するようになって、おままごとをかいと君と二人きりですることも減った。つまり、友達がたくさん増えたってこと。
それまでかいと君にしか向けられていなかった私の感情は、ようたろう君や瑞穂先生をはじめとした、
前と同じ濃度でかいと君と接することが減ってしまったのは、少し寂しいけれど。
そして今私は、前に壊してしまったようたろう君の名札の代わりを作っていた。お城の下の泥団子という宝物をくれたようたろう君への、今の私にできる精一杯のお返しというわけだ。
隣にはかいと君がいる。私がお願いをして、手伝ってもらっているんだ。
『そういえばさ、おおさわ君の名札って漢字で書いてあったよね』
黒いクレヨンを右手に、ようたろう君の名前を書こうと意気込んでいた私の手が止まる。
「あ、そうだった」
私の頭の中のようたろう君が、お父さんに書いてもらった漢字の名札を自慢げに披露する。私の脳内のようたろう君はおまけに、あの変身ポーズも決めてくれた。
『クゥちゃん? なんか面白かった?』
「ううん、変なこと思い出しちゃっただけなの。ごめんね」
前はなかなか言えなかった「ごめんね」と「ありがとう」も今ではお手の物だ。
『そっか。でもどうしようか? 漢字で書いた方が喜んでくれるよね』
「うん。でも、ようたろう君のお名前、難しいよね」
『……ぼく、ちょっとだけならわかる』
眉間にシワを寄せて少し考えたのち、かいと君は紙に『大さわ 葉たろう』と書いた。
さすがに全部はわからなかったようだが、それでも何も見ないで漢字を書けたことは私にとって、魔法を使うことと同じくらいすごいことに思えた。
「え!? すごーい!」
『えへへ……』
かいと君は照れ臭そうに笑う。
「なんで書けるのー?」
『えっとね……ぼくがよく行くお店の名前がね、
「へー。じゃあ、これは?」
私は『葉』の字を指差す。
『これはね、おばあちゃんに教えてもらったの。この前落ち葉拾いを手伝ったら、いっぱい褒めてくれたんだ!』
「そっか! でもすごいねかいと! 私も書いてみるね!」
『うん。ありがとクゥちゃん。頑張って!』
私は見様見真似で、『大』と『葉』を先に書いた。
「これで合ってるかな?」
『えっと、合ってると思う。……でもさ、漢字って変だよね』
「何が?」
『だってさ、大きいって書いてもおおさわ君のは“おお”って読んで、お店のは“だい”って読むんだよ? 葉っぱの葉も、落ち葉は“ば”なのにようたろう君のは“よう”だもん』
「あ、ほんとだ! 変だねえ」
変だね、とは思いつつも、何が変なのかはうまく説明できなかった。
『漢字だけ読むと、だい……ばになっちゃうもん』
「だいば?」
『うん。……ダイバ』
ジワジワと、面白さが足音もなく忍び寄る。
私とかいと君の口角は、『ダイバ』という間抜けな響きによって徐々に上がってゆく。
『……ぷっ』
耐えられなくなったかいと君が小さく吹き出す。
「あはは……ははは、ははは!」
それにつられて私も笑い出す。本当は人の名前で笑ってはいけないんだろうけど、それでもなぜか、『ダイバ』という響きが面白かった。
『なになに?』
『かいとどうしたの?』
『あー、クゥちゃんが笑ってるー!』
私たちの笑い声に、周りの友達が寄ってくる。
かいと君が、笑いながらみんなに説明する。その説明を受けて、私たちほどじゃないけれど、みんな笑っていた。心なしか部屋の中が暖かくなったような気がする。
——その日からようたろう君は、みんなから『ダイバ』と呼ばれるようになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます