第38話 【シノの過去】
私は泥団子を作っていた。壊れてしまった宝物を取り戻すために。
『ねえ、クゥちゃん?』
私は知らないふりをする。本当は、私の笑顔をあなたに伝えたいけれど。
『……おれもさ、一緒に泥団子作りたいな』
健気なようたろう君の声が聞こえる。
嬉しい。そんな気持ちが私を満たしていく。
「……勝手にすれば」
……どうして、私は素直になれないんだろう? ごめんね。ようたろう君。
『そうか。なら、おれも泥団子作るぞ』
ようたろう君は足元の地面を掘り返す。ある程度の大きさになった土の塊を手に取ると、私の隣に座った。
『へへ。おれ、結構うまいんだぞ』
小さな手で、一生懸命に、ぎゅっと土を握る。
「ふーん」
興味の無いふり。ううん、私、ようたろう君の泥団子には本当に興味がなかったの。
興味の無いふりをしていたのは、あなたに対して。私の視線は、ずっとようたろう君を捉えていたんだ。
『ほら、丸だろ?』
「なにそれ、泥団子って丸じゃないの?」
『綺麗な丸だろってことだよ』
「……丸だね」
『へへ』
私の適当な相槌に、ようたろう君は照れ臭そうな笑顔を浮かべる。
どうしてもっと優しくできないの、と心が痛んだ。
私はそれをごまかすために、手元にある泥団子に砂場の砂をかける。これはあらかじめ、砂場から拝借してきたもの。
『あ、いいなあ』
「いいでしょ」
ようたろう君のキラキラとした眼差しに、なんだか私は嬉しくなって、声がついうわずってしまう。
『でもねクゥちゃん。それよりももっといいのがあるんだぞ』
「え?」
ようたろう君はそう言うと、周りをキョロキョロと確認してから、アスレチックの下にあるちょっとした空間に入る。
「そこに入っちゃダメだよ。この前先生が言ってたよ?」
『今なら瑞穂先生もいないし大丈夫だよ』
ようたろう君は手招きする。
『おいでよ。ここにある砂、砂場のやつより泥団子をピカピカにしてくれるんだ』
泥団子をピカピカにする、その言葉は今の私にとって、どんなに甘い誘惑よりも魅力的に感じた。
私もお城の足元に入り込む。
中はお城に上がるための階段の裏側と、お城を支えるたくさんの骨組みに囲まれていて、普段はアスレチックの一番下の段に相当する木組みの床が、この空間では屋根の役割を果たしていた。
太陽の光が骨組みの隙間から差し込んでいて、中はそれほど暗くはない。
「へえ……中ってこんな感じなんだ……」
何か魅力があるだとか、居心地がいいだとか、そんなものは一切なくて。これが私の率直な意見。
ようたろう君に誘われていなければ、私はこの幼稚園を卒業するまでこの空間には来なかっただろう。先生に怒られるほどのリスクを負ってまで来たいとは、思えなかった。
『クゥちゃんはここに来たことある?』
私は首を振る。
『そうか。……秘密基地みたいだろ?』
どこか落ち着かない様子で、ようたろう君はそう言う。
「あたし、秘密基地とかよくわからない……」
これも率直な感想。当時は男の子と遊ぶことが多かったけれど、私は残念ながら秘密基地には一切興味がなかったんだ。
『え? なんで? よくない? ……自分だけの部屋っていうか、ええと……なんて言えばいいかわかんねえや』
ようたろう君は泥だらけの手で頭をかいた。
「自分だけの部屋……」
私は自分の家を思い出す。浮かんできたのは、なぜか、高校生になった今の私とお母さんの二人で住んでいるマンションだけ。五歳の頃に住んでいた家は、どれだけ頑張っても思い出せなかった。
高校生になった今は自分の部屋があるけれど、幼稚園に通っていた時は私は家のどこで過ごしていたんだろう?
『おれさ、早く自分だけの部屋が欲しいんだ。母ちゃんにお願いしてるんだけど、ダメって言われてさ』
泥団子をこねくり回しながら、ようたろう君は息を吐く。本人はため息のつもりなんだろうけど、高校生の私からしたら随分と可愛らしい仕草に見える。
ようたろう君の仕草を愛おしく感じながらも、自分の部屋がないと嘆くようたろう君に心のどこかでホッとしていた。
『クゥちゃんも自分だけの部屋欲しくない?』
黙って頷く。
五歳の私が住む家は一向に思い出せなかったけど、自分の部屋が欲しいことはたしかだ。
『だよな! ……あ、ココのことは、かいととか他のみんなには内緒だぞ! 二人だけの秘密!』
そう言うと、ようたろう君は「しーっ」と私の唇にようたろう君自身の人差し指を近づけた。
(そういう時は普通、自分の唇に自分の手をあてるんじゃないの?)
やっぱりようたろう君は変わってる。心の中で笑う。
「……うん」
心の中で思い切り笑ったあと、私はこくりと首を縦に振る。
秘密基地の良さはわからないけれど、二人だけの秘密はすごく魅力的に思えた。
『……あ、やっと笑ってくれた』
私の唇から人差し指をゆっくりと離して、ようたろう君は笑う。
『やっぱりクゥちゃんは笑顔が一番だな』
「そうかな……」
恥ずかしくなって髪をいじる。まともにようたろう君のことを見れなくなって、視線はようたろう君の足元に向いた。
『そうだ、クゥちゃんに教えたかったやつを忘れてた』
足元に向いた視線で気づいたのか、ようたろう君はハッとしたような表情を浮かべる。
『これ、すごくピカピカになるんだぞ』
両手で砂をすくって、自分の泥団子にかけ始める。
私もそれに倣って砂に触れる。サラサラしていて、とても触り心地がよかった。
『この砂を泥団子全部にかけて……。手で磨くんだ』
片手で砂を掴む。手の隙間からサラリと砂が溢れる。私はそれが全てこぼれ落ちてしまう前に、泥団子にかける。
これを何度も繰り返す。
『そしたら手で磨いて、こう、優しくシャーッとやってみて』
泥団子を擦るようなジェスチャー。
私はようたろう君の言葉の通り、シャーッと擦ってみる。目の細かいサラサラとした砂は研磨剤のような役割を果たしながら、私の泥団子から落ちてゆく。
その様が面白くて、私は夢中で泥団子を磨いた。
余計なものが取れていく。角とか、嫌なこととか。本当の意味で、私の泥団子は丸くなる。
『おお! すごい綺麗になったね!』
月のようなまんまるさに、トリュフチョコレートのような見た目になった私の泥団子を見て、ようたろう君は惜しみのない拍手をしてくれた。
「ふふ。そうでしょ?」
私は嬉しくなって、拍手を続けるようたろう君に、とびきりの笑顔とピースサインで応える。
『……なあ、クゥちゃん。これでさ、許してくれる……?』
もじもじと、目線を逸らしながらようたろう君が言う。
『おれ、この前クゥちゃんにごめんなさいしたけど、何かプレゼントしたかったんだ。やっぱり、宝物壊しちゃったから』
私の視界が滲んだ。
泣いている、と気づいたのは、頬が濡れてから少し遅れてのことだった。
「違う、そんなことない。あたし、あたし」
「ありがとう」だとか、「ごめんね」だとか、そんな言葉じゃ足りない気がして。でも、それを埋めるほどの語彙力は五歳の私にはなくて。
ようたろう君に伝えたいことがたくさんある。なのにうまく伝えられない。それが悔しくて。
私は声にならない声で泣いたんだ。
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