第36話 【ダイバ17】
頭が痛い。
これじゃあどっちがお見舞いに来たのかわからないな。ふかふかなソファーに座った時、頭の痛みから逃れたくてそんなことを考えた。
快斗のおばあちゃんに会ったのは生まれて初めてだと思う。当然、快斗のおばあちゃんの家に来たのも初めて。
快斗と俺が出会ったのは小学生の頃。クラスは一緒じゃなかったけど、なぜか初めて会った気がしなくて、俺たちは仲良くなった。虫取りだとか、鬼ごっこだとか、サッカーだとか、思いつく限りの遊びを快斗としていた。
初めて会ったとき、快斗は久留島から引っ越してきたって言っていた。
引っ越してきたばかりだから僕の友達は君だけ、って言われたとき、俺はなんだか嬉しかったんだ。出会ってすぐの俺を、友達と呼んでくれたことが。
そんな快斗と、幼稚園のときに友達になっていた? そんなわけがない。なら、忘れるはずがない。
「俺がダイバに謝らなきゃいけないこと、それは今日の昼のことなんだ」
「……昼?」
俺が俺でないような感覚に、力がうまく入らない体を必死に支えながら、俺は今日の昼のことを思い出す。
浮かんできたのは、ただただ茉莉と一緒にお昼ご飯を食べていた映像。それと快斗が謝ることに何の関係があるのだろう?
「今日の昼休み、俺はダイバと茉莉ちゃんをハブにした。何も言わずに、無理やり二人きりにさせたんだ。本当にごめん!」
快斗は大きな声でそう言うと、勢いよく頭を下げた。
「そうか……」
俺は考える。
仲間外れにされたことはたしかによくないことだと思う。でも、こんなに必死に謝るような内容ではないとも思う。ましてや、俺と快斗の仲では。
「……どうしてそんなに必死になって謝るんだ?」
正直、俺にとっては昼休みのことなんてどうでもよかった。結果として茉莉と仲良くお昼を過ごせたから。
いや、快斗は結果オーライでは済ませたくないのだろうか?
なんにせよ、今の快斗の表情は、何か大きな覚悟を決めた顔をしている。快斗の気が済まなければ話が進まないような気がした。
「それは……」
目をゆっくりとつむり、言い淀む。
「……それは?」
俺の声に、快斗は一回だけ大きな深呼吸をした。
「俺は、ダイバに嫉妬していたんだ」
「……は?」
意味がわからなかった。ただでさえ混乱していてうまく回っていない脳みそが、さらに回転を落とした。
「俺は……茉莉ちゃんが好きなんだ。多分、ダイバよりも」
快斗の目は、今までに見たことがないほどに鋭く、真っ直ぐに俺を見ていた。快斗は今、どうしようもなく、一人の男だった。
「ヤケになってたんだ。俺の好きな人はダイバのことが好きで、恵太は恵太で久留島の女の子と楽しそうでさ。一人で勝手に、仲間外れにされたような気がしてた」
快斗の座っている椅子が、軋んだ音を立てて鳴いた。
「今日、俺がダイバたちをハブにしたのも、全部どうでも良くなって、応援するって体で嫌がらせをしてやろうって思ったんだ」
俺に向けられていた快斗の視線は、ゆっくりとリビングの中でも一際目立つ大きなテーブルに落ちていった。
「いや、最初は心の底から応援してやるって思ってたんだ。どうせ惨めな思いをするならピエロになってやろうって。でもそれは違ってた」
「快斗……」
震える声、握る拳、快斗の一挙手一投足が俺の感情を揺さぶる。
「恵太に怒られて、おばあちゃんにも叱られて、気づいた。
本当は、二人をもっと仲良くさせて、自分の手の届かない場所……二人だけの世界に行って欲しかったんだ。俺は、俺はお前のことを……友達なのに! 大切な幼馴染なのに! 目障りだと思ってしまったんだ!」
快斗の瞳から大粒の涙が溢れる。鼻から鼻水が垂れる。
快斗はそれらを拭うことをせず、ぐしゃぐしゃになってしまった顔のまま話を続ける。
「ダイバと茉莉ちゃんを仲良くしてやる代わりに、俺はクラスのみんなと仲良くなる。お前らは二人きりで高校生活を過ごしてくれ。そうでもしないと失恋した俺の心は癒されない、って思ってたんだ! ごめんダイバ! ……ごめんなさい」
今、俺と快斗の心には、リビングにある大きなテーブルほどの隔たりがあるのかもしれない。
快斗の手が伸びて、弱々しくテーブルに添えられる。
「こんな俺なんかに茉莉ちゃんは振り向いてくれないよな……。ダイバ、本当にごめん」
付き合いの長い快斗が、今まで一度も見たことがないほどに打ちのめされている姿を見て、心が痛くなる。
俺の頭の痛みなんて、快斗の心の痛みに比べれば、大したことないように思えた。
「快斗……」
俺はどんな言葉をかけていいのかわからなくなって、テーブルの上に置かれている快斗の手に触れる。
「触らないでくれ……」
快斗の手が、ゆっくりとテーブルの向こう側に逃げてしまう。
「俺の方こそ、快斗がそんなに悩んでるなんて知らなくて、ヘラヘラしててごめんな」
薄い。今の自分の言葉は、崎山先生に渡された課題のプリントよりも薄い。こんな言葉は、気休めにもならない。
それでも俺は何かを言わずにはいられなかった。
気休めでも、今ここで快斗と会話をしなきゃ、俺はもう一生快斗と分かり合えないような、そんな感覚。
「やめてくれ……今お前に優しくされたら、もう俺はどんな顔をしてダイバに会っていいのかわからなくなる……」
「どんな顔って、そんなの普通にいつも通りでいいだろ。確かに、確かにお前は間違えたかもしれないけど、それがどうしたんだよ? 謝ったんならそれでいいだろ? 少なくとも俺には十分伝わったぞ?」
「それじゃダメなんだ……。俺が、俺のことを許せないんだよ」
許せない。その言葉を聞いた時、今の俺では快斗をどうすることもできない、と感じた。
快斗は頭がいい。だからこそ、バカな真似をした自分が許せないんだろう。
「ごめん……」
小さく呟いて、快斗はうなだれてしまった。
「……ダイバくん。ごめんなさいね。私からも謝っておく」
玄関先で、快斗のおばあちゃんは頭を下げた。
「いや、やめてください。快斗はハブにしたって言ってたけど、俺はなんも被害は被ってないんです。あいつ……快斗が少し考えすぎなだけで……」
「いいえ、そのことだけじゃないの。快斗があなたにあんな謝り方をしたことを、私は謝りたいのよ」
「謝り方?」
「あんな風に言われたら、怒れるものも怒れないし、話し合いもできない。実際ダイバくんも、何を言えばいいのかわからなくなったでしょう?」
おばあちゃんは優しい眼差しのまま、俺に問いかける。
「ええ……まあそれは、そうですかね……」
「そもそもの話、自分を許せない、だなんてバカなことをダイバくんに言うこと自体間違っているの。自分を許す許さないは、ダイバくんには関係ないことだから」
俺はこの話をどんな態度で聞けば失礼じゃないか、どんな相槌を打てばおばあちゃんの言っていることをしっかり受け止められているかを伝えられるのかわからなくなって、痒くもない後頭部をかいてみたり、すすらなくてもいい鼻をすすったりする。
「気にしないであげてね。快斗がどんなに落ち込んでいようと、あなたは何も悪くないから。それと、これからあなたが快斗とどう接するのかはあなたの自由だから」
「……快斗のおばあちゃんは優しいんですね」
「年寄りにはね、なんでもできる若いあなたたちとは違ってこういうことしかできないもの」
快斗のおばあちゃんはそう言うと、控えめに笑った。
俺は聞きたかった過去の話を聞くことも忘れて、そのまま快斗のおばあちゃんの家を後にした。
俺は本当にこの家に、この街に来たことがあるのだろうか? そんなことを考えながらこの街——久留島を歩き始めた。
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