第32話 【快斗6】

 ——これは俺の、二人への優しさなんだ。

 心の中でそう言い聞かせる。

「伊田くん。昼になったら大富豪やろうよ。恵太とメグ、諏訪さんも誘って。場所は教室じゃなくて中庭でさ」

 俺は、クラスメイトの伊田くん、伊田川にこんな話を持ちかけたんだ。

 誘ったメンバーは普段ダイバや茉莉ちゃんと仲良くしている人たち。もちろんダイバたち二人は誘わない。

 仲のいい人を教室の外に出して、二人でご飯を食べさせる。これが俺の気遣い。

「ほら、ダイバと茉莉ちゃんっていい感じだろ? だからちょっと二人の背中を押してあげたくてさ」

 諏訪さんやメグ、伊田川など、二人と特に仲のいい人には事情を説明した。そしたら、みんな喜んで俺の話に賛成してくれた。

「え? 大富豪すんの? 私もやりたい!」

「お、楽しそうじゃん。俺大富豪強いよ?」

「大富豪なら俺を呼べ」

 最初は六人くらいで遊ぶのを想定していたけど、クラスのみんなは俺の想像以上に大富豪が好きだったみたいで、参加者はどんどん増えていった。

 最終的にはクラスの七割が大富豪に参加することになった。残りの三割は、何か用事があったり、部活の友達とお昼を食べるらしい。

 そして昼休み。

 俺はみんなを中庭に出るように促す。

「おい、伊田川? 何してんだよ?」

 ダイバの声がする。見ると、伊田川が事情を知らないダイバに捕まっていた。

「あ、伊田くんまだ教室にいたのか! ちょっとごめんねダイバ! 行こう伊田くん!」

 俺は伊田川の手を握り、引っ張った。

 廊下に出たところで、チラリと教室を覗く。中には、茉莉ちゃんとダイバが二人きり、呆然としていた。

 今はまだその光景に胸が苦しくなるけど、それがいいんだ。

「ごめんね」

 ずっと握っていた伊田川の手を離す。

 伊田川は握られていた方の手を軽くさすり、「なんか、怒ってる?」と俺に向かって言った。

「怒ってる? 俺が? そんなわけないだろ」

 伊田川の言葉の意味が全くわからない。

「ほら、もうみんな行ってるよ。早く大富豪やろうよ」

 俺はなんとなく居心地が悪くなって、下駄箱に人差し指を向け、走り出す。

「快斗。廊下は走っちゃいけないんだぞ」

 下駄箱の裏から、恵太の声が聞こえる。

「恵太? 中庭に行かないの?」

「行くよ。でもその前に、ちょっと聞きたいことがあるんだ」

 いつになく真面目な顔の恵太。

「なんでこんなことするんだ?」

「は?」

 思いもよらない質問に、苛立ちが声に混ざってしまう。

「あ、ごめん。でも意味がわからないよ。俺はダイバたちを応援したいだけ」

「こんなの応援なんかじゃないだろ。ただの嫌がらせだ」

 恵太の声が鋭くなる。

「い、嫌がらせ?」

 普段は柔らかい喋り方をする恵太だからこそ、変に怒鳴られるよりもずっと、心に刺さる。

「今の快斗は、なんだかカッコ悪いよ」

 恵太はそう言うと、中庭に向かってさっさと歩いていく。

 カッコ悪い。その言葉だけが、俺の頭の中をぐるぐると回る。

 靴を履いて、校舎の外に出る。夏の暑い日差しが俺の肌を容赦なくジリジリと焼いた。

 陽炎。中庭に集まっているクラスのみんながゆらゆらと揺れる。伊田川とその悪友がトランプを配り、メグがその場を盛り上げている。

 遠くからそれを眺めていた俺に気づいた恵太は、ゆっくりとこちらへやってくる。

「主催者がいないと始まらないよ」

 さっき俺にカッコ悪いと言ったせいか、恵太は気まずそうな笑みを浮かべながら言った。

「俺、カッコ悪いんだよな?」

 クラスメイトたちの笑い声と、いつのまにか俺よりも大人になっていた恵太のことが面白くなくて、俺は余計なことを言ってしまった。

「わかった」と一言、素直に言えばいいことくらい、わかっているはずなのに。

「うん。めちゃくちゃカッコ悪い」

 恵太はズレたメガネを戻しながら、はっきりとそう言い切った。

「ずいぶんはっきり言うんだな」

「僕は快斗とダイバの友達でいたいから」

「友達?」

「悪いと思ったことは、悪いって言う。僕は綾子さんに出会ったとき、綾子さんの隣にいても恥ずかしくないような、優しくて強い人になろうって決めたんだ」

 綾子? ……ああ、仲良くなった久留島高校の女の子か。

「じゃあ、今の恵太はカッコいいのか? 俺に説教して、それで満足してるだけなんじゃないの?」

「僕もまだまだカッコ悪いよ。でもね、僕は快斗みたいにヤケクソになって、本当はまだ好きだと思ってる子と自分の友達を仲間外れにして無理やり二人きりにさせるようなことはしないな」

「仲間外れだって?」

 言葉は本当によく出来ていると思う。言い方一つで人を喜ばせたり、怒らせたり、真実から遠ざけたりできる。

 俺は恵太の放った、仲間外れという言葉がどうしても許せなかった。俺の二人への優しさを、無神経に踏みにじられたような気がした。

「そうだろ? じゃあなんでダイバや小野澤さんに一言でも言わなかったんだよ? 何かを隠すような真似をして、クラスのみんなが外に出て、二人きりになっても……嫌な気分のままじゃないの?」

 最初は俺のしたことは本当に良いことだと思っていた。恵太の言葉を聞くまでは。

 今は、心が、痛い。

 怒りでうやむやにしているけど、恵太の言うことは正しいと思う。わかってはいるんだ。でも、俺の自尊心がそれを理解することを拒絶する。

「おい、快斗? どこ行くんだよ?」

 恵太に指摘されたのが悔しくて、恥ずかしくなって、自分に嫌気がさした。

 俺は後ろを振り向かずに、校舎の中へと戻っていく。

 結局、俺は十二年前と変わらない。ヘマをして、また逃げたんだ。

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