第28話 【12年前③】

 瑞穂先生と呼ばれるその人は、黒のショートカットの元気いっぱいな人、というイメージだった。身長は150cmくらい。歳は……かなり若いと思う。

『みんなどうしたの? ……あ、ようたろう君! 大丈夫?』

 おっとりとしている印象の瑞穂先生は、倒れているようたろう君を見て態度を急変させた。こういう瞬間を見ると、瑞穂先生は子供を見るプロなんだなと思う。

『せんせー、クゥちゃんがようたろう君に乱暴してましたー!』

『先生、クゥちゃんがね、ようたろう君を引っ張ったの』

 園児達は先生を見て、口々にそう言った。

『クゥちゃん。本当?』

 膝をついて、クゥちゃんと目線を合わせて、ゆっくりと瑞穂先生は尋ねる。

 クゥちゃんは涙で真っ赤になった目をゆっくりと逸らした。

『ようたろう君。大丈夫?』

 瑞穂先生はよろよろと立ち上がったようたろう君の体を支える。

『あ、先生。おれならへっちゃらだよ』

 そう言うようたろう君は右手で胸をおさえている。

『胸を打ったのね?』

 ようたろう君の右手を両手で包み込むように瑞穂先生が聞く。

『うん。ちょっと痛いけど、でも我慢できる!』

 ようたろう君はそう言うと、よくわからないポーズを決めた。戦隊ものか、アニメか、私にはわからないけど、きっとようたろう君が好きなポーズなのだろう。

『そっか。偉い! 偉いぞようたろう君!』

 瑞穂先生が大袈裟なくらい大きな拍手をようたろう君に送る。周りの子も、それにつられて拍手を始めた。

 ようたろう君は胸を張りつつも、少し照れ臭そうだ。

 と、割れんばかりの拍手がまばらに聞こえるようになったとき、ようたろう君の左胸に付いていた名札がポトリと落ちた。

『あ……』

 足元に落ちた名札を拾うこともせずに、ようたろう君はまじまじと見つめる。

 私も床に落ちた名札を見る。

 チューリップの形をした名札は、半分に折れてしまっていた。おそらく、ようたろう君が倒れたときか、クゥちゃんが引っ張ったときに壊れたのだろう。

『そんな……おれの、お父さんに漢字で書いてもらった名札が……』

 ようたろう君が大切にしていたものが、壊れてしまった。

 ようたろう君がクゥちゃんの泥団子大切なものを壊したように、クゥちゃんもようたろう君の名札大切なものを壊した、ということになる。

『あ、いけないんだー!』

 当然、先ほどよりも大きな非難がクゥちゃんに向けられる。

 クゥちゃんはずっと泣いていたようで、目が充血していて真っ赤に腫れ上がっていた。

『クゥちゃんがおおさわ君の名札を壊したぞー!』

 さっきようたろう君の背中を押していた男の子が、ここぞとばかりにクゥちゃんのことを責める。

 部屋の中で一連の流れを見ていた子供達は、クゥちゃんに冷ややかな視線を送る。

 さっきまではようたろう君が悪かった。でもようたろう君はしっかり謝った。そして今度はクゥちゃんが悪いことをした。

 園児達が正確にいい悪いの分別がついているわけじゃないだろうけど、今の空気は、みんなでクゥちゃんを責める流れになっている。

『う……』

 もう涙が枯れてしまったのか、クゥちゃんはガラガラな声をあげると、そのまま走って部屋の外に出て行ってしまった。

『あ、ちょっと待って!』

 瑞穂先生が慌てて追いかける。


 もう一度、場面が変わる。


 幼稚園の部屋の外、園内で一番目立つ大きなお城の形をしたアスレチックの上に、クゥちゃんはいた。

『ぐす……うう……』

 これはおそらく、さっきの続き。ようたろう君の名札を壊してしまって、部屋からお城に逃げてきた場面だろう。

 クゥちゃんは何をどうしていいのかわからずに、部屋の外に飛び出てしまった。でも、気持ちは痛いほどにわかる。

 私はクゥちゃんの隣に座る。幼稚園全体が見渡せる、いい場所だと思った。

『ねえ、クゥちゃん。お隣、座っていいかな?』

 息を切らした瑞穂先生がお城を登ってくる。

 クゥちゃんは何も言わずに、ずっと下を向いている。

『さっきね、ようたろう君から聞いたんだ。最初に悪いことをしたのはおれなんだって。だからクゥちゃんがおれのことを怒ったんだって。だから、クゥちゃんのこと怒らないであげてって』

 私は驚く。まさか、ようたろう君がそんなことを言っていたなんて。てっきり、悪口を言っているのかと思っていた。

 ようたろう君は今の私が見ている限り、みんなから好かれている人気者みたいだった。その理由が、今の瑞穂先生の発言に詰まっているような気がした。

『ようたろう君ってさ、時々ふざけちゃうけど、本当は、すごくいい子なんだよ。クゥちゃんとも仲良くしたいって思ってるんだよ』

 瑞穂先生は、ようたろう君との約束通り、決して怒ることなく優しくクゥちゃんに語りかける。

『たしかに、大切にしてた泥団子が壊れちゃったのは許せないかもしれない。私がクゥちゃんだったら、私も怒ると思う。あんなにピカピカで綺麗な泥団子はなかなか作れないもんね』

『宝物だったの……』

『ようたろう君がね、今度は一緒に泥団子作ろうって言ってたよ』

 クゥちゃんは少しだけ、上を向いて瑞穂先生を見つめる。

『おれがクゥちゃんの宝物を作る! って言ってた』

 私は思う。どうしてようたろう君はそこまでしてクゥちゃんに優しくしてくれるのだろう? ……クゥちゃんのことが好きなのかな? だとしたら、、嬉しい。

『変なの……』

 少しだけ、クゥちゃんは笑う。

『あ、クゥちゃんもそう思う? ようたろう君は変なところで真面目だから。

 あ、でもねクゥちゃん。変だって言っちゃうと、ようたろう君が嫌な気持ちになるかもしれないから、先生が魔法の言葉を教えてあげる!』

『魔法の言葉? 何それ?」

『すごく個性的だね、って言ってあげるの』

『こせい、てき? わかんない』

『きっとクゥちゃんが大きくなった時、わかるよ』

『そっか。ねえせんせい。あたし、お嫁さんになれるかなあ?』

『うん、なれる! 悪いことしたら謝れるようないい子ならきっとなれる!』

 瑞穂先生はいたずらっぽい笑顔を浮かべた。

『みずほせんせい。……ごめんなさい』

 二人で小さく笑ったあと、クゥちゃんは恥ずかしがりながらも、小さな声で言う。

『うん。ちゃんと謝れて偉いぞ。お部屋に戻ったら、ようたろう君にもごめんなさいしてあげてね』

『あたし、嫌われてないかな?』

『大丈夫。ようたろう君なら大丈夫!』

『えへへ。そっか』

 瑞穂先生は根拠の無い発言に、先ほどようたろう君がやった謎のポーズを添えた。

 それを見たクゥちゃんは大きく息を吐く。

 私はその横で、誰にも知られることなく笑っていた。

(瑞穂先生もちょっと変わってるかも。)

 私はなんだか嬉しくなって、もう少しだけ、この夢の続きが見たいと思うようになっていた。


 ……また、場面が変わる。

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