第27話 【12年前②】

『見てクゥちゃん! この泥団子!』

『わあすごーい! まんまる〜!』

 不思議な夢を見ている。

 私によく似た女の子と、お行儀の良い男の子のやりとりを、ずっと遠くから眺めている。

 今は八時五十分。だからきっと、他の園児が登園するまで自由に遊んでいるのだろう。

 園には二人の他にも園児が何人かいるけど、私によく似ているクゥちゃんと、お行儀の良いかいと君はずっと二人で遊んでいる。まるで二人だけの世界があるように。

 きっと、二人はお互いのことが大好きなんだと思う。今は小さいから、恋愛感情はないだろうけど。

 夢だからか、私の姿は誰にも見えていないようだ。見えていないのをいいことに、私は二人に近づいて、二人だけの世界を覗いてみることにした。

『ねえクゥちゃん』

『何?』

『今日はさ、二人きりじゃなくてみんなで遊ぼうよ』

『え? ……うーん』

 かいと君の提案に、クゥちゃんは持っていた泥団子をそっと地面に置いて、悩んでいる。

『あのね、僕、この前勇気を出してに話しかけてみたんだ!』

『あいつ……って? あの乱暴する人のこと?』

『そうだよ。ようたろう君』

『あたしあの子嫌ーい』

 クゥちゃんの言葉に私は笑う。クゥちゃんの声が、本当に誰かを嫌いになったときの声色だったから。

 幼稚園児は真っ白な画用紙みたい。だからこそ、誰かを本気で好きになるし、誰かを本気で嫌いになる。染まりやすいんだ。

『でもね、昨日僕がね、一緒に泥団子を作ろうって言ったらね、ずっと一緒に作ってくれたんだ! ようたろう君の友達も呼んで、みんな一緒に!』

『みんな一緒に?』

 砂いじりをしながらかいと君の話を聞いていたクゥちゃんの手がピタリと止まる。

『あたしは……かいとと遊べたらそれでいいのにな……』

 いじけたように、クゥちゃんは砂遊びを再開する。

『ようたろう君もね、すっごくいいやつだったんだ! 今度サッカーやろ、って誘われたんだ。だからね、クゥちゃんも一緒に……』

『じゃあかいとはその子と遊べば! かいとのばか!』

 慌てた様子で説明をするかいと君に、クゥちゃんは涙目で訴える。

『あう……』

『ん? 二人ともどうした?』

 泣き出しそうな二人の元に、男の子がやってくる。

 喧嘩寸前の二人も、その二人の会話に聞き入っていた私も、その子が近づいていることに気がつかなかった。

『誰? どっかいってよ!』

『おれ? おれは、おおさわ ようたろうって言うんだぞ! ほら、見てこれ。お父さんに漢字で書いてもらったんだ! カッコいいだろ?』

 おおさわ ようたろうと名乗った男の子は、左胸に付いている名札を持って胸を張る。

 漢字に直すと、おおさわ ようろう。味のある字で書かれていた。

『あなたがようたろう君?』

『そうだぞ!』

 名前で呼んでもらったことが嬉しかったのか、不機嫌なクゥちゃんの言葉に、ようたろう君は笑顔で答える。

『この前、あたしの泥団子壊したでしょ!』

『え?』

 ようたろう君の顔から笑顔が消える。

『あたしがずっと大切にしてたのに、サッカーするっていって踏みつけたんだよ!』

 クゥちゃんの瞳から大粒の涙が溢れる。

『うわーん!』

『ひどいや』

 かいと君は、ようたろう君を冷ややかな目で見ている。

『僕、君とはサッカーしない』

 かいと君の宣言に、ようたろう君は大きく口を開けたまま。

『行こ。クゥちゃん』

 ようたろう君に背を向けて、かいと君はクゥちゃんが大事にしている泥団子を右手に取る。そして左手でクゥちゃんの手を握った。

『かいと……』

 泣きじゃくるクゥちゃんは震える声でそう言うと、かいと君と一緒に部屋に戻ってしまった。

『あ……』

 一人残されたようたろう君は、口をパクパクとさせたまま、その場に立ち尽くしていた。


 場面が変わる。


 気がつくと、私は幼稚園の部屋の中にいた。

 私の目の前にはクゥちゃんとかいと君。二人で、おもちゃで遊んでいるようだ。

『それじゃあ、かいとは店員さんね』

『いいよ。クゥちゃんは何するの?』

『んふふ。あたしはねー、お嫁さん! お野菜を買いに行くの』

『お、お嫁さん? 誰の?』

『……かいと!』

 無邪気な告白。いや、告白ですらないのかも。きっとクゥちゃんの中では、かいと君と一緒にいるのが当たり前なんだと思う。

 かいと君は顔を真っ赤にして、ただただクゥちゃんを見つめている。

 微笑ましい。親になった気分ってこんな感じなのかな、なんて思う。私が親になるのはずっと遠い未来の話だろうけど。

『どうしたの? ほら、早くやろ?』

『……う、うん』

 クゥちゃんは心底楽しそうで、かいとくんはどこかぎこちない。

 それでも、二人の八百屋さんごっこは続く。

 クゥちゃんが八百屋で買い物を終えたころ、私は一本のお遊戯会を見たような心地になって、何気なく部屋の中を見渡してみる。

『ほら、おおさわ君。勇気だせって!』

 部屋の入り口あたりで、男の子三人と女の子二人がようたろう君の背中を押している。

『で、でも俺、あの子の泥団子壊しちゃってすごい怒られたし、かいと君も怒ってたし、大丈夫かな……』

 話をよく聞いてみると、どうやらようたろう君はクゥちゃん達に謝りたいみたいだ。

『大丈夫だよ。瑞穂みずほ先生も言ってたじゃん。悪いことしたら、ちゃんと謝りましょう。って』

『そうだよ。謝れば許してくれるよ』

 周りの子は泣きそうになっているようたろう君を元気付けている。

『うん。俺、やってみる!』

 しばらく何かを悩んだようたろう君は、胸に付いている名札を見たあと、大きな声で言った。

 そしてずんずんとクゥちゃんとかいと君の元へ歩き出した。

『ねえ? もうちょっと安くできません?』

『そ、そんなこと言われても。ダメですよ奥さん』

『——ねえ!』

 八百屋さんごっこが終わり、今度は魚屋さんをしていた二人に、ようたろう君は勇気を振り絞る。

『……何?』

 笑顔が一転、クゥちゃんはようたろう君を睨みつける。かいと君は二人の顔を交互に見ている。

『あの……』

『あたしたち忙しいんだけど』

 忙しい。クゥちゃんのツンと澄ました言い方に私は思わず笑ってしまう。

『ご……ごめんね!』

 大きな声とともにようたろう君は勢いよく頭を下げる。

 本当はみんなと仲良くしたいのだろう。それを見たかいと君の表情がフワッと優しいものになる。

『やだ!』

 ようたろう君の頭のてっぺんを見ながら、クゥちゃんはようたろう君に負けないくらい大きな声で言った。

『……え?』

 部屋の中が、しん、と静まり返る。

 許してくれると思ったのだろう。ようたろう君も、かいと君も、ようたろう君の背中を押してあげた男の子たちも、みんな呆然としていた。

『だって、だって、私が大切にしてた泥団子、壊したんだよ! ずっとずっとずっと大切にしてたのに!』

 感情が昂ったのか、クゥちゃんの目から涙がポロポロ溢れる。声はどんどん大きくなって、ほとんど金切声のようになる。

『クゥちゃん、ほんとにごめんなさい!』

 ようたろう君はクゥちゃんの圧に負けずに、頭を下げ続ける。ようたろう君のその姿勢に、私は胸が苦しくなる。

(クゥちゃん、許してあげて。)

 心の中でそんなことを思う。

『クゥちゃん、許してあげよう……』

『——絶対やだ!』

 かいと君の声を遮って、クゥちゃんは叫ぶ。そしてようたろう君のスモックを掴んで引っ張った。

『あ!』

 ようたろう君は姿勢を崩して倒れる。

 静まり返った部屋が、急にざわつきだす。

『いけないんだー!』

『クゥちゃんがおおさわ君に乱暴したー!』

 クゥちゃんとようたろう君の周りを園児たちが取り囲んで、口々にクゥちゃんを非難する。

『あら? みんなどうしたの?』

 騒がしい部屋に、大人の女性が血相を変えてやってくる。

『あ、瑞穂せんせい!』

 騒ぎを遠巻きに見ていた女の子が今やってきた人を指差す。

 この人が、瑞穂先生。

 私はなぜだか、ずっと昔からその人を知っているような気がした。

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