第22話 【1年前の快斗②】
授業と授業の
俺はその十分間、時間が許す限りダイバの席に向かっていた。いや、正確には、ダイバの後ろに座っている茉莉ちゃんの席。
「お、どうした快斗?」
茉莉ちゃんを視界の隅に捉えながら、俺はダイバとの会話を始める。俺の言葉は、ダイバじゃなくて茉莉ちゃんに届くように。
「いや、今日の体育でバスケットシューズ貸してもらえないかなって思ってさ。それ、昨日恵太から貸してもらったやつだろ?」
俺はダイバの机の横にかかっている袋を指差す。もちろん、これはただの口実。
「そうだけど、足のサイズいくつだっけか?」
「26.0だね」
ダイバが靴が入っている袋に手を入れてゴソゴソと中身を取り出す。黒地に赤のキレイなデザインの靴が一足、机の上に置かれた。
「あー、それだと合わないかもな。俺は27.0か27.5なんだけど、それでもちょっとデカくて靴紐をしっかり結ばないといけないんだよな」
「そうか。それは仕方ないね」
俺はガックリと肩を落とす。少し大袈裟なくらいに。
「それにしても、そのバッシュって大きいよね〜。靴のサイズっていくつ?」
ダイバの後ろに座っている茉莉ちゃんが身を乗り出し、ダイバの手からバスケットシューズを取った。
「たしか29.0とか言ってたかな?」
「えっ! すごい大きいんだね。栗原くんだからかな?」
数字に驚いた茉莉ちゃんは、持っているバスケットシューズと自分の左手の大きさを比べる。
「多分恵太だからだな。身長測定の時に聞いたら181cmあるって言ってたぞ。だから足も同じようにデカいんだろうな」
ダイバは茉莉ちゃんのほうを向いて、一緒に靴をいじり始める。まるでカップルみたいに。
「181cmもあるの? すごいなあ。何を食べたらそんなに大きくなるんだろうね?」
俺は茉莉ちゃんの隣の席から椅子を引っ張って2人の席に近づけ、会話に参加する。
「さあな。
……あ、俺さ、前からちょっと疑問に思ってたんだけど、なんでバレーとかバスケやってるやつってあんなに背が大きいのばかりなんだろうな?」
ダイバの疑問に俺は少し考える。
茉莉ちゃんも俺の隣で同じように「うーん」と声を漏らしながら考え込んでいた。
「やっぱり背が高くて上手い人がレギュラー獲りやすいからじゃないの?」
これは茉莉ちゃんの意見。
「プロだとか強豪校なら小野澤さんの言うこともわかるんだよ。同じくらい上手かったら身長が高い方が有利だしさ。でも、そこら辺のバレー部にいるやつも大体背が高いだろ? それが不思議でさ」
ダイバの言葉に、茉莉ちゃんは「なるほど……」と頷いた。
「あれだろ、背が高いから自然とバスケとかバレーに興味を持つんじゃないかな?」
「なるほど……さすが乾くん」
俺の回答に茉莉ちゃんが唸る。
茉莉ちゃんに「さすが」と言われて、頬が緩んだ俺はダイバの方を見る。
「たしかにそういうやつもいるだろうな。でもさ、恵太は中学生からバスケを始めたって言ってたけど、小学生のときまではクラスで一番背が低かったらしいぞ」
ダイバの反論に俺は少したじろぐ。そんな具体例が身近にあるのはズルいだろ。
「サーちゃんにも聞いてみよっか」
そう言うと、茉莉ちゃんが楓ちゃんを呼ぶ。
「サーちゃん! ちょっといい?」
楓ちゃんは教室の隅っこで恵太と何かを話しているようだった。
「えー? どしたの?」
「いいからいいから!」
楓ちゃんと恵太は茉莉ちゃんの手招きに従うように俺たちの元へとやってきた。
「何?」
楓ちゃんが茉莉ちゃんの後ろの席に座り、俺たちの方を向いて言った。
「佐々木っちってバレー部だったよね? いつ頃バレーを始めたの?」
ダイバが楓ちゃんに言う。
「え、ウチ? 中学生に上がったときからかな。当時は新しいこと始めたかったんだよね」
「ちなみに今の身長は?」
「170cmだけど……」
「えっ、そんなにあるの!? すごいな」
「ちょっ……! 快斗くん声が大きいって!」
「ご、ごめん……」
思わず大きな声をあげた俺に、楓ちゃんは慌てた様子で唇に人差し指を当てる。もしかして、身長のことを気にしてるのかな?
「へえ、前から背高いなって思ってたけど、サーちゃんってそんなに高いんだ。スタイルもいいんだしモデルとかやってみたら?」
「ええ〜? モ、モデルなんか務まらないよ。ウチは背が高いだけだからさ……」
顔を真っ赤にしながらも満更ではない表情を浮かべる楓ちゃん。
「えっと、佐々木っちの中一の頃の身長っていくつだった?」
「えっと中学生のときは……145cmとかそんなもんだったよ」
「あれ? サーちゃんって中学生の頃はめちゃくちゃ背が高いわけじゃないんだね」
茉莉ちゃんが楓ちゃんの体を足先から頭のてっぺんまで眺めて言う。
「ふむふむ、ということは……佐々木っちはバレーを始めてから背が伸びたって解釈でいいのかな?」
「う、うん。まあ……そうなるのかな?」
楓ちゃんの言葉を聞いて、ダイバが顎をさする。
「となると、快斗の言った意見も否定はできないけど、バスケやバレーを始めたから背が高くなったという俺の話は、あながち間違ってないんじゃないか……?」
「でもさ、今のところ恵太と楓ちゃんの二人だけじゃないか。それだけで決めつけるのはよくないと思うな」
俺は反論する。もちろんダイバの話も完全に否定はできないかもしれないけど、バスケとかバレーをやっていたからって背が伸びるのは変だろ。
「佐々木っちはバレーを始めてから20cm以上も背が伸びたんだぞ?」
「楓ちゃんが特別なだけかもしれないよ?」
「譲らないな」
「まあね」
俺とダイバの視線がぶつかり合う。ぶつかった場所では、多少なりとも火花が散っているような気がした。
「あの〜、乾くん? ダイバくん? そろそろチャイム鳴っちゃうよ……?」
ダイバに投げかける言葉は何にしようかと考えていたとき、茉莉ちゃんが俺たちの間に散っている火花を消すように割り込んできた。
教室の時計を見る。と、同時に心がズキっと痛む。
——そうだ。この日から茉莉ちゃんはダイバのことを苗字ではなくあだ名で呼び始めたんだ。
「あれ? 茉莉? 今……」
楓ちゃんが俺と同じことに気づいた。
「彼といつの間に仲良くなったのかな?」
楓ちゃんの長い手が茉莉ちゃんの肩に絡む。
ビクッと肩を震わせる茉莉ちゃん。
——そんなに焦らないでよ。
そう思う俺の心はどこ吹く風。茉莉ちゃんの顔はみるみるうちに真っ赤になるんだ。
「ち、違うよ? せっかく席が近いし、いつまでも苗字で呼び合う仲なのも変かなって思ってさ。それに……昨日は助けてもらっちゃったし」
茉莉ちゃんの声が次第にか細くなっていく。消え入りそうな声で伝えていることがなんなのか、もう俺はわかっている。
——わかってたんだ。この時からずっと。俺はずっと、知らないフリをしていたんだ。
「別に“ダイバ”に君付けなんかしなくてもいいぞ。ダイバって呼んでくれ。あだ名に君付けされるとムズムズするんだよ」
「え? いいの?」
「おう。遠慮なくどうぞ」
「じ、じゃあ……よろしくね。ダイバ」
「よろしくな。茉莉」
「えっ? ま、茉莉?」
「あ……嫌だったか?」
「ううん。いきなり下の名前で呼ばれたからびっくりしただけ。すっごく嬉しいよ」
そう言うと茉莉ちゃんは下を向いてしまった。恥ずかしさからか、前髪をいじったり、鼻に手をかけたりしている。
「茉莉。お昼休み、覚悟しておいてね」
「ええ? サーちゃん、やっぱりわかっちゃった?」
「茉莉ってばわかりやす過ぎ。本当に可愛いなあ」
「ん? なんの話? 教えて佐々木っち〜」
「あはは〜? ダイバくんには関係ないことだよ〜?」
今この場にいる人間で楓ちゃんと茉莉ちゃんのやりとりの意味がわかっていないのは、きっとダイバだけ。
俺は雷鳴を遠くで聞いているような焦燥感に襲われる。心が何かに追い詰められる。
——本当は、茉莉ちゃん、昨日君を保健室に運んだのはダイバだけじゃなくて——!
カッコ悪い。自分でもそう思う。こんなことは自分から言うべきじゃない。
でも、今言わなきゃ。きっと一年後の俺は後悔する。
口を開く。
(昨日、君にいちごミルクをあげたのは——!)
真実は、茉莉ちゃんには届かなかった。
……なぜって?
*******
寝汗でぐっしょりと濡れた毛布をどかして体を起こす。
時刻は十六時四十分。
俺は夢の中でもう一度、大好きなあの子を諦めなければならなかったんだ。
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