第21話 【快斗4】と【1年前の快斗】
朝。
目が覚めたら、本当なら学校に行く支度をしているはずなのに。
今はベッドの上でボーッとしている。
朝。たしかに朝だ。太陽の光がカーテンの隙間から部屋に入ってくる。眩しくて目を細める。
太陽の光で回転し始めた俺の脳みそは、よせばいいのに、色々なことを俺に教えてくれる。
茉莉ちゃんとダイバが放課後の教室に二人きりでいたこと。昨日ヒデさんと再会したこと。そしてヒデさんに嘘をついて、ヒデさんから逃げてしまったこと。
——最悪だ。全てがうまくいかない。
「快斗ー? まだ寝てるの?」
ドア越しにお母さんの声が聞こえた。俺はそれに応えることもせず、ただベッドの上の緩慢さの延長線上にいるだけだった。
気まぐれを起こして、時計を見てみる。日付は七月八日の水曜日。時刻は、八時半を過ぎた頃だった。
——遅刻だ!
理解した瞬間、体の芯の部分がキュッと締め付けられたような感覚に陥る。皮膚の上を冷えた何かが通り、鳥肌が立つ。
少し遅れて体がバネのように跳ねた。心臓がいつもよりも大きく鼓動を打つ。
机の上に広げたままの教科書をまとめる。ペンと消しゴムを筆箱に入れて、ベッドの横に無造作に置いてあったカバンを手元に寄せる。
その瞬間、机の上にいるダイバと目があった。
写真の中には、俺と恵太とダイバ。そしてバレー部の
この写真を撮ったのは高校一年のとき。俺が茉莉ちゃんを好きになってちょうど半年が経った頃に撮られたもの。
——この時はよかったな。
そんなことを思いながら、俺はベッドの上に戻る。
「ちょっと! 体調悪いの?」
ドア越しにお母さんの声が聞こえる。
「……うん。ちょっとね」
俺はうわ言のように呟いて、もう一度眠りについた。
俺は今日、
*******
俺は教室にいた。日付は……五月十四日の水曜日。
夢。これは夢だ。そう気づいたのはついさっき。
目に映る全てがあまりにもリアルで、自分の思い通りに体を動かせるものだから、俺は寝坊なんかしていなくて、普通に学校生活を送っているものだと思っていた。
「ねえねえ快斗くん! ちょっといいかな?」
なぜ夢だと気づいたのか? その答えはこの声の主にある。
今俺に話しかけてくれたのは、
教室に楓ちゃんがいて、俺に挨拶をしてくれたとき、夢だと気づいたんだ。だって俺たちが二年生になった今、楓ちゃんとはクラスが別々になってしまったから。
「おはよう楓ちゃん。どうしたの?」
今の言葉も、俺の意思で出している。どういう原理なのかはわからないけど、それでもこれは夢なんだ。
「おはよう。茉莉のことなんだけどね……」
楓ちゃんがモデルのようなスラッとした体を俺に近づけて、小さな声で言う。
楓ちゃんは人と触れ合うときの距離感がすごく近い。茉莉ちゃんと出会っていなければ、もしかしたら楓ちゃんのことが好きになっていたかもしれない。そう思うくらいだ。
「小野澤さんがどうしたの?」
制汗剤なのか香水なのかはわからないけど、いい匂いを纏っている楓ちゃんに対して俺は冷静を装って答える。
「茉莉ってさ、このクラスが始まってしばらくはすっごい暗いというか、無愛想というか……なんか怖かったよね?」
「まあ、たしかにそうだね」
本当なら、好きだった人に対して“暗い”とか、“無愛想”だなんて言葉を使いたくないけど、俺は素直に答えた。
なぜなら俺の茉莉ちゃんに対する第一印象は、楓ちゃんの言う通り『怖い人』だったから。
なぜ怖い人なのかと言うと、わからなかったから。人は得体の知れないものを遠ざけようとするらしいけど、もしかしたら俺の茉莉ちゃんに対する『怖い』はそういうことだったのかもしれない。
少し大袈裟な言い方になってしまったけど、簡単に言えばどんなキッカケで怒り、笑い、泣くのか。それがわからなかったんだ。だから、怖い。
「昨日さ、茉莉がバスケの時に隣のクラスの子とぶつかって倒れちゃったでしょ? 茉莉はさ、昨日もそうだけど、ツイてない高校生活を送ってるんだよね……」
いつも元気な楓ちゃんの顔が、少しだけ真面目になる。
「ツイてない高校生活?」
俺の言葉に、楓ちゃんは俺にぐっと近づく。
「これはね、あんま人に言いふらさない方がいいことなんだけどさ……」
耳元に吐息がかかる。ダメだ。話にちゃんと集中しないと。俺が好きなのは茉莉ちゃんなんだから……。
「茉莉ってさ、ダイバくんの挨拶を無視したり、クラスのみんなと積極的にコミュニケーションを取ろうとしてなかったでしょ?」
「うん。まあ、そうだね」
「これには理由があって、茉莉のおばあちゃんがつい最近亡くなっちゃったんだって」
「そうなの?」
「うん。茉莉ってとってもおばあちゃん子らしくてね。それで元気が無くなっちゃって、暗くなったんだって。
だからね、直接的な原因ではないかもしれないけど、昨日倒れた後、なかなか目覚めなかったのもそういうストレスみたいなのが積もり積もって……みたいな?」
「そうだったんだ……。というか、なんでそれを俺なんかに話してくれたの?」
「えっ? いや、それは……」
俺の疑問に、妙に焦った様子の楓ちゃん。
大きな目を上に動かしてしばらく何かを考えたあと、楓ちゃんは口を開いた。
「あのね……実はウチもクラスが始まったばっかりのときに、茉莉に挨拶したの。でもダイバくんと一緒で、ウチもガン無視されちゃってさ」
楓ちゃんは笑いながら言う。
そうだったのか、と思うと同時に、無視されたのに茉莉ちゃんと楓ちゃんが下の名前で呼び合う仲になれたことにも驚いた。俺だったら……どうだろう? 女の子ってそういうものなのかな?
「でもね、乾くんが茉莉に挨拶をし始めてから、徐々にあの子が元気になっていったの。これはつまり、乾くんは、ウチとかダイバくんよりも茉莉の笑顔が引き出せる人ってことなの!」
「え? いや、急にそんな……元気を引き出せるって……」
俺は戸惑いながらも、心は軽やかなステップで踊る。
「とにかく、今の茉莉はそんなこんなでけっこう……センチメンタル? だから乾くんが積極的に茉莉に話しかけて、元気付けてあげてね! じゃね!」
楓ちゃんは勢いに任せてそう言うと、自分の席へと戻ってしまった。
「元気を引き出せる人……か」
俺は椅子にもたれかかり、教室の天井を見上げる。
——楓ちゃんの話を真に受けて、調子に乗って話しかけてもいいのかな? 馴れ馴れしいと思われないかな?
いや、もしかしたら、今ある元気を引き出せる人という嬉しいレッテルが剥がされてしまうんじゃないか。そんな、ネガティブなイメージが頭の中を覆い尽くす。
——どうして好きな人のことになると、他の人にするようにできないのだろう。
『キーンコーンカーンコーン』
そんなことを考えながら、俺は予鈴を聞いていた。
もうそろそろ茉莉ちゃんが部室から教室にやってくる頃。
——そうだ。俺の一日はまだ始まったばかりなんだ。
大事なことも忘れて、俺は大好きなあの子が来るのを一年前の教室で待っていた。
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