第19話 【ダイバ12】
やたらとハイテンションな友達への対応は、その日の自分の体調によって変わる。そう思った。
「おはようダイバ! いい朝だね!」
教室の後ろに据え付けられているロッカーの中の世界史の教科書を出していたときだった。頼んでもいないのに、恵太は朝からとびきりの笑顔で挨拶をしてくる。
「おう、おはよう。ってか、めちゃくちゃテンション高いな。『いい朝だね』なんてセリフ、高校生活で聞くとは思ってなかったぞ」
「あはは。本当にいい朝だったから、つい」
ズレたメガネを手で戻しつつ、恵太は再度笑う。今なら適当なことを言っても勢いで笑ってくれそうな気がする。
俺は二段あるロッカーの上に座る。恵太もそれにならうように俺の横に座った。
「アヤちゃん関連でなんかいいことあったのか?」
「お、さすがダイバだね。綾子さんとさ、連絡先交換したって言ったじゃない? それで、昨日の夜に勇気を振り絞って電話してみたんだよ」
恵太の顔は終始緩みっぱなしで、この話の結末はどう考えてもハッピーエンドになることがわかる。
「おお、それで?」
「そしたらさ、綾子さんもちょうど僕と同じタイミングで連絡しようと思ってたらしくてさ! 本当にもうびっくりしたよ」
「すごいな」
「でしょ? それでね、会話も盛り上がったところで勢いに任せて、今度遊びませんか? って言ったんだ」
「もしかして、OKもらった?」
「そうなんだよ! よくわかるなダイバ」
テンションが上がったまま、恵太は俺の肩を揺すった。
「まあそれくらいならな」
「それで、ダイバにお願いがある!」
恵太の両手が、俺の肩を軽く叩いた。
「なんだ?」
「実は、今度綾子さんと遊ぶって話なんだけどさ、二対二で遊ぶことになったんだよ。それで……」
「また俺に付き添いをしてくれって?」
「そう! いやあ、持つべきものはダイバだね」
恵太はメガネの奥の瞳を輝かせる。
「まだOKとは言ってないぞ」
際限なく上がる恵太のテンションを少しでも元に戻すために、俺は真面目な顔で言う。
「え? いや、だってシノさんも誘う予定なんだよ? シノさんに会いたくない?」
シノ、という単語が聞こえた途端、俺は真面目な顔を維持することができなくなった。
「あ、やっぱり会いたいんだろ? だよね」
「それで、その四人でいつ遊ぶんだ?」
「昨日話した限りでは夏休みに入ってからってことにしてるよ。場所はまだ決めてないけど、ズーズーランド春ヶ丘か、ミズトピアあたりにしようって思ってる」
「まあ、いきなりカラオケとかボウリングも違う気がするし、それ以外でここら辺で男女で遊ぶって言ったらその辺りになるよな」
答えながら、俺は一昨日の放課後を思い出す。茉莉とも似たような会話をしていた。
「そうなんだよねえ」
「なら、ズーズーランドに行こうぜ」
どういうわけか突然、嫌な予感がした。俺は動物園であるズーズーランドに行くことを提案する。
「いいけど、なんか今のダイバ変だったよ? もしかして、水族館はあんまり好きじゃなかったりする?」
「いや、そういうわけじゃない! ……んだけどな。ははは」
恵太の問いに首を振って否定をする俺の視界に、登校してきたばかりの茉莉が映った。
「意外だ。でもとりあえずズーズーランドの方向で話を進めてみるよ」
「いやっ、本当に違うんだけどな。ははは」
頷く恵太に、俺は曖昧な返事を続けた。今の会話を茉莉に聞かれたら、俺のクラスでの立場が無くなりそうな気がしたからだ。
浮気をしているみたいでどうも落ち着かない俺の耳に、奇妙な音が届く。
「あ、綾子さんからのメッセージだ!」
奇妙な音の正体は恵太の携帯の着信音だった。
「どうしたんだろう? えっと……」
携帯を操作している恵太は、とても幸せそうな顔をしていた。
「なんかあったのか?」
何回か奇妙な音が鳴り、メッセージを無言で打ち込む恵太に尋ねる。
「あ、ごめん。えっとね、『栗原くんに悪いことしちゃったから絶対に参加するってシノが言ってたよっ!』だって」
メガネに手をかけながら、恵太はメッセージを読み上げる。
「なんだよ。謝るのは恵太にだけかよ」
「まあまあ、このメッセージが来たときはまだダイバが参加することは言ってなかったから」
「それ以外は?」
俺は少しモヤモヤしながらも、それは仕方がないよな、と自分に言い聞かせて恵太に続きを促した。
「あとは……『ちょっと夏休みの練習が忙しくなるから、七月二十五日か二十七日にしてくれると嬉しいなっ!』だってさ」
恵太の口から七月二十七日と言われて、心臓が少しだけ跳ねる。二十七日は、茉莉との約束がある日だ。
「僕は二十五日は部活があるからこの選択肢の中だと二十七日がいいんだけど、ダイバはどう?」
「……悪い。二十七日はちょっと予定が……」
茉莉を見る。窓際でメグと談笑している姿に、背中を嫌な汗が伝った。
「あ、そうなの? なんの用事? もしかしてバイト始めたとか?」
「いや、その、家族との予定がな。ははは」
恵太は嘘をつくのが下手だったけど、それは俺も同じだったようだ。うまく笑えず、口の中が砂漠のようになる。
「そうか。それなら仕方ないか」
どうやら恵太は嘘を見抜くのも苦手だったみたいで、俺の乾いた笑いにはなんの反応も示さずにいてくれた。
「うーん。困ったなあ……」
恵太は目を瞑り、長い腕を組んで唸る。
「えっと、七月の空いてる日はその二日間しかないんだよな? なら八月はどうだ?」
「それがさ、八月は僕も綾子さんたちも一週間くらい合宿に行かなきゃならなくてさ。もちろんそれでも空いてる日はあるよ。ただ、ちょっと今の段階じゃ予定が立てられないかな」
俺の意見に恵太は腕を組んだまま答えた。
「まあ、それもそうか」
「でもやっぱりシノさんも来るなら、ダイバも含めた四人で行きたいよね。それに、もしダイバが来れなくて三人で遊ぶってなったら、二対一になっちゃうしさ。そうなったら僕は終わりだな」
組んでいた腕を解いて、恵太は教室の天井を見上げる。
「終わりは大袈裟だろ」
「あはは。とりあえず色々綾子さんと話し合ってみるよ。もしかしたら僕の二十五日がなんとかなる可能性もあるし」
「仮病とか使うか?」
「け、仮病!? だめだよそれは。それに、なぜか僕の仮病は全部すぐにバレるんだよ。前に使おうと思ったら、お母さんにものすごい勢いで怒られたんだから」
俺の頭の中に、仮病が親にバレて怒られている恵太が鮮明に浮かんだ。やはり恵太は昔から嘘が苦手らしい。
「悪い悪い。冗談だよ」
「……でも、綾子さんと遊べるなら。最終手段として使うのもありかなって思ってるよ」
恵太のメガネの奥の目がニヤリと笑う。
「やるじゃん恵太」
恵太の腹を軽く叩いて俺も笑う。
「あはは。たまには、ね」
「もし予定が合えば、その時は全力でサポートしてやるよ」
「うん。頼みにしてるよ。
——あ、そうだ! 朝イチで世界史の宿題やらなきゃいけないんだった! ごめん、ちょっと席に戻るね」
恵太はそう言うと、ロッカーの上から降りて自分の机に戻っていった。
俺はロッカーの上から降りずに窓の方に目を向ける。
メグと茉莉の談笑にミッチが参加しているのが見えた。
不意に、茉莉と目が合う。
俺は茉莉の向こう側にある窓の外の景色を眺めているフリをした。そのまま茉莉の目線に気づいていない体で、教室の真ん中、教卓がある方に視線を移す。
教卓の近くの席では恵太が必死に宿題に取り掛かっていた。恵太に伊田川とその悪友がちょっかいをかける。
恵太と伊田川の悪友はしばらくじゃれあったのちに、なぜか一緒に宿題を解き始めた。
俺は廊下側へと目を向ける。
(あれ……? そういえば快斗が登校してないな。)
悪友が宿題を解き始めて、暇になった伊田川が俺の元へやってくるのが視界の隅に映った。
「よう伊田川。快斗見かけなかったか?」
俺の言葉に、伊田川は静かに首を振った。伊田川はそのままロッカーに上がり、俺の横に座る。
俺と伊田川はチャイムが鳴るまで下らない話で盛り上がっていたが、結局その日、快斗が登校してくることはなかった。
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