第13話 【ダイバ8】
俺が通う
駅までの十分間、俺は恵太とバカな話をしていた。
具体的に言うと、「クラスメイトの伊田川が四組のアイツにけしかけられて高校の近所に住み着く野良犬とタイマンを張り、それを俺と友達が暖かく見守っていたところ、僅差で伊田川が野良犬に敗北した話」や、「とうとうミッチが中間テストで全教科学年一位を取り、それを聞いた快斗がバイトのシフトを減らしたが、減らした理由を聞いたバイト先の店長がそれに感動して快斗の時給を三十円もアップさせた話」で盛り上がった。
そして駅に着いてから電車を来るまでの五分間は、久留島高校の女の子の話をしていた。
「そういえば、久留島の子のどこを好きになったの?」
「えっ!? なっ、なんでそれを?」
俺の言葉に、恵太は小動物のように肩を震わせた。信じられない、という表情を浮かべている。
「いや、今日の昼の態度と、授業終わってから駅に向かうまでの様子を見てたら……」
「……バレたか。あ、でも、元々快斗とダイバにはどこかのタイミングで話そうと思ってたから、別にバレても問題ないんだけどさ」
「一目惚れってやつ?」
「……そうだよ。一目惚れ」
恵太は小さく頷き、恥ずかしくなったのかすぐに両手で顔を覆う。「ピュアか!」と突っ込みたくなるのを抑えて、俺はさらに質問をぶつける。
「そんなに可愛いの?」
「うん。昼も言ったと思うけど……マジで女優さんなんじゃないかって思うくらい可愛いんだ」
「まあ、一目惚れするくらいだもんな。そりゃ可愛いか」
ホームのベンチに近づく鳩を目で追いながら言う。鳩は夏の日差しを避けるように日陰を歩いている。
「うん。でもさ、顔だけじゃないんだよ。優しいんだ。だってよく考えたら、忘れ物してるからってわざわざ駅まで来てくれるか?」
「まあ、そう言われたら確かにそうだな」
「それに、美人さんってどこかとっつきにくいイメージあるでしょ? お高くとまってる……とか、それこそ僕みたいな一般人は相手にしてませんから。……みたいな。ところがどっこい! 彼女は違うんだ」
恵太の熱が、夏といい勝負をし始める。さっきまで俺のそばで首を動かしていた鳩は、いつの間にかどこかへ飛んでいってしまった。
「可愛いだけじゃなくて優しくて、明るく分け隔てないって感じでさ。そこがまたいいんだよね。それから——」
『三番線に春ヶ丘行きの快速電車到着します。黄色い線の内側までお下がりください』
恵太の熱弁を遮るように駅員さんのアナウンスがホームに響く。
「あ、もう五分経ったのか。早いな」
恵太がホームにある時計と腕時計を見比べる。俺からしたらやっと来たかという感覚だが、好きな子の話をしていた恵太にしてみれば、あっという間だったらしい。
「よし。行くか」
電車はホームにつけられた印に寸分違わずに停まる。少しの間があって独特な音とともにドアが開く。車内の冷やされた空気が、俺と恵太を出迎えてくれた。
「ひゃー。涼しいなあ」
恵太が席に座りながら声を上げる。
「俺らの教室もこれくらい涼しかったらいいのにな」
「本当そうだよね。特に職員室! 自分たちの部屋はキンキンに冷やしてるくせに僕たちの教室はアツアツなの、やめてほしいよ」
「だよな」
「そういえばさ、ダイバはどうなの?」
一息ついて、恵太が言った。
「ん? どうなの、って?」
「小野澤さんとのことだよ。あ、これはイジってるとかそういうのじゃないからな」
「いや、茉莉とは別に……なんもないぞ? 確かに昨日は勉強を手伝ってもらってたけどさ」
「そうじゃなくて、ダイバが小野澤さんのことをどう思ってるか、だよ」
恵太が俺の方を向いた。
「ああ、そういうことか。どうだろうな? 正直な話、可愛いって思う瞬間はあるんだけどな。あ、今のは誰にも言うなよ?」
「おお、言わないよ。……でも好きではない?」
「うーん、好き……なのかなあ。よくわからないんだよな。それに、軽々しく異性を好きって言っちゃいけないような気がしてさ」
「そうなんだね。ダイバは変なところで真面目だなあ」
笑いながら、恵太は話を続ける。
「多分小野澤さんは、ダイバのことが好きなんだと思う。これは恋愛とかそういうのに鈍感な僕でもわかるよ」
恵太の言葉に、心臓が大きく跳ねたような気がした。
なんとなく、そんな気はしていたけど。でもそれを自分から確かめる術はないし、わざわざ答え合わせをする必要もないと思っていた。でもいざ、誰かにこうやって言語化されると、どうしても意識してしまう。
茉莉の笑顔が脳裏に浮かんで、消える。
「……ん、待てよ? これ、ダイバに言っちゃダメか?」
何も考えられなくなった俺がボーッと電車の中吊り広告を見ていると、恵太が「うーん」と唸り出した。
「どうした?」
「いや、なんか、こういうのはやっちゃいけないネタバレなんじゃないかって思ってさ。なんだか小野澤さんに申し訳なくて……」
恵太はそう言うと短い髪をかき上げる。
「気にすんなよ。別に恵太の言葉で俺と茉莉がどうにかなるわけじゃないしさ」
「そうか。それなら良いんだけどさ」
恵太は髪を触るのをやめて、ホッと胸を撫で下ろすように息を吐いた。
「それよりも今は久留島の女の子だろ? さっきの熱弁を聞いてたら、本気で好きになったんだなって伝わってきたからさ」
「本気か。そうだね。僕だって今まで誰かを好きになったことはある。でもそれはいつでも、そばにいる誰かだったりしたんだ。それが、遠く離れた見知らぬ誰かを一目で好きになるなんて……。自分でも信じられないや」
向かいの席に備え付けられた窓の外の景色は、俺たちの意思とは別に時速八十キロで過ぎ去ってしまう。それを目で追うこともせずに恵太は続ける。
「今から彼女に会いに行く。ただ忘れ物を取りに行くだけだってわかっているけど、なぜか恥ずかしくて、それでも今すぐに会いたいって思う自分がいて。
色んな想いが入り混じって、自分でもわけがわからなくなる。でもこれだけははっきりわかる。俺は彼女のことが好きなんだ。まだ名前も知らないけど」
今の恵太の言葉は、俺との会話の中で生まれたものではなく、恵太自身の気持ちを整理するために生まれたのだと思う。
俺の友達は、少しずつだけど大人になっていっている。そんな気がした。
「青春だなあ」
「青春だねえ」
他人事のように呟いて、同時に吹き出した。
『まもなく久留島。まもなく久留島、です。お出口は右側です』
目的の久留島駅に、もうすぐ着くようだ。
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