第12話 【シノ】

 久留島高校は、とてもいい学校だと私は思う。雰囲気もいいし、行事も盛ん。クラスメイトはいい人たちばかりだ。

 不満があるとしたら……

 去年の三月のこと。

 私は閉じこもってた殻を破るように、この街、久留島に来た。退屈だった中学校生活の終わりと共に、文字通り新生活を始めたんだ。

 どこか懐かしくて、苦くて、楽しい。私の青春はここにあるんだって思えるような日々。

 私はときどき、本気で思う。久留島高校に通えて本当によかった——って。


「シノ〜! 自主練行こっ!」

 今日の授業全てが終わり、あんなに静かだった教室がずいぶんと賑やかになる。その中でも一際元気だったのは、私の友達である、もも あやだった。

「ちょっと待って。もうちょっとで支度できるから。それにしても綾子は元気だね」

「私は勉強よりも部活ってカンジだからねっ! 放課後のことを考えながら授業受けてるもん。

 ……それに、今日は瀬田西高校の人と会う約束してるから余計に元気でいなくちゃ! ね?」

 綾子の言葉に、私の脳内に「?」マークが浮かぶ。

「瀬田西高校? 何、その話。初耳なんだけど」

 私の疑問に、綾子の口はみるみるうちに広がっていった。

「……言ってなかったっけ? 一昨日、ウチにバスケの靴を忘れた人の話」

「聞いてないわ。……あ、それで自主練しようって言い出したのか。休みはしっかり休みたい! って言ってた綾子が珍しいなって思ったんだ」

「……さすがシノ。鋭いね」

 綾子の目が大きく開いた。

「それで、綾子は私に何をお願いしたいのかな?」

「一昨日、瀬田西高校のバスケ部がウチの高校に来たのは知ってるよね? で、その瀬田西の人がバスケの靴をウチの体育館に忘れちゃってさ。それを私が見つけたんだ」

「なるほど。もしかして、日曜の練習が始まる前に綾子が駅前に行ったっていうのは……」

「シノってほんとにすごい……! そうだよ。今なら間に合うって思って、忘れ物を届けようとしたんだ」

 私は頷きながら日曜のことを頭に浮かべる。そういえば、駅前から帰ってきた綾子が「バスケの靴忘れたあー! 私のバカー!」なんて言っていたことを思い出す。

「もしかして……」

「わかっちゃった?」

「うん、わかっちゃった。私たちはバドミントン部なのに……なんでバッシュ? 綾子は一体何を言ってるのかしら? って思ってたから」

「う〜、お恥ずかしい」

 綾子が両手でわしゃわしゃと髪をかき乱す。肩まである綺麗な髪がサラサラと揺れる。それでも絵になるから美人ってすごい。私が綾子と同じことをやったら、悲惨な結果になりそうだ。

「というわけで、私が渡し損ねたバスケの靴を今日渡しに行くんだ。場所は久留島駅。——お願い! シノ、私と付き合って!」

 綾子は顔の前で手を合わせて、不安げな表情で私の目を見る。

「まあ、元々今日は何も予定がなかったしね。綾子の頼みならしょうがないか」

「ほんと! よかったあ〜。実は、私一人じゃ心細かったんだよね」

 綾子が笑顔で私の手を取り、ぴょんぴょん跳ねる。

「わかったわかった。というか、心細いって、バッシュ渡すだけでしょ? もしかして怖い人だとか?」

 私の言葉に、跳ねるのをやめた綾子は首を振る。

「ううん。怖い人じゃない……かな。むしろ良い人だと思う。少なくとも見た目は。ただね、私がちゃんと靴を渡せていればまた久留島に来なくて済んだって思うと、なんだか申し訳なくって」

 綾子はそう言うと、小さくため息をつく。

「まあ、そもそもの話、その人が忘れ物をしなかったら綾子が駅前まで行かなくて済んだんだから、おあいこってことでいいんじゃない?」

「シノ〜。やっぱりシノは優しいねっ。ありがとう」

「それに、その人は良い人そうなんでしょ? 話せばわかってくれるって」

「そうだね。うん」

「さ、とりあえず部室に行こう」

 私はカバンを持って綾子の背中を押す。

「あ、おーい! もも、シノ!」

「ちょっと待てよ!」

 部室に向かおうとする私たちの前に、クラスメイトのヤスとミキヤが立ち塞がる。

「やっほ、二人とも。どうしたの?」

 綾子はひらひらを手を振って答える。

「よう。いや、今日さ、どっか遊びに行かね? お前ら二人とも部活休みっしょ?」

 ヤスが言う。

 私は正直に言って、ヤスとミキヤが嫌いだ。どこか浮ついているというか、こっちのことも考えずにグイグイくる感じが嫌い。

「ごめんね! 今日は予定があるの!」

「予定? 予定ってなによ?」

 二人の間を通ろうとする綾子を、ミキヤが止める。

「デート」

「は? 誰と?」

 ヤスが信じられない、と言いたげな表情を浮かべる。表面上は毅然としているけど、よく見ると動揺しているのがわかる。

「……シノとだよっ! あはは、ドキッとした?」

「ちょ、びっくりさせんなよ〜」

 綾子はモテる。だからこういうやからの扱いは慣れてるのだろう。私だったら、どうやっていなせばいいのかわからない。

「シノとどこ行くの?」

 ミキヤが言う。

「んー、とりあえずシノの家に行こうかなって思ってるよっ」

 綾子がサラッと嘘をつく。うまいな、と素直に思う。私は駅前に行くことを知っているからいいけど、ヤスとミキヤは絶対に嘘だと気付かないと思う。

「家? うわー、シノの家行ってみたいな〜。ね、俺も行っていい?」

「ダメ」

 私はヤスとは違って、中身も毅然とした態度で断る。この二人だけは本当に家にあげたくない。

「ええ〜。いいじゃん。退屈させないからさ」

 私が断ったのは、退屈するしないの問題じゃないのだけれど、ミキヤはわからないんだろうな。

「おいミキヤ。あんまガッツクなって」

 ヤスがミキヤを止めて、私の方を見る。ヘタクソなウインクさえ無ければ、私のヤスに対する好感度も少しは上がったのに。

「そうそう。ミキヤくん、そんなんだとシノに嫌われちゃうよ?」

「いや、それはヤバイわ」

「でしょ? ってことで、シノは今日一日私が独占するからっ! 二人ともごめんね」

 綾子はわざとらしく私の腕に抱きついてきて、教室の外へと歩き出す。私もそれに合わせて足を動かした。

「おい、もも! 今日の夜連絡するから! 暇な日教えろよ!」

 しばらく歩いた後、後ろから大きな声でヤスが言う。

「はいはーい。暇な日になったら適当に連絡返すねっ!」

「おい、それじゃ意味ねえって!」

「ウソウソ! わかったよ〜」

 歩きながら適当な会話を交わして、私たちは階段を下る。


「……シノ、ごめんね。ヤスがしつこくってさ」

 踊り場に着いた途端、綾子の顔から笑みが消えて、私に頭を下げる。

「いや、気にしてないよ。それに、誰が悪いか決めるとしたら、あの二人だから」

「シノ……ありがとね」

 私の言葉に、綾子の暗い表情が元に戻る。そして、何かを思い出したような顔をした。

「あ、そうだ。……ミキヤくんって、本気でシノのこと狙ってるらしいよ? 気をつけた方がいいよ」

「うわ。……嘘でしょ?」

「いや、残念ながらほんと。……っていうか今のシノの顔、すごかったよ?」

「ミキヤくんのこと、どうも苦手なのよね」

 私は綾子がすごいと言った顔を両手で覆いながら答える。本当は苦手じゃなくて、嫌いなんだけど。

「ヤスも、でしょ? まあ、あの二人のことはなんとなくわかるけどね」

「にしても綾子はすごいね。よくあの二人をいなせるっていうか……やっぱり綾子って、モテるんだなって」

「むー、好きだって言ってもらえるのは嬉しいけどさ。でも、ほんとに、心の底から素敵な人にモテなきゃ意味ないよっ!」

 綾子はぐーっと伸びをしながら答える。ひとしきり伸びをした後、ふーっと息を吐いた。

「なるほどね。確かにモテるだけじゃ意味ないか。ってことは、この前告白された先輩も……?」

 先週の金曜日に、綾子が「テニス部の貴公子」とかなんとか呼ばれている先輩に告白されたことを思い出して、思わず聞いてみる。

「うーん、そうだね。確かにあの人は……顔はカッコいいかもしれないけど、ただ私を彼女にしたいだけって感じがしたんだ。ステータス……みたいな?」

「そう。それはやめた方がいいかもね」

 美人は美人なりの苦労があるんだな、と思いながら階段を降りる。

「綾子って、どんな人が好きなの? もしくは、どういう人を好きになるの?」

 これだけモテる人は将来どんな人と生涯を共にするのか、それが気になって私は尋ねる。

「うーん。ビビッと来た人……かな? ヤスも先輩も私の顔が好きだって言ってたけど、それだけじゃ足りないんだよね。それだけじゃ、私の中の『何か』が動かないんだ」

 一階の窓に手をついて外の様子を眺める。その様子を忠実に描写できたとしたら、きっと素晴らしい絵画になる。そんな風に思ってしまうくらい、日差しや風、校舎でさえも、全てが綾子の味方だった。

「これから会う瀬田西高校の人、素敵な人だといいね」

 私もなんだかいい人になりたくて、普段なら恥ずかしくて言えないようなことを言ってみる。きっと私も、その絵画の一部になりたかったんだ。

「ありがと」

 風が綾子の髪を揺らす。遅れて、私の髪も。

 ——今日会う人はどんな人なんだろう?

 風に靡く髪を手で抑えることもせずに、私はそんなことを思う。


 この高校はとてもいい学校だと思うけれど、私の不満の内の一つは、心の中の『何か』を動かすような素敵な人が、私のそばにいないことだった。

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