第9話 【ダイバ6】

「あ、ダイバおかえりー!」

 教室のドアを開けると、茉莉の元気な声が飛んできた。

 よく見ると茉莉、茉莉と仲の良い女子二人、快斗、恵太の五人が俺の席の周りを囲んでいた。

 茉莉、快斗、恵太の三人はわかる。今日はそれに加えて、 と茉莉と同じバドミントン部に所属しているさか めぐみがいた。

「よう。今日はミッチ達もいるんだ。珍しいな」

「お、ダイバくん。いやね、たまには茉莉の席の近くでお昼を食べようってメグと話しててさ」

 ミッチこと諏訪 美智香は、メガネをくいっと動かし、澄ました顔で言った。

「そうそう。いつもは茉莉が廊下側にある私たちの席に来てくれてるからね。それで移動したら、恵太くんがみんなで食べようって誘ってくれたんだ」

 そう言うと、メグこと古坂 愛は、卵焼きを頬張った。

「なるほどな。で、みんなで何の話をしてたんだ?」

「いやそれがさ、ちょうどダイバの話をしてたんだよ」

 俺の問いに恵太が答える。

「え? 俺?」

「そう。今日の国語の授業が終わったあとにサキちゃんが『ダイバは昼休みになったら私の元に来るんだぞー』って言ってたから、何かあったのかな? ってさ」

 恵太の言葉に、周りのみんなは同じように頷いた。

「ああ、そういうことか。別に怒られたとかそういうわけじゃないぞ。プリントを提出しに行っただけ」

「プリント?」

 メグが首を傾げた。

「そう。昨日数学のノートを提出しに行ったときに崎山先生に捕まって、色々と話してたらなぜかプリントをもらってた」

「どういうプリントだったの?」

 恵太が言う。

「ただただ古典の問題が詰まってる悪夢のようなプリントだった」

「あはは。悪夢って、大袈裟だなあダイバは」

「いや、俺にとってはマジで悪夢だったんだよ。一人じゃ絶対に解けなかっただろうな」

「あ、誰かに手伝ってもらったの?」

「まあな」

 ここでミッチが俺と茉莉を交互に見る。

「もしかして……茉莉?」

 ミッチの発言に、恵太とメグが驚く。そして恵太もミッチと同じように俺と茉莉の顔を交互に見つめた。

「……うん」

 茉莉が恥ずかしそうに頷いた。長い髪が揺れる。

 それを見ていた俺も、なんだか恥ずかしくなってしまって、視線を教室から窓の外に移した。

「なるほどねえ……」

 ミッチが顎に手を当ててニヤリと笑う。悪いことでも考えていそうな顔で、変な噂を立てたりしないか不安になった。

「二人きりで?」

 どうすればこの浮ついた空気を変えられるか、相応しい言葉を探しているとき、恵太が切り込んだ。

「……そうだよ」

 先ほどと変わらず恥ずかしそうに下を向いたまま、茉莉が答える。

「放課後の教室で?」

 勢いがついて止まらなくなったのか、俺と茉莉に向けて恵太が次々に質問を投げかける。

「そう」

「どんな感じで?」

「ど、どんな感じ?」

 質問する恵太。戸惑う茉莉。「それはさすがにやめなよ」と恵太を諌めるメグに、「よく聞いた!」とガッツポーズをするミッチ。

 もはや収集がつかない。俺はただひたすらに窓の外を眺めて時が過ぎるのを待っていた。こんなに昼休みの終わりを知らせるチャイムを待ち遠しく思ったことは初めてだった。

「いや、普通に勉強を教えてただけだよ? 特に進展とかそういうのはなんもないし!」

「進展? 進展って?」

 恵太を諌めていたはずのメグが動きを止めて茉莉に尋ねる。

「あ、いや! 今のは言葉のアヤ! つまりなんもなかったってこと! 安心して!」

「えー? 別に心配なんかしてないよ? 気になってるだけ」

「……っていうか、メグこそ昨日は大丈夫だったの? 急に帰っちゃったけどさ」

 茉莉が思い出したかのようにメグを指差す。

「今日の朝も言ったけど、弟が熱を出して寝込んじゃっただけだから平気だよ。でも昨日は本当にごめんね」

 メグが茉莉に頭を下げる。昨日の自主練が中止になった理由がわかった。

「……それで、どうだったの?」

「いや、だからなんもないって……」

「ね? ダイちゃん?」

 メグはくるっと俺の方を向く。

 名前を呼ばれた以上、無視を貫くわけにはいかなくて、俺は窓の外を眺めることをやめてみんなの方を見る。

「マジでなんもないぞ」

 俺の言葉に、ミッチと恵太が「いやいや」と同じように首を振る。

「いや、だって茉莉に手伝ってもらったあとは普通に解散して、そのあとは伊田川たちと駅前でラーメン食ってたしな」

「本当に?」

 メグとミッチが聞く。俺は茉莉と目を合わせて、同じタイミングで「本当に」と頷いた。

「なんだ。ダイバも僕と同じなのかと思ったよ」

「あはは」と笑いながら恵太が言う。

「ん?」

 ミッチが手を止めて恵太の方を向いた。

「恵太、お前、僕と同じとか言った?」

「えっ! いや、言ってないよ?」

 目線があちらこちらと泳ぐ。前から知ってはいたけど、恵太は嘘が下手だった。

「なんかあっただろ?」

 俺はここぞとばかりに恵太を攻める。さっき質問攻めされたという仕返しもあるが、それ以上に注目を恵太の方に移したかった。

 たとえ恵太の持つ話題が小さな出来事だったとしても、なんとか上手いことごまかして俺と茉莉の放課後をうやむやにしようとした。

「……実は、さ。今日、ダイバか快斗に頼み事をしようと思ったんだよ」

「頼み事?」

 俺が想像するよりもずっと真剣な表情で恵太が俺と快斗を見る。

 恵太には犠牲になってもらって俺と茉莉の変な疑惑を払拭してやろうと思っていた俺は、いつになく真剣な恵太の話を聞こうと崩れた姿勢を正した。

「うん。先週の日曜日、つまり一昨日だね。しま高校で練習試合があったんだ」

「うんうん」

「試合が終わって、その日は現地解散になったんだよ。僕は久留島まで電車で行ってたから、当然帰りも久留島駅から電車で乗る予定だったんだけど……」

「だけど?」

「改札を通る前に一緒に帰ってた友達に言われたんだ。お前のバッシュ、なくない? って」

「なるほど。つまり忘れ物ってことね?」

 ミッチがメガネに手をかけながら恵太に聞く。真面目なミッチは俺以上にちゃんと恵太の話を聞いていて、さながら授業を受けているようだった。

「そう。それで、僕は焦って久留島高校は戻ろうとしたんだ。と、その時……!」

 ——キーンコーンカーンコーン!

 恵太の話に段々と熱が入る。その熱量に俺や茉莉、ミッチは思わず耳を傾けていたけど、一番いいところで、恵太の言葉を遮るように昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 俺たちはみんな同じように壁にかかっている時計を見る。針は五時間目が始まる十三時より少し前、十二時五十分を指していた。小さい円の中を、秒針だけが忙しなく動いている。

 俺の後ろに貼られているガラスを風が叩く。透き通ったガラス達が、ガタガタと音を出しながら揺れる。

 突風が吹いて、止まることのない秒針を飛ばしてくれたら。秒針が気まぐれを起こして休んでくれたら。

 ——俺はこのまま、幸せな学校生活をずっと送れるのに。

 何か嫌なことがあったわけじゃない。ただ漠然と、思春期特有の、少し背伸びをして今を慈しむフリをするような、背伸びしたいがゆえの浅い感傷。

 俺はそんな、大人が聞いたら下らないと一蹴してしまいそうなことを考えながら、鳴り止んだチャイムの後に続く恵太の話を聞いていたんだ。

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