第6話 【茉莉2】

 サーちゃんがバレーの練習を始めて、わたしも自主練を開始したその直後のこと。

 準備運動を終えて何度かラリーを続けていたら、わたしの友達——メグのケータイに着信が入った。わたしもメグも着信音にびっくりしたけど、メグはすぐにラリーをやめてブルブル震えているケータイを取りに行った。

「もしもし。あ、お母さん? どうしたの?」

 メグが通話を始める。どうやら電話の相手はお母さんみたい。

 急に暇になってしまったわたしは、少し離れた場所でシャトルを真上に打ち上げる。しばらくするとコルクが下を向いて、わたしの元へ落ちてくる。

 ポン、ポン、と真上に白い羽が上がる。やっぱり試合形式でラリーをするのが一番だけど、これはこれで楽しい。

 ——もっと高く真上に上げてみよう。そんな軽い気持ちで、わたしはラケットを持つ右手に力を入れる。

 ポン! とさっきよりも少し大きな音を出して、シャトルは打ち上がる。体育館の天井に取り付けられた照明に向かってぐんぐん伸びていく。

 シャトルはある程度の高さまで上がると、コルクの部分を下向きにして落ちてくる。

 そしてこのときにはもう、どのあたりにシャトルが落ちるのか大体わかるんだけど、わたしは「しまった!」って思ってた。

 というのも、力を込めたせいか、真上に上げたはずのシャトルはわたしの意に反して放物線を描いて、体育館の二階にある細い通路に引っかかったんだ。

「うわ、やっちゃった」

 二階の細い通路へはステージの横にある階段から行ける。わたしはため息を吐いてラケットを壁に立てかけて、ステージに向かう。

 なんでもっと高く上げよう、なんて思ったんだろう。こうなるなんて、ちょっと考えればわかることなのにな。

 わたしは心の中で自分を責める。やっぱり、ちっぽけなミスをした時は心がモヤモヤするよね。

 ステージに上がって、脇に伸びる鉄製の階段の手すりに手をかける。手すりはひんやりしていて、案外気持ちよかった。

「あ、茉莉じゃん。やっほー! 何してんのこんなとこで」

 階段を登ろうとしたとき、二階にある放送室から仲の良いクラスメイトがひょっこり顔を出した。

「あ、ミッチ! やっほー。自主練してたんだけどさ、あの細い通路にシャトル引っかけちゃって」

 わたしは細い通路を指差してながら階段を一段ずつ上がっていく。

「あ〜、なるほどね」

「ミッチこそ何やってるの?」

「私はね、今度やる生徒会の準備」

 ミッチはメガネに手をかけて胸を張る。

「あ、そっか。生徒会役員か」

「そう。それで、庶務の私が体育館にある放送室の段取りを任されたってわけ」

 階段を登り切って、すぐ右手にある放送室を覗く。中にはおそらくミッチと同じ生徒会であろう人がもう一人いて、わたしを見て小さく会釈をしてくれた。

「そっか。大変そうだね」

「いや、全然だよ。会長なんかと違って私は裏方だからさ、段取りさえバッチリ覚えておけば大丈夫なのよ」

「そうなんだ。でも裏方も重要だからね。頑張れ!」

「サンキュ。茉莉も自主練がんば!」

「ありがとう!」

 わたしは放送室に背を向けて細い通路へと向かう。そういえばこの通路って、なんて名前なんだろう?

 名前もわからない通路の真ん中あたりに、わたしが打ち上げたシャトルが引っかかっていた。

 シャトルを拾って、踵を返す。

 放送室の手前でミッチに手を振って階段を降りる。

「あ、茉莉。そういえばさっきね、職員室にがいたよ!」

 後ろからミッチの声が聞こえた。

「ウソ、本当に? ……っていうか声が大きいってば!」

 わたしは慌てて唇に人差し指を当てる。その仕草でミッチは「ごめんごめん」と手を合わせた。

「さっき職員室に行ったら大量のノート抱えてたよ。それと、サキちゃん先生に捕まってたっぽいから……、あの様子だとまだ職員室にいるんじゃないかな」

「そっか。教えてくれてありがとう!」

「なんのなんの。私は応援してるからさ」

 そう言うとミッチは親指を立てて放送室の中に消えていった。

 ……どうしよう? メグには今のことを正直に言って職員室を覗いてみようか? 既に帰ってたり、まだまだサキちゃんとお取り込み中ならそれでいいし、もしもたまたま会えたら——。

 会えたら、お礼の話をしてみよう。……うん、そうしよう。

 わたしはステージから降りてラケットが立てかけられている場所へ戻る。

 メグはまだお母さんと電話で話していた。

「うん、わかった。すぐ帰るよ。友達にはちゃんと謝るってば! それじゃあ切るよ」

 しばらく会話が続いたあと、メグはそう言って電話を切る。そしてわたしの方を向いて「ごめん」と頭を下げた。

「何かあったの?」

「うん、ちょっとね。だからごめん! 私、先に帰るね」

 もしかしたら去年のわたしのときみたいに……。

「そっか。いや、大丈夫だよ。また来週練習しようよ」

 わたしは、すぐに帰らなきゃいけない理由の中で一番最悪な状況まで考えて、深くは聞かずに頷いた。

「あ、片付け忘れてた」

「いいよいいよ。五分もかからないし、わたしがやっておくから」

「本当にごめん。この埋め合わせはまたするから! ありがとう」

 メグは練習着の上から学校指定のジャージを羽織ると、制服には着替えずに荷物をまとめ始めた。やっぱり何かあったんだ。それもかなりまずい何か。

「それじゃ、また明日ね!」

 軽く手を上げてメグは体育館を後にした。わたしは遠ざかるメグの背に向かって気が済むまで手を振って、片付けを始める。

 わたしの考え通り、片付けには五分もかからなかった。

「ナイッサー!」

 バレー部の盛り上がる声が聞こえる。目を向けると、サーちゃんがみんなとハイタッチをしていた。

 ——すごいなサーちゃん。そう思いながらラケットをケースにしまう。

 わたしはこの広い体育館にたった一人、孤立してしまったような気がして、急に不安になる。

 ——サーちゃんが活躍しているから? そんな考えが不意に浮かんできて、わたしはすぐさま頭を横に振る。

 友達の活躍している姿を見て、こんな風に思うなんて最低だ。

「どうしたの楓! 今日すごいじゃん!」

 バレーのことはよくわからないけど、サーちゃんが活躍しているのはわかった。もしかしたら、サーちゃんの好きな人のおかげなのかも。

「帰ろ」

 わたしは着替えるために部室に向かう。

『がんば!』

 出口にある下駄箱に手をかけたその時、体育館の大きなスピーカーから、ミッチの声がした。

 バレー部もハンドボール部もボールの動きが止まる。急な放送に、ぽかんと口を開けて部員同士が見つめあっている。

『マイクテストです。失礼しました』

 聞き覚えのない声。多分、放送室にいたもう一人の子の声だ。

 部活が再開される。シューズと体育館の床が摩擦で擦れる音とボールの音が、あちこちから聞こえるようになった。

 ありがとうミッチ。わたしはすっかり忘れるところだった。今の嫌な空気を吹き飛ばしてくれるくらい大好きな人が、すぐそばにいることを——。

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