第9話 閉ざされし者

色を失ったモノトーンの空間。空間と同じく色を失った者はこのモノトーンの空間を認知することも干渉することもできずただ背景と同化していた。


この特殊な空間でペスカとあやしい女だけが色を失っていなかった。


「悪魔……」


女は自分の事を悪魔と自称した。いくら十二歳のペスカでも悪魔という存在が普通ではありえない荒唐無稽な存在であることは知っている。それでも女が纏う不思議かつ異様な雰囲気、なによりこの特殊なモノトーンの空間を作り出した超常的な力がペスカにあるはずのない悪魔の存在を認めさせていた。


「ええ、そうよ。私はあなたたちが悪魔と言っている存在。私と契約すればあなたはこの世のすべてを支配できるかもしれないとてつもない力を得られるわ」


「力……」


悪魔女の蠱惑的な声がペスカの心を揺らす。


「そうよ。私の手を取って。それだけであなたはこの世界を統べる、王になる権利を得られるのよ」


「……」


悪魔女の優しく誘う声にペスカは言われるまま手を伸ばし、かけて途中でぐっと拳を握った。ペスカは女の手を取らなかった。


「あら……どうしたの」


自分の誘いを拒んだペスカに悪魔女は心底驚いた表情を見せる。普通の男ならこのセックスシンボルのような女に誘われ手を伸ばされれば本能のまま何も考えずその手を取ってしまうだろう。


しかし、ペスカは第二次性徴前の十二歳の男の子。しかも人間の暗部をその小さい体に全面で受け止めさせられてきたかわいそうな男の子である。


人間など、救いなど信じれるわけがなかったのである。


「そもそも僕は力なんて欲しくはない。このまま死ねるなら、それで構わない。それに……」


「それに」


ペスカは一度言葉を切り、悪魔女の顔色を窺った。悪魔女にペスカを攻撃する敵意、ペスカを買ったカエルおじさんやデリオロと同じ全身を絡めとる気味の悪い感情は感じられなかった。


ただ心底、ペスカという人間に興味があるといった感じだった。


「どうして僕にそんな優しくするの。僕に優しくして悪魔、さんに何の得があるの」


ペスカは知っている、いや骨の髄までわからされた。


自分はか弱い子供、何の力も持たないただの人間。


そんな男の子の前にたまたま窮地に悪魔が現れ、何の見返りもなく自分を救ってくれる。世界を征服できるほどのすごい力を与えてあげるなんて、そんなご都合主義満載の話、あるわけがあないのだ。絶対に。


「あらあら、まだ若いのに夢のない坊やだこと」


自分の誘いを拒み、自分の話を疑うペスカを悪魔女が不快極まるといった目で見ることはなかった。それどころか悪魔女はさらにいやらしく、嗜虐的な笑みを浮かべた。


「見返りがないのにわざわざこんな錆び臭い場所にやってきて坊やを助けるのはおかしい、きっと何か裏があるんじゃないか、坊やはそう言いたいのね」


自分の言葉にうなずくペスカを見て悪魔女はふっと目を細めた。


「じゃあ、逆に聞くけど。あなたたち人間が私達悪魔に何ができるっていうの。人間如きの下等生物が私達高次元の存在にどういういいことをしてくれるのかしら」


「そ、それは……」


悪魔という存在がどのようなものかわかっている者などこの世界には誰もいない。ただ悪魔に見初められ魅了されたものは悪魔と契約しイビルという超常的存在になり人知を超えた力を手に入れられる。この世界の人間がわかっているのはそれだけ……


イビルという存在を知り、日々研究している者でも答えることのできない問に十二歳の少年が答えられるわけもなく、ペスカは言葉に詰まった。


そんなペスカに悪魔の女は笑いかけた。出来の悪い我が子へ笑いかける母親のような顔で


「そうあなたはただの人間。私たちからすれば取るに足らない存在。そんな人間の中で私はあなたを気に入ったの」


「僕を」


いつのまにかペスカには悪魔女の顔が忘れていたはずの母親の顔に見えてしまっていた。


「ええ、私はあなたを気に入ったの。あなたは数多いる人間の中から私が気に入った数少ない人間の一人なの。そんなあなたが絶望に身をゆだねて何の抵抗もせず訪れる死をただただ待つだけなんて、こんな悲しいことはないわ。」


「そ、そんなこと言われても」


「私の手を取って。この手を取ってあなたの内に秘めた思い、あなたがこれまでに見て感じたことすべてを私に見せて。ね、お願い」


今までの怪しい笑みとは違う、優しくぬくもりのある母の笑み……いつの間にかペスカの頬を涙がつたい、そしてペスカは悪魔女の手を取った。


瞬間、モノトーンだった世界に色が戻る。


「な、なんだ……う、うわあああああああああああああああああ」


背景だった世界が戻ると同時に鉄格子の部屋は崩壊した。部屋が軋む音がしたと思ったらすぐに部屋中を土砂が埋め尽くしたのだ。


その直後セントラル中をあるニュースが駆け巡った。


『セントラル中央の地下をつきやぶり突如巨大イビルが出現。無差別破壊を繰り返しながらホテル・ロイヤルキングへ向けて進行中』


この怪物が向かっているホテル・ロイヤルキングは今日ある貴族により全室貸し切られていた。と言ってもその貴族はすでにこの世からいなくなっているのだが。


怪物はただ真っすぐにホテル・ロイヤルキングへ向かった。そのホテルに自分をこんな目に遭わせた仇敵たちが雁首揃えているとも知らずに。


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