第8話 闇をいざなう闇

目の前の錆びた鉄格子を見つめながら、ソルティ・ペスカはこの後自分の身に降りかかるであろう出来事の数々を思い、心を鬱屈とさせていた。


「……はあ」


ペスカのため息に鉄格子がわずかに曇る。ペスカを捕えている鉄格子の中にはペスカ以外にも同じ年頃の女の子たちが五人、膝を抱えてうずくまっていた。


気を失わされていたペスカが意識を取り戻した時は「助けて」「出して」「帰して」「お家に帰りたぁい」と泣きながら鉄格子を揺らしていた彼女たちだったのだが、部屋の外から現れた男に「うるせえ、これ以上騒ぐとぶっ殺すぞ」と恫喝されてからはみんなカタツムリのように体を丸めて動かなくなってしまった。


「…………」


そんな中ペスカはずっと目の前の鉄格子を色あせた瞳でじっと見つめ続けていた。


ついさっきまで夕飯の買い出しをしていたペスカがどうして鉄格子の中に入れられているのか。答えは簡単である。誘拐だ。しかもただの誘拐ではない、ペスカたちを誘拐したのは人身売買を生業とする裏の組織。


「ヒューマン・マーケット」


ペスカの口からこぼれた組織の名前に反応を示す者はいない。それも当然の話で誘拐される前は普通の日常生活を送っていた彼女たちが裏で暗躍している組織の名前など知っているはずがないのだ。


それなのにどうして同じ十二歳の子供であるペスカが裏の組織であるヒューマン・マーケットの名前を知っているのか、覚えていないわけがないのだ。自分をおもちゃのように扱い身も心もすべてを踏みにじった奴らの名前を忘れられるわけがなかった。


ペスカがヒューマン・マーケットに誘拐されるのはこれで二度目である。


一度目はペスカが七歳の頃、優しい両親とセントラル中央に買い物に出かけた時である。その時も今のようにどこか暗い部屋の中の鉄格子に同じくらいの年齢の女の子たちと入れられた。


しばらくするとカエルみたいな顔のおじさんが顎の長い男と一緒に入ってきた。気持ち悪い笑みを浮かべるカエルおじさんは鉄格子の中の少女たちを上から下へまんべんなくその幼い体を物色し、一際かわいい容姿のペスカを指さすと顎長男に大量の金貨が入った麻袋を渡した。


そしてペスカはカエルのような顔をしたおじさんに買われた。鉄格子の中から出されたペスカは暴れる暇なく睡眠薬を打たれ気を失された。気づいたときペスカがいたのはふかふかなベッドの上だった。


豪華なベッドで横たわるペスカの元へ腰にタオルを巻いただけの半裸のカエルおじさんが迫る。


「え、何」


「ほれほれ、痛くしないから。優しく私にそのちっちゃい体を預けなさい。ほら」


そう言ってカエルおじさんのごつごつした指がペスカの髪を、頬を、肩を、腰を撫で、そしてペスカの太ももの間に指を這わせた。そして、


「なっ、き、貴様」


カエルおじさんは激情しペスカをベッドに押し倒すと着ていた服をすべて引きちぎり一糸まとわぬ姿にさせた。そしてカエルおじさんは見た、女には決してついているはずのないものがペスカにはついていることを


「貴様、男だったのかっ」


ペスカは容姿こそかわいらしい少女だがその実、中身は普通の男の子だった。


それからペスカに対してカエルおじさんの興味はなくなった。


当然のことながら返品やクーリングオフはできないので仕方なくペスカはカエルおじさんのメイドとして働くことになったのだが、ペスカに興味を持った者がいた。それがカエルおじさんの一人息子ペスカより少し年上のデリオロである。


ここから、ペスカの本当の地獄が始まる。


デリオロは表面上こそ礼儀正しく品のある少年だったが夜な夜なペスカを自分の部屋に呼び出しては実験と称して様々な行為に及んだ。暴力的なものから、非人道的なもの、もちろん性的なものも。


そうやって日に日に心を壊されてきたペスカはいつからか何も感じなくなった。


再び誘拐され買われるまでずっとこの暗い鉄格子の中、買われたとしても待っているのは人権など存在しない地獄の日々。ペスカの未来にはもう希望なんてない。


あの時からペスカの中にあったはずの希望はすべて打ち砕かれたのである。


「な、なんだてめぇらは」


突然分厚い壁の向こうからの男の焦った声が聞こえた。


「てめぇら、俺たちに手を出してただで済むと思ってんのか。俺たちのバックにはな、はっ、や、やめろ、やめてくれぇ、うわああああああああああ」


男たちの声に続き響いたのは鼓膜を刺すような鋭い破裂音。


ペスカ以外の女の子たちは突然のことにわけがわからずこれ以上ひどいことがおきないようにと耳をふさいだ。


それからしばらく壁の向こうから聞こえる男たちの叫び声と乾いた破裂音がペスカたちのいる鉄格子を揺らした。


男たちの断末魔の叫びが消え、しばらくの沈黙の後、慌ただしくもきれいにそろえられた複数の足音がペスカたちのいる部屋へと近づいていき、扉の向こう側で止まった。


ドンッという壁をけ破る音と共に五人の胸に十字架を付けた同じ白い服を着た男たちがペスカたちのいる部屋の中になだれ込んできた。


「君たち、大丈夫か」


突如現れた男たちの姿にうずくまっていた少女たちが恐る恐る顔を上げる。


「俺たちは秩序課の管理官だ」


秩序課の管理官。それは七歳から世俗と関わることを禁じられたペスカでも知っているこの世界の平穏を守る正義の味方、とみんなに言われている人たちである。


「もう大丈夫だよ。外にいる悪い人たちはみんな僕らがやっつけたから」


少女たちを安心させるため、管理官の一人が近くで膝を抱える二人の少女に優しく笑いかけた。


「お家に帰れる?」


「パパとママに会える?」


少女たちのか細い声に優しい管理官の青年は


「ああ、もちろん」


力強い笑顔で答えた。


「っ――」


二人の少女の眼から涙があふれる。さっきまでの冷たい絶望が嘘のようにこの暗い鉄格子の中を温かい希望が満たし始めた。


「かぎはどこだ。早くこの子たちを外に」


管理官に話しかけられた二人以外の少女も目をキラキラさせ、優しい管理官の方へ歩いていった。


その姿をペスカだけがいまだ色あせた瑠璃色の眼でじっと傍観していた。


ある日からペスカはこう思うようになっていた。この世界は私にやさしくないと。この世界は私の事が嫌いで、私が絶望するのが大好きなんだと。


だから、この後に起こる悲劇もペスカにとっては大したことではなく、ああ、やっぱりというほどの出来事でしかなった。


「おい、かぎは、まだ見つか、ら…………」


優しい管理官の言葉は鼓膜をつんざく破裂音にかき消された。


鼓膜に多大なダメージを負った少女たちは一時的に音が聞こえなくなる。それでも一つだけわかることがある。絶望の淵にいた少女たちを救うはずだった希望がすぐに絶望へ変わったということだ。


「ごっ、ごぼっ」


優しい管理官の口から大量の血がこぼれる。


十二歳のペスカにだってわかるほどの、致命傷だった。


「つまんねえ正義感振りかざしやがって」


優しい管理官に背後にもう一人、シリンダーのない白い回転式の拳銃を握った管理官が立っていた。


「ギャリア、お前何を」


「てめぇのせいで余計な吊り橋を渡らされるはめになったぜ」


そう言うとギャリアと呼ばれた管理官はすでに致命傷の優しい管理官に向かって引き金を引いた。


壁の外から聞こえていたものと同じ破裂音が部屋に響く。


「これで全員始末したか」


気づけば、突入した管理官五人のうち四人が床を地で濡らしながら倒れていた。


「はあぁ、全く。せっかくいい小遣い稼ぎだったのによ。くそっ」


大きくため息をつき忌々しい目で少女たちを見るギャリア。その目はさっき見た誘拐犯の男と同じく荒んでいた。


「え……なんで、どうして」


「ああん、うるせえぞ、がきどもっ、ぶっ殺されたくなかったらおとなしく黙ってろ」


「ひゃっ」


ギャリアの威嚇射撃に少女たちの気持ちはいともたやすく折られてしまった。


「たく、どうしてこうなっちまったんだよ」


ギャリアはその場で頭を抱えた。


実はギャリアはヒューマン・マーケットの行ってきた悪事を裏でもみ消す代わりににギルバートから報酬をもらっていた裏切り者だったのだ。


証拠を消すだけ、証拠になりそうな証言を黙殺するだけ。自分の手は汚さず、多額の報奨金がもらえる。ギャリアはあっさりと味を占めた。


甘い蜜におぼれる生活は管理官の職務も信念も使命をも簡単にとろけさせてしまった。


だが、今日、今までずっと消してきた尻尾をついに捕まれてしまった。つかんだのは少女たちに笑いかけた優しい管理官だった。


「ここを押さえられたら俺がこいつらと手を組んでるのがばれちまう」


ギャリアはギルバートがすでに死んでいることを知らない。ギルバートの死が伝えられたのはギャリアたちが乗り込む直後だったからだ。


「仕方ねえ……燃やすか」


「っ」


ギャリアの言葉が少女たちを再び絶望のどん底へ叩き落した。管理官は何も言わず黙って近くの部屋に遭あった油を鉄格子の周りにまき散らす。


その姿を静かな目で見るペスカ。


「じゃあな、恨むなよ」


そう言って管理官はマッチに火をつけそれを……


ああ、やっと、終わるんだ


落ちるマッチを見ながらそうペスカは心の奥で呟いた・


その声は当然誰にも聞かれない。はずだった。


管理官が落としたマッチが床にへばりつく油へ触れる直前。


時が、止まった。


「あぁら、とってもかわいらしい坊やじゃない」


ペスカの背後から艶のある女の声がした。


ペスカがゆっくり振り返ってみるとそこにいたのはスケスケのカーディガンを羽織った下着しか着ていない妙齢の女。あやしさしかないその女は腰まで伸びた黒髪を揺らしながらゆったりとした足取りでペスカに近づいていった。


「……うん、合格」


ペスカの頬に手を添えてじっくりと顔を眺めた後、女は笑顔でそういった。もう何も感じなくなったはずのペスカの心が目の前の色気たっぷりの女の奇行にわずかに刺激された。


「あ、あなたは」


女の纏う奇妙な雰囲気に耐え切れず、思わずペスカは女に話しかけてしまった。ペスカに話しかけられたあやしい女は口に中指をあて、しばらく考えるそぶりを見せる。


「そうねぇ、あなたたちの言葉で言うと……」


ペスカの視線が女に吸い込まれる。


「悪魔、かしらね」


そう言ってあやしい女はあやしく笑った。その姿にペスカは強く惹かれた。


ペスカの心はすでに醜い人間たちに壊されて機能していないはずなのに、ペスカはこの悪魔と名乗る女に強い興味を抱いてしまった。


それこそがこの世界で悪魔と呼ばれる者達の恐ろしい部分であるということなど露知らず。

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