第30話

のどかな景色。



あたしから見たらそれだけだったのに、不意に真里菜は走り出したのだ。



まるでなにかを見つけてそれから逃げるように。



あたしは咄嗟に周りを確認したけれど、さっきまでと同じ景色が広がっているばかりだ。



怪しい人はどこにもいない。



真里菜には一体なにが見えていたんだろう?



気になって、あたしは更に真里菜の後を追いかけることにした。



教科書やノートが入っているカバンを持っているはずなのに、真里菜の足は速くて見失ってしまいそうになる。



真里菜は時々振り返り、そしてまた弾かれたように走り出すということを何度も繰り返している。



気がつけば真里菜のアルバイト先の近くまでやってきていた。



徒歩で20分はかかるこの場所に半分の時間でついてしまった。



あたしは体力の限界を感じて立ち止まった。



心臓が早鐘を打っていて、体中に汗が噴きだしている。



少し休憩しないと、これ以上は無理だ。



コンビニの中のイートインスペースで休もうかと思ったとき、真里菜が道の角を曲がってくのが見えた。



その方向は路地が狭くなっていて、突き当たりがあるはずだ。



アルバイトをするくらいだから、この辺の地理には詳しいはずなのに。



真里菜は何かに追い立てられるようにその路地へ入り込んでしまったのだ。



疑問を感じたあたしは休憩することを断念して、真里菜の後を追うことにした。



どうせあの路地の奥は行き止まりになっているから、ゆっくりと歩いて近づいてく。



そして路地を覗き込んだとき、一瞬息を飲んだ。



そして咄嗟に電信柱に身を隠す。



たしかに真里菜はそこにいた。



その奥には黒い帽子をかぶり、黒い上下の服を着た男が立っているのだ。



顔は見えなかったけれど、背格好はコンビニでみかけた40代の男に似ている気がする。



真里菜の腕の骨を折ったのも、きっとこの男だ。



「やぁ、真里菜ちゃん」



男の声が聞こえてきて全身が震えた。



その声はひどく粘ついていて、体中にからみつくような不快感のある声だったのだ。



「あ、あんた……」



真里菜が数歩後ずさりをする。



どうやら真里菜もこの男に見覚えがあるみたいだ。



「真里菜ちゃんから会いに来てくれるなんて嬉しいよ」



男が舌なめずりをする。



その舌の異様な赤さに恐怖すら感じる。



あたしも早くここから逃げたほうがいいかもしれない。



巻き込まれたら大変なことになる。



しかし、2人ともあたしには全く気がついていない様子だ。



男がゆっくりと真里菜に近づいていく。



真里菜は後ずさりをするが、足が地面にひっかかってそのまましりもちをついてしまった。



片腕が使えない真里菜はすぐに立ち上がることも困難だ。



必死に体を動かしている間に、男が真里菜に馬乗りになっていた。



あたしは両手で自分の口を押さえて、必死に悲鳴を押し殺す。



真里菜は真っ青になり、悲鳴をあげることすらできなくなってしまった。



男はねばついた視線を真里菜へ向けて、そしてズボンのポケットから何かを取り出した。



それがギラリと光ったことで、ナイフであることがわかった。



真里菜がか細い悲鳴を張り上げる。



けれどそれはあまりにも頼りなく、行きかう車の音でかき消されてしまうほどのものだった。



「だ、誰か……」



真里菜が必死に目だけ動かして周囲を確認する。



その瞬間あたしと視線がぶつかった。



あたしはジッと真里菜を見つめる。



「あ、あ……助け……っ!」



真里菜の言葉は最後まで続かなかった。



その前に男が振り上げていたナイフが真里菜の胸に突き立てられていたのだ。



男は恍惚とした表情を浮かべる。



真里菜が目を大きく見開き、そして口から血を流した。



真里菜の手があたしへ伸びる。



あたしはその手を無視して、その場からそっと逃げ出したのだった。

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