第25話

「美緒、水を飲んで」



あの時と同じように美緒の顔を少し上げさせて、口にコップを運んだ。



少しこぼれたけれど、美緒が水を飲む音が聞こえていた。



コップをテーブルに置いて、ジッと美緒の様子を見つめる。



なにも見えていない様子だった美緒の灰色の目が、徐々に色を取り戻していく。



そしてその目はあたしを映し出した。



「美緒、あたしだよ、わかる?」



「うん、わかるよ」



美緒は笑顔を浮かべた。



その笑顔を見て思わず美緒の体を抱きしめてしまう。



本物の美緒だ……!



「あの火事のとき、どうやって逃げ出したの?」



「逃げてなんかないよ」



「え?」



でも現に美緒はここにいる。



あの廃墟にいたら、燃えてしまっていたはずだ。



「あたしはもう人間じゃないから、火事で焼けても死んだりしない。この家に入るのだって、別に玄関からじゃなくて平気なの」



「そうなんだ」



それは夢の中の話みたいだった。



美緒は肉体がありながらも、幽霊のように動き回ることができるのだ。



それこそ、神がかった力だと感じる。



「美緒、もうどこにも行かないで、ここにいてよ」



そう言うと、美緒は少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。



「それは難しいと思うよ。見て」



美緒はあたしに手を伸ばして見せた。



その爪は真っ青に染まっていて、はがれかけている。



「神様になったから腐敗していくスピードもゆっくりだけど、それでも確実に腐って行ってる。ここにいたら、困るのはナナだよ」



「あたしは困ったりなんてしない!」



そう言っても美緒はきいてくれなかった。



「あたしは元々人間で、無理矢理絶対様にならされた。完璧な神様とは違うから、終わりがくる日も、ずっと早い」



「そんなこと言わないでよ!」



「終わりが来と、あたしはただの死体に戻るの。そのときにここにいるわけにはいかない」



美緒の言っていることも意味は理解できる。



あたしに迷惑がかかるからそういう風に言ってくれているのだ。



だけど、美緒がまたどこかへ消えてしまうことが、たまらなく寂しい。



「また、どこかで」



美緒はそう言うと、スッと姿を消してしまったのだった。


☆☆☆


翌日学校に来てもぼーっとしてしまって授業に集中することができなかった。



気がつけば昨日の美緒とのやりとりを思い出してしまう。



そんなときに限って先生に当てられる回数が多くて、あたしは慌てて教科書に視線を落とした。



6時間目の授業は移動教室で、音楽の授業だった。



少しくらい話を聞いていなくても大丈夫な授業なので、ホッと胸を撫で下ろす。



音楽室は最上階の3階にあるため、あたしは教科書と筆記用具を持って教室を出た。



何人かのクラスメートたちに一緒に行こうと声をかけられたけれど、そんな気分にならなくてひとりで階段を上がっていく。



ボンヤリと前を見ると咲が階段をあがっていた。



しかし右足を怪我しているから階段をあがるのは大変そうだ。



いつも一緒にいる真里菜と光は先に音楽室へ行ってしまったのか、姿が見えなかった。



ひとりで、危なかったしいな。



そう思ったときだった。



なにがあったのか、不意に咲の体が大きく揺れるのを見た。



「咲?」



後ろから声をかけると、咲が大きく目を見開いて振り返った。



それがよくなかった。



バランスを崩したところで振り向いた咲は一気に階段を転げ落ちてきたのだ。



あたしは咄嗟によけていた。



階段を歩いていた数人の女子生徒から悲鳴があがる。



咲はあちこちからだをぶつけて下まで転げ落ち、ようやく止まった。



完治していない足首が、また妙な方向に折れ曲がっている。



呆然としてその様子を見つめている間に、救急車の音が聞こえてきたのだった。


☆☆☆


まさか、2度も咲にふりかかる不幸を目撃するとは思っていなかった。



咲が救急車で運ばれた後、ろくに授業にもならないまま放課後になっていた。



真里菜と光が今日も元気がなかったが、咲のことがあって更に落ち込んでいる様子だ。



2人はあたしに声をかけることもなく、放課後になるとすぐに教室を出て行ってしまった。



あたしはといえば、今日も沢山のクラスメートたちから声をかけられていた。



一緒に帰ろうとか、遊びに行こうとか。



これも絶対様の力であることはわかっていたけれど、その分クラス内での咲きの立場はどんどん下がってきているようだった。



「ごめん、今日は予定があるの」



クラスメートにそう断って教室を出る。



もしかしたら今日も美緒が家に来ているかもしれないのだ。



その思いがあり、足早に家へと急ぐ。



「あらナナ。買い物してほしくてメッセージを送ったのに」



玄関を入ったところで母親に言われてあたしは動きを止めた。



放課後になってから1度もスマホを確認していなかったことを思い出す。



スカートから取り出して確認してみると、確かに母親からの買い物リストが送られてきていた。



「ごめん、見てなかった」



「まぁいいわよ。後で行くから」



「あたしが行くから大丈夫だよ」

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