第10話

「美緒、美緒」



ささやき続けると、美緒がゆっくりと顔を上げた。



うっすらと開いた目はあたしを映し出している。



「ナナ……」



かすれた声で名前を呼ばれて更に涙は溢れてくる。



もうとめることはできなかった。



なんであたしたちがこんな目に遭わないといけないんだろう。



絶対様だなんて妙な都市伝説を信じ込んだ咲たちに、どうしてこんなことをされないといけないんだろう。



「なにしてんだよ。早くしろ!」



咲がまたあたしの背中を蹴り付けだ。



体が沿って、背骨がボキッと音を鳴らす。



瞬間全身に痛みと痺れを感じたけれど、骨が折れたわけではなさそうだ。



「ナナっ!」



「あたしは平気」



あたしは美緒へ向けて微笑んだ。



美緒が感じている痛みに比べれば、こんなのどうってことはない。



「そんなに自分が絶対様になりたいか?」



咲はそう言ったかと思うと、工具を握り締めて近づいてきた。



あたしは息を飲み、美緒を抱きしめる。



次の瞬間、後頭部に激しい痛みが炸裂した。



ガンッ! という音が体の内側から聞こえてくる。



「ナナッ!!」



拘束されたままの美緒が叫び、あたしはその場に崩れ落ちた。



咲はそんなあたしにも容赦なく工具を振り下ろしてくる。



咄嗟に両手で頭をガードしたけれど、腕に振り下ろされたそれに骨が折れてしまうんじゃないかというほどの衝撃を感じた。



「やめて! 目的はあたしでしょう!?」



美緒の言葉に咲は手を止めた。



「あぁ、そうだよ。だけのこのバカも共犯にしないといけない。わかるだろ?」



咲の言葉に美緒があたしを見つめた。



その目はまぶたが腫れてほとんど開かなくなっている。



「ナナ。あたしなら平気だから」



その言葉にあたしは目を見開いた。



「なに言い出すの?」



そんなことを言ったら、咲たちの行動がエスカレートしてしまう。



そんな不安をよそに、ナナは微笑んだ。



「あたし、ナナに出会うまで友達もいなかったし。施設育ちで天涯孤独だし、だから大丈夫なんだよ」



美緒の言葉にあたしは左右に首を振った。



友達が少なくても、施設育ちでも、そんなのは関係ない。



こんなことをされて大丈夫な人間なんているわけがないんだから。



それなのに、美緒はずっと笑顔だった。



切れて血が流れている口元を懸命に押し上げている。



その笑顔が胸に刻み付けられていくようだった。



「ほら、本人はこう言ってるだろ」



咲は乱暴な口調になり、あたしを無理矢理立たせると再び木切れを握らせた。



美緒はあたしへ向けて穏やかな表情を浮かべている。



ここでやらないと、また殴られることになる。



今度はあたしが絶対様になれと言われるかもしれない。



あたしは緊張で汗を滲ませながら木切れを両手で握り締めた。



人を殴ったことなんてない。



ましてや親友を殴ることなんて、絶対にありえないと思っていた。



そんなあたしが今、美緒の前に仁王立ちをしている。



「殴る前に絶対様におなりくださいって言うんだぞ」



咲に言われて、あたしはうなづいた。



だってこれは絶対様を作る儀式だから。



やらなきゃあたしがやられるんだから。



だから、仕方がないと自分に言い聞かせることしかできなかった。



「ぜ、絶対様に……」



今までで一番声が震えた。



涙で世界がぼやけて見えて、目の前にいる美緒の姿もぼやけて見えた。



体が震えてうまく立っていることもできない。



それでもあたしは木片を持つ手の力だけは緩めることができなかった。



これが今のあたしの本心なのだと、自分自身で気がついた。



「大丈夫だよ、ナナ」



美緒がそう言うのと、あたしが「絶対様におなりください」と叫び、木片を振り下ろしたのは、ほぼ同時だった……。


☆☆☆


絶対様になる人間が拷問の途中で死んだりしない。



そんな都市伝説は信じていなかったが、美緒の心臓の鼓動はまだ続いていた。



ここに来たときにはまだ西日が差し込んでいたのに、今ではもう外は真っ暗だ。



「もう夜の10じだよ」



光がスマホで時計を確認し、そう言ったことで咲はようやく手を止めた。



持っていた工具を床に落とすと、ドンッと重たい音が聞こえた。



「そろそろいいかな」



咲は呟き、美緒の脈を確認する。



美緒は完全に意識を手放していたが、その脈はしっかりと打っているようで、咲は満足そうな笑みを浮かべた。



そして、袋の中からナイフを取り出したのだ。



刃渡り30センチはありそうな大きなナイフに息を飲む。



咲は本気でこのナイフを美緒の胸に突き刺す気でいるのだ。



倒れていたあたしはヨロヨロと起き上がり「ダメ」と、声を上げた。



声を出すだけで全身が痛む。



もしかしたら、どこかの骨が折れているかもしれない。



咲が振り向き、面倒くさそうな表情を浮かべる。



「抑えててよ」



咲の言葉に反応して、真里菜と光があたしを後方から羽交い絞めにした。



「やめて! それだけはやめて!」



美緒はまだ生きている。



今から病院へ運べば大丈夫かもしれないんだ。



「最後の仕上げなんだから黙ってて」



咲はあたしに近づくと、美緒の靴下をあたしの口にねじ込んできた。



喉の奥までねじ込まれ、むせる。



それでもあたしは抵抗した。



声に出なくても叫んだ。



咲は含み笑いを浮かべて美緒に近づくと、ナイフの咲を美緒の胸に押し当てる。



「あなたは絶対様です」



「!!」



声にならない悲鳴。



研ぎ澄まされたナイフは勢いをつけなくても、美緒の胸に入っていく。



ズズッズズッと、ゆっくり、でも確実に奥底へと侵入していく。



途中で美緒が激しく体を痙攣させた。



ナイフがどこかの臓器へ到達したのだろう。

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