襲撃(その1)

 診療院を退出する間際、アシュレーは再度スレイトン医師に念を押した。

「彼女の遺体の事で、もし何か気付いた事があったら俺たちに連絡をくれないか。駐留軍のエッシャー大尉のところに伝言をくれれば、俺達にまで回ってくるはずだ」

 そうは言われても、すでに物言わぬ死体にこれ以上何を見るべきものがあるというのか、スレイトン医師には皆目見当もつかなかった。釈然としない表情の彼を後目に、二人はその場を後にした。

「これが受け取った死亡報告書のコピーです。念のため、スキャン情報を私のメモリに記憶してありますので、必要であれば口頭で説明出来ます。あと、傷に付着していたという物質ですが、スレイトン医師に分析を依頼しておきました」

「……よく頼めたな」

「快く引き受けてくれましたけど?」

 ミハルはそう言ったが、実際に医師がすぐにでも手間を割いてくれるとは限らなかったし、そこで何か目立った手がかりが得られるかどうかは保証の限りではなかった。

 その足で二人は駐留部隊の詰所へと引き返した。

 バスが到着した時点ですでに午後に差し掛かっていた事もあって、すでに日は傾きつつあった。宿をどうするかという懸念もあったが、エッシャー大尉は親切にも、調査団の宿舎を使うように勧めてくれた。食事がつかないのが残念なところですが、と念押しされたが、そこまではさすがに高望みというものだった。

「何なら送っていきますよ?」

「伍長、それはありがたいが、さすがにそこまでは君の任務じゃないだろう」

 歩いていくよ、と言ってアシュレー達は詰所を後にした。人を捜してこの先街を歩き回る事になるだろうから、道を覚えたり、景色に慣れたりもしておきたかった。

 そんな二人は旧市街の人気のない路地で、親子連れと思しき二人とすれ違った。

 まだ幼い少女と、年若い母親のような女の二人連れ。その二人が……特に女の方が、アシュレーをやけにじろじろと見やっていた。

 不審に思ったのか、ミハルが小声でアシュレーに問いかけてくる。

「何者でしょう?」

「さて、俺には何とも」

 アシュレーも首を傾げる。確かに、彼らの正体をどう解釈したものか、判断に迷うものがあった。

 子供の方は、やけに怯えた目で二人を見やっている。アシュレー達の方がこの場合はよそ者だったから、警戒されるのは仕方がないところだったが……。

 だが女の方にはそこまで深刻に用心している様子は見受けられなかった。彼女はアシュレー達がこちらを見返している事に気付くと、少女に二言三言何かををささやいて、そのまま彼女の手を引いてその場から離れていった。

「……あなたの知り人ですか?」

「いや、そんなはずはないが」

「そうですか? あなたも気付いていたと思ったんですが」

「何だ?」

「女性の方です。先ほどのメアリーアンに、面影が似ているような気がしました」

「まさか」

 反射的に否定したが……確かに、よくよく考えてみれば、似ていると言えなくもなかったかも知れない。

「……いや、確かにそう言われれば、そうかも知れないな。君にはどう見えたんだ?」

「確証が持てないから、あなたに尋ねました」

 ミハルの声には戸惑いも苛立ちも無かった。実際に必要な情報と判断したからアシュレーにそのように告げた、という事だろうが、それをどのように受け止めるべきかはアシュレーには何とも言えなかった。

 そのまま、二人して薄暗い路地を歩いていく。日はすっかり落ちて、辺りはすでに夜の闇に包まれようとしていた。その間、アシュレーもミハルも、交わす言葉さえろくに無かった。

 ミハルが唐突に足を止めたのはそんな折だった。

「……?」

 一歩先を歩いていたアシュレーは、やや遅れて彼女の態度に気付いた。まるで見えない何かをしかと見据えようとするかのように、彼女は立ち止まったまま視線を空に向けるのだった。

「どうした?」

「……アシュレー、気を付けて下さい」

 彼女が警告を促す。

 それが何に対する警告なのか、ほんの数秒後にアシュレーも理解した。

 どこかしら遠くから、虫の羽音のような、耳障りなノイズが聞こえてくるのが分かった。はじめのうちはごく小さな音でしかなかったが、それでもざわざわと耳障りな雑音には違いなかった。

 しかもそれは、徐々にこちらに向かって近づきつつあったのだ。

「……!」

 アシュレーは頭上を仰ぎ見た。単に耳障りな雑音と思えたその羽音は、どれほどの猶予もないうちに瞬く間に彼らの頭上を覆いつくそうとしていた。その羽音から想像されるとおりの虫の群れが、何十匹と寄り集って、盛大な羽音を鳴り響かせていたのだ。

 数も多かったが、一匹一匹が、思わず目を見張るほどに巨大だった。薄い羽を羽ばたかせ滞空するその姿、下手をすると鳥と見間違えそうなくらいだった。

 虫達は一瞬アシュレー達の頭上を通り過ぎて言ったかと思うと、空中でくるりと孤を描き、方向転換して……路地に佇む二人に向かって、ゆっくりと降下を開始してきた。

 赤と黒のまだらに彩られた禍々しい腹部に、鉛筆くらいの太さのある鋭い針が光っているのを、アシュレーは見逃さなかった。

「……無害で安全な虫には、見えないな」

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