襲撃(その2)
赤と黒のまだらに彩られた禍々しい腹部に、鉛筆くらいの太さのある鋭い針が光っているのを、アシュレーは見逃さなかった。
「……無害で安全な虫には、見えないな」
「アシュレー、気を付けて下さい」
再度同じ言葉で注意を促したミハルの手に、すでに銃が抜かれていた。
アシュレーもぼんやりとはしていない。彼もまた銃を手にする。まさかこんなに早く、それもこんな街中で使う事になるとは思ってもみなかった。
「……来るぞ!」
ゆっくりと高度を下げてきていた虫たちは、まさに群れをなしてアシュレーたち二人に襲いかかってきた。
大きく羽を広げて急降下してくるさまは、猛禽かというぐらいに迫力があった。アシュレーは銃口を上空に向け、引き金を引いた。
銃声がとどろいた。
最初の二発は直撃し、二匹の虫が空中で四散する。だが脆かったのはその二匹だけで、続く虫たちは銃弾を受けてもなお、よろよろと墜落しては地面で活発にもがきまわっていた。
アシュレーはうごめく虫たちを、容赦なく踏み付けてとどめを刺そうとした。銃弾にも辛うじて耐えた虫達は、かかとを叩きつけたぐらいでは簡単に絶命しなかった。
そうこうしている間に、他の虫たちがすでに銃の射程距離のはるか内側に肉薄していた。アシュレーが思わず首をすくめる中、数匹の虫が彼を取り囲む。
数匹が彼のすぐ側をすり抜けていく中、一匹の針が左腕の袖口をすっとかすめた。
「……ッ!」
思いの外激痛が走った。突き刺さりこそしなかったものの、分厚いジャケットが簡単に引き裂かれ、アシュレーの腕に浅からぬ裂傷を残すのだった。
アシュレーは痛みをこらえつつ、地面に落ちた一匹を踏み砕く。
傷口を見れば、血ではない何かでどす黒く汚れていた。
「……ミハル!」
振り仰いでみれば、彼女の方はさすがに攻性生物らしい戦いぶりを見せていた。
飛来してくる虫の群れを、正確無比な射撃で一匹ずつ着実にたたき落としていく。もちろん、彼女にしてみても虫の速度に追いつけるほどに俊敏でもなかったのだが、それでも巧みに右へ左へと移動し、彼女を取り囲もうとする虫の動きを翻弄していた。
至近距離から狙って発砲し続ければ、あっという間に弾丸は尽きてしまう。
こんな敵に襲われると知っていれば、二人で拳銃を一丁ずつなどという軽装備でうろつくものではなかったのだが……さすがにこのような襲撃を予見出来たわけでもなかったので、仕方がない。
何よりそこには、ミハルという強力な「武器」があった。彼女は銃をしまい、からっぽの両手をぎゅっと握り締めると、虚空に浮かぶ虫の群れを真正面から睨み据えた。
目の虹彩の色合いが、黒から鮮やかな赤色に変貌していく。
その彼女に、羽虫が真っ向から襲いかかってきた。ミハルは針の攻撃をものともせず、みずから虫の群れに突進していくと、おのが手を伸ばし、虫をわしづかみにしていく。銃弾にも耐える虫たちを、彼女はいとも簡単に握りつぶし、引き裂いていった。
一匹、二匹、三匹……彼女の足元に、潰れた虫の死骸がみるみるうちに山積みになっていく。
「〈バーサク・モード〉か……!」
アシュレーはそれを見やりながら、ぽつりと呟いた。
攻性生物に機械の身体を与え、一定の知能を持たせ、人間の兵士に混じって作戦行動させる――〈シミュラークル〉は攻性生物でありながらむしろ人間の兵士の代用品となるべく開発された兵器であり、もちろん人間と同じように武器や兵装を扱うが、その身体そのものもまた強大な武器なのだった。普段はその立ち振る舞いは「人間らしく」制御されているが、戦闘時にはその身体能力をフル活用すべく、まったく違う制御をするように設計されているのだ。
今現在のミハルも、その〈バーサク・モード〉に切り替わっていた。今の彼女は任務を進展させるためにアシュレーに助言をしたり状況を解析したりするミハルではなく、ただ目の前の状況を終了させるため、敵を叩きつぶすだけのミハルだった。
羽虫の群れも、ミハルの方がより厄介な敵だと本能で察知したのだろうか、アシュレーを取り囲んでいたはずの虫までもが、彼のもとを離れミハルの方へと集まっていく。
虫たちも器用なもので、脇腹や背中と言った、死角や急所から襲いかかろうと回り込むのだったが、それを見逃すミハルではなかった。もちろん機械の彼女にとって人間と同じ部位が急所であるわけではないが、だからといって攻撃を許すわけもなく、前後左右に華麗に立ち回っては、一匹ずつ着実に叩きつぶしていく。
だが虫は、潰しても潰しても、どこからか現れてくるのだった。
ミハルはまとわりついてくる虫の群れを振り払おうと、地面を蹴って大きく跳躍する。そのまま路地の建物の壁面に足をかけ、三角形の軌道を描いて――高々とした跳躍に虫達も器用に追従するが、それを引き離さんとするミハルの俊敏さも特筆すべきものがあった。
アシュレーはというと、身体能力ではさすがに攻性生物にかなうべくも無く、ミハルに群がるよりもずっと少ない数の虫を相手に四苦八苦していた。ジャケットを脱いで、それを振り回して虫を追い払おうとする。銃の残弾はとっくに尽きていた。
気がつけば、虫の針が左のふくらはぎに深々と突き刺さっていた。さっきの手首のようなかすめる程度のものではなく、まともに直撃を食らったのだった。
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