遭遇(その3)

 ぐったりしたまま身動きしない、と思っていたら、それは不意にこちらに向けて、その半身をゆっくりと起こしたのだった。

 ノイエがもらした所見が、あながち間違いではなかったことが見て取れた。まるで粘土をこねて人型の塑像でも作り上げようと、まずは人の形に大まかにシルエットをこしらえて見せた……というような、どこか曖昧な形状ではあったが、四肢のバランスは確かに人間のそれっぽくは見えていたのだった。

 その生き物のようなかたまりは、自分の身体を支えきれないのか、もう一度地面に手のようなものを着いて、這いつくばるような姿勢になった。

 そうやってもがき、のたうち回っているさまを、ノイエもエルも、ただ呆然と見ているより他になかったのである。

 言葉もない、とはまさにこの事だった。

 その生き物のようなものの曖昧な形状は、さらに蠢動を繰り返し形を整えていく。漠然とした手足のようなものが、やがて骨格や筋肉をきちんと伴った、実際的な形状へと変貌していくのだった。

 本来の生命の誕生プロセスとはまるで似ても似つかぬものであったが……ノイエ達が目の当たりにしているのは、確かに人間のような形状を持った何かの、誕生の経緯であった。やがて出来上がった、すらりとした手足や、優美な身体全体のシルエットは……グロテスクな怪異というには、あまりにも見事な造形だった。

「女の子……だよね?」

 ノイエが少し緊張した声でエルに問う。何故かと言えば、彼らの目の前にいるそれは、いつの間にかノイエと同じような年格好の、一人の少女の姿に変容を遂げようとしていたからだった。

 肌は透き通るように真っ白、濡れてべったりと貼り付いているとは言えきらきらとしたプラチナシルバーの髪が頭皮を覆っていた。最初はやけにふらついていたが、やがてバランスをとる事を覚えたのか、半身を起こしたまま、淡い空色の瞳が焦点を結んでいるのかいないのか、ぼんやりとノイエたちの方を見やっていた。

 それでも長い時間姿勢を保持するのも難しいのだろう、膝立ちのまましばし直立していたかと思うと、結局は身を崩して床に手を突く。優美にしなるその身体のカーブは、グロテスクな怪物のそれとは到底見えなかった。

 ノイエもエルもしばしそんな光景に、ぽかんと口を開けて見とれていたのだが……そこまでのいきさつを目の当たりにした今更になって、エルはふと我に返った。

「こ、こら、ノイエ! あんまりじろじろ見るんじゃないのっ」

 そう言って、自分の正面に立つ少年の視界を手のひらで覆い隠す。

 エルがそんな風に慌てたのも無理はなかったかも知れない。目の前にいる少女――に似た何かは、一糸まとわぬ裸身を惜しげもなく二人の前に晒していたのだから。

 彼女が慌てる理由も分からないでも無かったが、背後から急に視界を覆われれば、多少は狼狽しないこともなかった。そんな風に二人が急に慌てふためいた様子が、目の前にいる少女を驚かせてしまったようで……彼女は怯えたように警戒感を示したかと思うと、不意に部屋の片隅にまで一足飛びに後ずさった。

 警戒しきった眼差しで、彼女はしかと二人を見据えていた。

 少女の姿をしているとはいえ……それは得体の知れない未知の存在には違いなかった。その姿形がエルやノイエにとって脅威と映る事はなかったが、動向に関しては慎重にならざるを得ないだろう。エルもノイエとじゃれている場合ではないと思ったのか、少年の目隠しを不意に解いた。

 そして、部屋の片隅にあった毛布にゆっくりと手を伸ばした。エルがこの作業場で仮眠用に使うためのもので、ついさっきノイエが新しいものを用意してくれたばかりだった。

 警戒感も露わな少女が危険な存在には見えなかった。むしろ裸のままで怯えて震えているさまが、エルの目には可哀想に見えなくもなかったのだ。彼女は手にした毛布を広げて、少女の方にそっと歩み寄っていく。

「エル……?」

 ノイエが恐る恐る呼びかける。気をつけろ、と促したつもりだった。

 うん、とかすかに頷いて、エルは忍び足で少女に近づいていく。その様子はまるで犬だか猫だかを投網で掴まえようというかのようにも見えたかも知れない。

 案の定、少女はより強い警戒感を示したかと思うと、毛布を手にしたエルの脇に素早く回って……一足飛びに壁に向かって飛んで、その壁を両足で蹴ってエルの背後に回ったのだった。

 そんな少女が着地した位置の、その目の前に、ノイエが立ち尽くしていた。

 その場にもう一人人間がいることに気付いていなかったわけではないのだろうが……着地のさいに少しよろめいたところを見ると、まだ身体を動かす事には慣れていないのかも知れない。彼の目の前に立ったのも、狙ってやったことではないのかも知れなかった。

 ノイエを前に、少女は一瞬より強い警戒の色を見せたかと思うと……次の瞬間、意外そうに驚いた顔を見せた。

 それは、思わぬ危険を察知した驚きとは少しニュアンスが違っているように見えた。少女はノイエを見やって、敵意を一瞬忘れたかのような表情になったかと思うと……不意に口走った。

「イゼルキュロス」

 そのたどたどしげな言葉に、ノイエもエルもはっとして、お互いに顔を見合わせた。

 二人がはっとした理由は多分同じだっただろう。何せ少女が口をきけるなどと、思っても見なかったのだ。

 エルが毛布を手にしたまま立ち止まっている一方で、少女の方はいかにも興味ありげな様子でノイエとの間合いを詰めていく。ノイエはノイエで、どうしたらよいか分からずに、たじろいだまま数歩下がってしまうのだった。

「イゼルキュロスは、どこ?」

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