グラン・ファクトリー(その3)

「……おお、ほらほら。ちゃんと帰ってきたじゃないか」

 ジョッシュに指し示されて、エルとフランチェスカはその人影の方を振り返った。そこに立っていたのは他のだれでもない、今しがた話題に挙がっていたノイエ少年その人だった。

「わわっ」

 驚いて声を上げたのはフランチェスカだった。エルもジョッシュも、声こそあげなかったが一様にしかめっ面でノイエを見やった。

 一同のそんな態度に、当の少年が憮然とした面持ちで問い返す。

「……何。一体何なのさ」

「何なのさっていうか、お前な……」

 その場の一同の所見を代弁するかのように、ジョッシュが呆れ顔で問いかける。

「お前のその格好。いったい、何があったってんだよ」

 彼でなくても、エルもフランチェスカもそう問いかけたかっただろう。少年はと言えば全身が泥だらけで、顔まで真っ黒になっていた。しかも何故かホバーサイクルに乗らず、逆に自らの肩に担いだ状態でどうやらここまで持ち歩いてきたようだった。

 外はすでに日が落ちて真っ暗である。彼の姿はまるで、戸口の闇に紛れ込むようであった。

「いや、これは、ちょっと……転んじゃって」

 ノイエはばつが悪そうにはにかみながら、そう答えた。

 つんと鼻を付く油の匂いが、エルやジョッシュの立っているところまで漂ってくる。どうやら少年は泥ではなく、オイルにまみれているらしかった。

 その姿があまりに悲惨だったせいか、フランチェスカは顔をしかめたまま思わず笑いをもらしてしまった。

 ひとしきり笑ったあとで、その少年の有様にエルが腹を立ててどやしつけるのでは、と思い、恐る恐るエルを見やった。けれどエルはと言えば、仏頂面のままノイエをしばしじっと見やるばかりだった。

 ジョッシュの話にうろたえてしまったのが今更気恥ずかしくなってきたのか、皆に心配をかけたノイエを保護者として怒鳴りつけるタイミングを逸したまま、彼女は難しそうな表情のままもぞもぞと少年に向かって問いかけた。

「で、なんでホバーサイクルを担いで帰ってきたわけ?」

「転んだときから調子が悪くなっちゃって。ついそこまでは動いていたんだけど、止まっちゃった」

「じゃあ、そいつの調子も見ておかないとね。……そこに置いておいて」

「うん」

「早くシャワーを浴びて着替えてきなさい。……それから、さっさとご飯を作る」

「……はい」

 ノイエは苦笑いしつつ短い返事を残して、戸口の向こうへとすたすたと去っていった。

 工場の建物は二階建てだ。大扉から入って正面が吹き抜けの作業場、左手の壁沿いに二階に上がる鉄階段があり、その階段下の奥側がパーテーションで区切られて、その狭い区画に事務所スペースと簡単なキッチンがあった。建物の後ろ半分、奥の大扉の向こうはエル専用の工房で、鉄階段から二階に上がるとエルが住んでいる住居部分がある。

 一方で、建物の裏手に回って外階段から二階へゆくと、そこは四室あるアパートメントになっていて、うち一室がノイエの居室だった。元々は住み込みで働く従業員向けの部屋として用意されているものだったが、今のところ雇っているのは見習い工のノイエだけだったので、住人も彼一人だけだった。

 ふと気になって、フランチェスカはノイエの姿を目で追う。暗がりに立っていたのと、エルもジョッシュも今まさに積み荷をクレーンで持ち上げようとしていた途中だったためそこまで気が回らなかったのだと思うが、フランチェスカはノイエが姿を見せたそのときから、それがずっと気になっていたのだ。

 ノイエのような見習工が屑鉄平原に出向くときは、廃材回収の作業をしている現場で機械が不調になったとか、立ち往生して動けなくなったとか、大型すぎて現地から動かせない機械の定期メンテナンスといった用向きが大半だ。〈王国〉の司法の及ばぬ最果ての土地で未成年者がトラックに乗るのに運転免許がいるわけではなかったが、伝統的にノイエのような見習い工の少年たちはホバーサイクルのような手軽な乗り物でさっと出向いて、応急処置した修理車両で帰ってくることもあれば、交換や修理の必要な部品だけ回収して持って帰ってくるのが常だった。

 だから見習工の少年たちは皆、何でも持って帰って来られるようにばかでかい背負い袋を背負っていくのだったが、回収した荷物があるのであれば普通は工場に置いて、自室には持って上がったりはしないだろう。

 だからフランチェスカも、大きなリュックを重そうに背負ったノイエ少年が、それを背負ったまま工場を離れていったのに、ふと違和感を覚えたのだった。

 それをその場で問いただしていれば、後々の成り行きは大きく変わっていたかも知れない。だがその時の彼女は、そこに一体何が入っているのだろうかと少し疑問に思っただけで、それ以上は誰にも何も言わなかったのだった。


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