第4話

「ねぇ拓海くん、知ってた?」


 昼休みになって、僕に声を掛けてくる子がいた。後ろに数人の女の子友達を連れて、机の前に立ちはだかるその子が玲奈ちゃんだと分かると、思わず息を飲んだ。


 玲奈ちゃんが根っからのいじめっ子であることは、ずっと前から知っていた。絶対に壊せない魔法のかかった優子ちゃんの泥団子を、何のためらいもなく足で踏み潰すことができるのだから。優子ちゃんが止めるように言っても聞いてくれずに、結局最後には泥の中に突き飛ばされた。きっと、玲奈ちゃんは優子ちゃんのことが嫌いなんだと思う。


 そんな玲奈ちゃんが、座ったまま固まっている僕を見下ろしてこう言う。


「ツバってあるじゃん、口から出る汚いやつ。あれね、体の中で一番たくさんのバイキンが付いてるんだって。知ってた? えっ、知らなかったの? あ~あ、可哀そうな拓海くん。優子ちゃんにチュウされてバイキン移っちゃったね」


 背筋に寒気が走った。バイキン? 何のこと? バイキンって何のバイキン? 移ったら僕、どうなるの?


「そのバイキンはね、脳みそに穴開けちゃうんだよ。優子ちゃんみたいに馬鹿になっちゃうの。拓海くん昨日の算数テスト三十五点だったでしょ? あ~あ、拓海くん移されちゃった、移されちゃった」


 後ろにいる女の子たちがくすくす笑う。嘘だ。そんなバイキンいるはずない。だって聞いたことがないんだもん。テストの時はたまたま調子が出なかっただけで、別に病気でも何でもないんだ。でも、そう言い返そうとした時には、僕の周りは玲奈ちゃんや他の女の子たちに取り囲まれていて、みんな口々に「移されちゃった、移されちゃった」と声を上げていた。僕が立ち上がろうとすると、みんな一斉に逃げていった。


 僕が変なバイキンを持っているという噂は、あっという間にクラス中に広まり、誰もが「バイキンが移る」という理由で、僕の周りに近寄らなくなった。そして、毎朝学校へ来ると、ウニの様なバイキンが落書きされた自分の机に消しゴムを走らせることが習慣になった。


僕は落書きを消しながら、優子ちゃんにチュウされた時のことを思い出す。あの時、僕はこの学校から全ての寂しさが消えてしまったんだと思った。今までずっとひとりぼっちだったけれど、これからは友達百人作ることだって夢じゃないと思った。優子ちゃんの不思議なおまじないのおかげで、あれだけたくさんの仲間に囲まれて、喜びの声に包まれることができたのだから。


 でも、おまじないの効果を実感できたのはあの時だけ。今ではひとりぼっちに戻るどころか、クラスのみんなから嫌われ者扱いされている。この学校からいなくなってしまう前に、ひとつでもいいからこのクラスで良い思い出を作ろうと思っていたのに、どうして……


 胸が締め付けられる。にがい思いが込み上げてきて、喉がふさがる。口が乾く。目元が震える。机にぽたぽた落ちる涙まで消しゴムで擦ってしまい、消しているはずの落書きが更に汚く滲んだ。


 僕が頑張って消しゴム掛けをしているその後ろで、玲奈ちゃんが女の子友達の一人とひそひそ話をしていた。でも、きっとわざとなのだろう。ひそひそ話と見せかけて、二人の声はしっかりと僕の耳にも届いていた。


「拓海くん、この前の漢字テストも赤点だったんだって。ほらね? やっぱり病気だよあいつ」


「え~っ、ホントにそうだったの? だったら私、絶対バイキンもらいたくな~い」


「安心しなよ。どうせ夏休み前には転校するんだからさ。早くいなくなっちゃえばいいのにね~」


 ――いなくなっちゃえ。


 その言葉を聞いた途端、僕は自分の机を思いっきり手で叩き付けていた。僕の出した音にびっくりした玲奈ちゃんは、さっさと走って教室から逃げ出す。僕は倒れた椅子をボールのように蹴飛ばして、玲奈ちゃんの後を全力で追いかけた。


 どうして? どうして? どうしてそんなことを言うの? 僕が一番聞きたくなかった言葉を。しかもぽいと吐き捨てるように。酷いよ、僕は病人なんかじゃないのに。バイキンなんか持ってないのに。どうして誰も分かってくれないの? どうしてそんなことで僕を嫌いになるの? 


 伝えたい言葉が、ぶつけたい気持ちが、揺れ動く頭の中でもみくちゃになり、砕け散り、最後に残った気持ちの断片が、「ウザイ!」とか「シネヨ!」とか、そんな酷い言葉になって口から吐き出されていた。そうして気付いたときには、僕は玲奈ちゃんの首根っこをひっ掴み、力尽くで廊下に押し倒していた。


 玲奈ちゃんは泣き出した。それも学校中に響くくらいの大声で。お互い怪我もしていなかったのに、玲奈ちゃんは脚の骨が折れたくらいの勢いでひたすら泣きわめいていた。たくさんの先生が職員室から飛んで来た。ある先生は心配そうな顔で玲奈ちゃんを保健室に連れて行き、ある先生は強面の顔で僕をシドウシツに連れて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る