第2話 屠竜の騎士

 冬の晴れ渡った日差しの下、アキュールの城下町の大通りを一人の騎士が歩いていた。年の頃は三十八か九。背は五尺五寸くらい、やや小太りで、老いた猟犬のようにゆっくりと歩を進めている。少々くたびれた駱駝色の革の上着に羽織った矢羽根文様の陣羽織が北風になびく様にはそれなりの凄味があった。服装から一見そこそこの地位の騎士のようだ。

 しかし、その顔は暗い。

 この男、名を「竜殺し」カカス・ザザという。アキュールの騎士だが、好んで騎士になったわけではない。たまたま父親が騎士で後を継いだだけだ。好きではないし、向いてもいない。現に騎士になってからいっぺんだっていい思いをしたことがなかった。

 若い頃はこれでもアキュール騎兵団の一員として何度か修羅場を踏んできた。しかし、それは命令されたからやっただけ、周囲がやっていたからやっただけだ。実際、自ら剣を振るって敵兵を殺したことなんて一度もない。そういう場面からは出来るだけ距離を取るようにしてきた。目立った戦功もなく、剣術の腕はからきしで、馬の扱いもうまいほうではなかった。騎士といっても家柄も低い貧乏騎士の出自で魔力も十人並み。よく大きな怪我もなく生き残れたものだと自分でも思う。

 自分と同じころに騎士になった胞輩たちの多くは出世して隊長や騎兵団の参謀を務めている。一方自分はどうだ。普請役の助役として材木の数を数えたり、柵の修理を監督したり、日常の些末な書類仕事に追われる毎日だ。従士や従騎士に言わせればたいした地位ではあるが、騎士としては出世街道から外れた人間なのだ。

 「竜殺し」の二つ名も誇れるものではない。若かった頃、牧場に巣食った竜の討伐に駆り出されたとき、巣穴から飛び出してきた竜がたまたま構えていた槍の穂先にかかっただけだ。その衝撃でカカスは無様に引っくり返ったが、竜は即死だった。あの竜はまだ小さい幼竜だった。だが、そのまぐれを同僚たちが面白がり、騎士団長が彼に「竜殺し」の二つ名を授けたのだ。カカスはこの二つ名を恥じ、できるだけこの名を名乗るのを避けていた。


 やがてカカスは大通りを右に曲がって路地を抜けると、静かな住宅街に出た。小じんまりとした屋敷が幾つも並んでいる。その中の一つの前に立つと、小さくため息をついた。ここがカカスの屋敷だ。門も庭もない小さな古い屋敷だが、それでも城下町の中では平均以上の住居だ。裏には小さいながら井戸もあり、屋敷の中には厠も備えられている。

 この住宅地は街住みの騎士とその家族のためにわざわざ用意されたものだ。街住みの騎士とは、忠勤の見返りに土地ではなく給金を支給される騎士のことである。もともと、教会が子飼いの騎乗僧兵を養うために編み出したミリステという制度に倣ったものだ。軍事的奉仕の見返りに騎士に土地を分け与える伝統的な政治形態では、軍隊の規模は土地の広さに制限される。村々を直轄領としてより安定的な税収を確保し、その税収で軍隊を強化するために、下級騎士の土地を召し上げるのはよくあることだった。

 おかげで、アキュール城の城主であり、平原八州の中央に位置するキブツ州七県のうち五県を治めるラング・ジグル・ハーベン侯爵の直轄領は領地の六割に達していた。

 カカスも父親の代に領地の村を召し上げられてこの屋敷に引っ越した。今やアキュール城下には二百を超える騎士が起居している。こうして城下町に住むことになった街住みの騎士は、三十を超えるころには軍役を免ぜられ、広大な直轄領を経営するためにハーベン侯爵の官僚団に組み込まれていった。騎士なのでいざとなれば剣を取って戦うことにはなっていたが、それはもう建前に過ぎない。カカスももう十年近く鎧を着ていなかった。



 屋敷のドアを叩くと、ぱたぱたと足音が聞こえてドアが開かれた。

「お帰りなさい、お父様」

 年の頃は十くらいか、亜麻色の髪の少女がカカスを見上げている。

「ただいま、アマル」

 アマルの頭を優しく撫でる。奥からエプロンをつけた四十がらみの女性が顔を出した。

「お帰りなさいませ、あなた。今日は早かったのですね」

「うむ、仕事が思いのほか早く片付いてな」

「もうすぐお食事ができますよ」

「ああ、いただこう」

 夕食は野菜と肉を煮込んだスープに新鮮なパン、それに一杯のエールだった。簡素だか決して貧しくはない。城下町でもこれだけの夕食を食べられる家族は少ないだろう。

 食卓の反対側に座って静かに食事をする妻アニタの顔を見た。軽くウェーブのかかった茶色の長髪、細面で整った顔立ちはやや冷たい印象を与える。本人も気にしているのだろう、いつも穏やかな笑みを絶やさなかった。この笑顔にどれだけ救われてきたか。最近皺が増えてきたが、それはお互い様だ。

 アニタは父の代に屋敷に仕えていたメイドの娘だった。早くに連れ合いを亡くした父は、住み込みのメイドを雇って家事一切を任せていた。一緒にやってきたのがまだ幼かったアニタだった。年か近いこともあってカカスとアニタは弟と姉のように過ごした。騎士に叙任された日に、カカスはアニタに求婚した。反対すると思っていた父はあっさり許してくれた。反対したのはアニタの母だ。騎士の坊ちゃんとうちみたいな平民の娘が結婚なんてとんでもない。旦那様、坊ちゃんにはちゃんとした家の娘を嫁に迎えなきゃいけません。そう言ってアニタの母親は泣きすがった。三人で説得するのに一晩かかった。アニタの母も今は近所の借家で猫を膝にのせて隠居暮らしだ。月に二回は義母の家を訪ねるのがザザ家の習慣になっていた。

 ふとアニタが顔を上げ、目線が会った。アニタが不審げに眉を上げる。

「お城で何かあったのですか?」

 幼いころから一緒に過ごしてきただけあって、アニタはこういう勘は鋭かった。



 牧場に巨大な孔が開いたことを聞いたのは、二日前の昼前のことだった。知らせを聞いたカカスがドワーフの黒鍬衆の物頭とともに馬を飛ばし、その日の昼過ぎには穴の前に立っていた。まだその時は呑気だった。馬が穴に近寄らないよう作られた急造の柵を抜け、穴を見下ろした。

「これはまた大きな穴だな」

 カカスは呆れたように呟いた。

 立ち会った牧場主が答えた。

「今朝うちの娘が見回りしてて見つけたんです。ここまで大きいとうちの男衆の手に負えません。埋めるにはお城のお力添えがいります。それにね、中に何かいるらしく、うちの狼どもが唸ってるんでさ」

 牧場主は五十過ぎ、上背のある恰幅のいい体を毛皮の帽子とコートで包み、降って湧いた災難に苛立っている。

 カカスは牧場主に尋ねた。

「穴の中に降りてみたのか?」

「まさか。うちの狼は確かです。あいつらが危ないって言ったら危ないんです。誰も近寄らせたりはしてません。遠巻きにこの柵を立てただけですよ」

「取り敢えず中に降りてみよう」

 物頭に声をかけると、恐る恐る穴の底に降りた。

「これを塞ぐのは手間だな。春までに終わるか」

 独り言なのか質問なのかわからない口調でカカスが呟いた。しかし、エギルという名の物頭は穴の底に膝をつき、土を触りながら言った。

「旦那、これはいけない。ただの陥没じゃないですぜ」

 エギルは二十年前の大戦でアキュール騎兵団に雇われたドワーフだ。背は5尺程度だが幅の広い筋肉質の体で、軍用毛布を仕立て直した上着に綿のズボン、歩兵用のブーツを履いている。禿頭を気にしているのか常に鞣し革の帽子を手離さない。十年前に軍に陣夫として雇われ、土工木工の腕を買われて出世し今の地位に上った。厄介事を起こして部族に帰れないという噂もあるが定かではない。しかし、工兵としての手腕は確かで、何かとカカスの面倒を見てくれている。カカスにとっては普請仕事の師といってもいい。

「旦那、これは地下の水脈で空洞ができて土が落ちたわけじゃない。下から吹っ飛ばされたんだ」

「何だと」

「証拠に穴の周りに飛び散った大きい土の塊がいくつか転がってましたでしょう?」

「確かに土塊はあったが」

「火炎魔神ってご存知ですかい?」

 知らぬわけがない。全身に炎を纏い炎を自在に扱う巨人だ。先の大戦で魔軍の一角として猛威を振るった魔物である。カカスは肯いた。

「あいつらがドワーフの地下都市を襲うときはね、いちいち鶴嘴を使って壁を崩したりしません。高位の魔法で全身を火の玉にして壁を溶かして躍り込んでくるんでさ。大戦のときはそれでドワーフの地下要塞が三つ落とされてます」

「じゃあこの穴は火炎魔神の仕業だと?まさか、魔軍とは和睦したはずだぞ」

「いえ、火炎魔神よりもっとたちが悪いですぜ」

 手に持った土塊をカカスに差し出した。その土塊はガラスのように光を反射していた。

「釉薬をかけた皿みたいに綺麗に溶けてます。火炎魔神だってここまでの高熱は出せません。それに御覧なせえ。こんな芸当は火炎魔神だって無理だ」

 エギルが顎をしゃくった。そちろを見てカカスはぎょっとする。逆光になって気がつかなかった。直径一間ほどの隧道ずいどうが地下へと続いてたのだ。

 穴の奥に目を向けてエギルは呟いた。

「こいつは厄介ですぜ。この穴は竜のブレスってやつの仕業だ。きっと中にいるのはかなり年季の入った赤竜ですぜ。多分、地下の空洞で寝てる竜が寝惚けてブレスを吐いたんだ」


「しかし、中を確かめねばならない。推測だけでは報告できん」

「駄目だ。もし竜が起きてたらどうします?」

「その時はお前が城に報告しろ。俺が様子を見てくる。危ないから穴から出て上で待ってろ」

「いけません、旦那に何かあったらあたしの立つ瀬がねえ」

 少し考えたエギルは意を決して言った。

「あたしが見てきます。旦那は上で待っていてくだせえ」

「それは駄目だ」

 しかし、エギルは譲らない。止める間もなくブーツを脱いで素足になり、手早く瓦斯ガス避けの面覆いをつけた。

「いいですか、あたしは旦那より夜目が利く。隧道は溶けた土でつるつるだ。旦那が行ったら滑り落ちて寝てる竜の鼻面を蹴っ飛ばしかねない」

「わかった、決して無理するなよ。危ないと思ったらすぐ出てこい」

「土の下はドワーフの領分ですぜ、任せてくださいよ」


 それから四半時ほどして、エギルがほうぼうの態で穴から這い出してきた。

「やはり赤竜でしたぜ」

 ブーツを履きながらエギルは報告した。

「中は何かの神殿か宮殿みたいでした。その大広間みたいな場所にでかい赤竜がぐうぐう寝てましたよ。頭だけで一間はある。暗くてよくわからなかったが、腹の下にキラキラしたものをたくさん抱えてました。きっと金貨か宝石でしょう」

 太古の宮殿で財宝を守る竜が地震で宮殿ごと地に沈んだという伝説は決して珍しくない。年経た竜は何十年でも何百年でも眠り続け、財宝を守り続けるという。実際、冒険者たちによってそういう遺跡がいくつか捜索されいる話はカカスも聞いていた。

 しかし、とカカスは草原の向こうに聳えるアキュール城を眺めて思った。なんでお城のこんな近くによりによってこんな遺跡があるんだ。城からここまで一里もないのだ。



 カカスの報告を聞いて城は色めきだった。まさかこんなところに古代の財宝が眠っていたとは。失われた魔法の道具も見つかるかもしれない。だが、その前に竜を始末しなければ。城の者たちは、竜退治の段取りに取り掛かり始めた。

 それを横目にカカスは自分の部屋に戻った。もう自分がここでするべき仕事はない。竜が退治され、宝が運び出された後に穴を埋めるときまで、自分の仕事はない。他にも色々な案件を抱えているのだ。


 だから、今朝になって城の軍議に出席するよう伝令の小姓に告げられたときは何故呼ばれたのかわからなかった。第一発見者として証言を求められるのだろう。この忙しい時に。そう思いながら作戦室に入った。作戦室なんて年に数えるほどしか入ったことがなかった。小姓に勧められて部屋の隅の簡素な椅子に座る。作戦室は八十畳ほどの部屋で、中央の作戦台に地図が広げられ、地図の上に赤や青や緑の駒が置かれている。しかし、カカスの席からは遠すぎてよく見えない。

 作戦台を取り囲むように城の主だった者が座っている。中央に座るのはラング・ジグル・ハーベン侯爵。年は三十歳、金糸で刺繍された黒い鎧下はいかにも金がかかっている。父親の後を継いで五年になる。聡明で慈悲深い領主だと言われているが、カカスにはよくわからなかった。

 侯爵の後ろには六人の騎士が座っている。全員が派手な彩色の刺々しい鎧を着込んでいる。高い魔力を備え、魔法の武具の扱いに長け、英雄と称される聖騎士たちだ。その力は常人の及ぶところではなく、この城の最大戦力といえた。

 侯爵の左右には家老衆や部隊指揮官、幕僚たちが座っている。その中には自分と同じころに騎士になった者も何人かいた。みんないい服を着ている。

 やがて、作戦参謀が颯爽と作戦の説明を始めた。彼もカカスの同期の一人だ。改めて出世したものだと思うが特に何の感慨も湧かなかった。

「ですから、赤竜を巣穴から引きずり出し、その直後に魔法で拘束して弩砲と攻撃魔法を集中し、最後に聖騎士隊が止めを刺します」

「重歩兵隊は魔導士隊を掩護できるようこのように方陣に配置します」

「赤竜が飛び立つのを防ぐため、航空竜騎士六騎を常時上空に待機させます」

「万が一討ち損じても城下町に被害が及ばぬよう、備えとして近隣の冒険者組合から特級冒険者の派遣を要請します」

 よどみなく作戦を説明していく。たいしたものだとカカスは感心した。


 一通り説明が終わると、侯爵が口を開いた。

「それで、どうやって竜を巣穴から引きずり出すのだ?」

 作戦参謀がにやりと笑う。

「我が城には打ってつけの者がいます。かつて竜を単身で仕留め、『竜殺し』と呼ばれる者が」

(え?)

 作戦室がどよめいた。

「『竜殺し』カカス・ザザよ! 立て!」

「はい!」

 弾かれたように起立したカカスは、一同の無遠慮な視線を受けて緊張した。

「ああ、あの普請役の……」

「あれは確かまぐれだったと聞いているぞ」

 あちこちから小声が聞こえる。

 落胆したかのように侯爵が口を開いた。

「まあ竜を叩き起こして地上までおびき寄せるだけだ、それほど難しい仕事でもあるまい。任せたぞ、『竜殺し』よ」

 どっと笑い声が上がった。

(え?)


「何故です? 何故私がそんな大役をしなければならんのです?」

 会議が終わってから、カカスは参謀室で作戦参謀の同期と対峙していた。同期とはいえ、今は相手のほうが役職は上だ。言葉は敬語になる。

「普請役の上役には話を通してある。何の問題もない」

 普請役は侯爵の参謀団の下部組織の一つだ。おまけに普請役は常に軽んじられてきた。作戦参謀の要求を拒否できるわけがない。

「自分はここ十年程鎧すら着たことがないんですよ。竜を叩き起こしたりしたら殺されるに決まってます」

「仮にも騎士が泣き言を言うな。竜の頭を一発ぶん殴った後は地上まで走れば済む話だろう?」

「走って逃げられると本気でお思いで? あいつは大量の土砂を一息で吹き飛ばすブレスを吐くんですよ」

「黙れ! 作戦はもう殿の承認を受けたのだ! 今更変えられるか!」

 もう話は終わりだと言わんばかりに同期は語気を強めた。参謀室で仕事をしていた人間たちがぎょっとする。

 そして、同期はからかっているのか宥めているのか微妙な表情で笑って告げた。

「いろいろ準備があるから作戦開始まで二週間ある。お前も鎧の着つけを思い出しておくんだな」


 カカスは肩を落として普請役の部屋に帰り、自分の椅子に座って頭を抱えた。こんな時に怒鳴り散らせたらどんなに楽か。あの同期の作戦参謀を殴り倒せたらその場で袋叩きされたとしてもどんなに気が晴れただろう。しかし、荒事に向いていないのは自分が一番よくわかってる。そういう怒りや憤懣を腹に収めながら今まで生きてきたのだ。

 会議の話は普請役まで伝わっていたのだろう。同僚たちは同情的だった。上役がわざわざカカスの机までやってきた。

「助けられなくてすまない。もう帰っていいぞ。作戦の日まで休め。何か頼みたいことがあれば言ってくれ」

 それだけ言うと自分の机へ戻っていった。

 それを聞いたカカスはよろよろと立ち上がり、無言で同僚たちに一礼すると部屋を出て行った。



「旦那! 待ってくだせえ!」

 城の中庭をのろのろと進むカカスを呼び止めたのはエギルだった。カカスは後ろを振り返ってエギルを認めたが、歩みを止めない。やがて、駆けてきたエギルはカカスに追いつき、横に並んで歩きだした。しばらく息を整えると、エギルは話しかけた。

「聞きましたぜ。まったくひでえ話だ」

「ああ」

「偉いさんたちは旦那を餌にして笑い者にした挙句に竜を釣るつもりだ」

「ああ」

 今のカカスには返事すら億劫だった。

「いっそ逃げませんか? こんなお勤め辞めちまうんです」

 初めてカカスはエギルを見た。

「できるわけがない、俺には妻と子供がいる。俺一人ならともかく家族を連れて逃げても生きていく術がない」

 薄く力なく笑って答える。

「でもこのままじゃ犬死にですぜ。奥さんやお嬢ちゃんはどうするんです?」

「俺が死んだら年金が出るだろう」

「わかりました、そこまでのお覚悟ならもう言いません。それなら」

 言いながらエギルは懐から布の袋を取り出した。エギルがいつも銭を入れている袋だ。そこから小さな真鍮の円板をつまみ出すと、カカスの手に押し込んだ。見ると紐を通すためか小さな穴が開いていて片面に炎のような文様が彫られている。

「これは?」

 カカスが尋ねる。

「自分の噂はご存知でしょう?」

「いや、何の噂だ?」

「部族で人を殺めて逃げ出したんでさ。訳は聞かないでくだせえ。その後あちこち落葉みたいに流れましてね、その時ある人たちに世話になったんで」

「それで?」

「その人たちが、ここから南に行ったトランドって街であしか亭って店をやってるんです。そこに行って、その板切れを見せて、ガスのベルゲスの紹介だって言うんです。事情を話せばきっとけてくれます」

「ベルゲスとはなんだ?」

「あたしの本名でさ」

「運よく明日は五十日ごとうびだ。朝方に伝馬所からトランド行きの隊商が出ます。それに乗ってトランドまで行くんです」

「ありがとう、恩に着る」

「旦那はいい人だ。奥さんも別嬪でお優しいし、お嬢ちゃんもいい子だ。死んでほしくねえんで」

 正直あてにならない話だが、今のカカスにはありがたかった。かすかに涙を滲ませてエギルに向き直った。

「本当にかたじけない」

 ちょうど城門まで来た。エギルは足を止めてもう一度念を押した。

「いいですか、トランドのあしか亭ですよ。旦那と奥さんとお嬢ちゃんに運命の女神の御加護がありますように」

 カカスの背中が雑踏に消えるまで、エギルは城門の傍に立ってその背を見つめていた。


「あなた? 大丈夫ですか? 本当はお城で何かあったのですか?」

 妻のアニタがもう一度問いかけてきた。アマルが不審げにカカスの顔を仰ぎ見た。

「いや、なんでもない。ちょっと長い出張になるので気にしていただけだ」

「そうなんですね、いつからなんです?」

「明日からだ。トランド市に建材の買い付けにな」

 赤竜と一騎討ちする羽目になったから助力を求めに行くなんて言えるはずがなかった。

「急ですね、お仕事大変でしょう」

「うむ、その間家を頼むよ」

「はい、無理しないでくださいね」

「ああ、それより今日は早く寝ようか」

 それは夫婦だけに通じる特別な符丁だ。アニタが顔を赤らめる。

「えー、今日はお話してくれないの?」

 アマルが口を尖らせた。

「いや、今日はいろんなことをお話ししようね」

 カカスはアマルの頭を撫でた。この娘を残して死にたくない。



 翌朝、屋敷を出たカカスは城下町の伝馬所に足を向けた。受付でトランド行きの隊商の荷馬車隊を探し、銭を払って指定された荷馬車に乗り込んだ。

 隊商とは、同じ都市へ行く旅商人や馬借たちが銭を出しあって護衛隊を雇う荷馬車隊のことだ。大きな街の伝馬所には彼らのための護衛隊が常駐していて、報酬を貰って次の目的地までの護衛を引き受ける。当時の旅商人はこういう隊商を組んで旅をするのが一般的で、単独で旅をすることは滅多になかった。


 カカスが乗り込むように案内された荷馬車の御者は女だった。

 背は五尺七寸ほど、肩にかかる程度の金髪を蓬髪にし、肌は小麦色、肉食獣を思わせる吊り目勝ちの大きな二重の眼の瞳は赤い。丈の短い黒革のコートに色の褪せた藍染のズボン、蛇革のブーツを履き、首には毛皮のマフラーを巻いている。

 乗り込んだカカスににっこり笑って御者台から後ろに上体をねじり、荷台のカカスに手を伸ばした。

「よろしく、お客さん、私の名はスウっていうの。トランドまで仲良くやりましょう」

 カカスも手を差し出し、スウの手を握った。その掌の柔らかさに慌てる。

「こちらこそよろしく、カカスと言います。道中よろしくお願いします」

 荷台には中身はわからないが木箱が幾つも積み上げられている。その隙間にカカスは体を押し込んだ。

 御者台からスウが声をかけた。

「そんな所に座ってないでこっちにきなさいよ」

 ぽんぽんと御者台を叩き、カカスを誘った。仕方なく荷台から身を乗り出して御者台にたどり着き、スウの隣に座る。妻と娘以外の女性とこんなに距離を詰めた経験がないカカスは緊張した。

 やがて、太鼓の音が聞こえ、荷馬車隊が動き出した。

 しばらくして、

「お腹が空いてない?朝ご飯食べた?」

と、スウが尋ねてきた。

「ええ、食欲がなくてね」

 昨日の夕食はなんとか飲み込んだが、今日の朝食はほとんど喉を通らなかった。

「駄目だよ。これあげるから食べて」

 スウが差し出したのは皮を剥いただけの生のタマネギだった。何かの冗談だと思った。

「涙が出るくらいおいしいよ」

 そう言って自分の分のタマネギを取り出すとばりばり齧りだした。涙がぼろぼろ流れる顔を向け、にっこり笑った。

「ほらね」

 カカスも意を決してタマネギを齧った。両の眼から涙がこぼれ落ちる。自分がこれほどの量の涙を流せるとは知らなかった。タマネギを握りしめてた両手を眺めながら、カカスはひたすら涙が流れるのに任せた。

「人生たまには思いっきり泣くことも必要だって誰かが言ってたよ」

 スウが慰めるように呟いた。



 ひとしきり涙を流して気分が落ち着いた。

「ありがとう」

 スウに礼を言う。

「いいのよ、気にしないで」

「お一人で行商しているのですか?」

 一人でしかも女の行商人は珍しい。

「違うよ。私はトランドの猟友会のお使いなの。猟友会が獲った毛皮や骨や角なんかをアキュールで売って、アキュールで必需品を仕入れて帰るの」

「大変ですね」

「まあ慣れれば平気よ。それよりカカスさんは何しにトランドに行くの?」

「ええ、ちょっと商用にね」

 それを聞いたスウは懐からコーンパイプを取り出し、煙草の葉を詰めて火打石を使って火をつける。そして、一息吸って長く煙を吐き出すと、視線を前方から動かさずに言った。

「嘘でしょ」

 カカスはぎくりとしてスウの横顔を見た。

「ベルゲスに聞いたよ、カカスさん。困ってるんでしょ?」

「エギル、いやベルゲスと知り合いなのか?」

「ベルゲスとはアキュールに寄ったら一緒にお酒を飲む間柄なの。一昨日も一緒に飲んだんだけど、昨日の夜、青い顔して宿屋にやってきてね、あなたを助けてやってくれってせがまれたの。伝馬町に行くよう言ったけどやっぱり心配だからって。それで護衛隊の隊長さんにお願いして、わたしの馬車に乗せるように頼んだの。今朝だってあなたが伝馬所に行かなかったら引きずってでも連れてくって言ってたよ。あの気難しいベルゲスがここまでするんだから、あなたいい人なんだね」

 カカスに顔を向けてにっと笑った。

「あんた何者だ?」

「トランドの猟友会で猟師やってる者よ。そして身内がトランドの外町であしか亭ってお店をやってるの」

 全てはベルゲスの差し金か、カカスは絶句した。

「ほんとはトランドに着くまで黙ってようって思ったけど、ずっと知らないふりするのはわたしの性分じゃないから。ごめんね」

「いや、気にしないでくれ」

 昨日ベルゲスに渡された真鍮の円板を懐のおとしから取り出す。

「ではこれは?」

「帝国のランダル伯のバレル傭兵団って知ってる? そこの認票だよ」

 知らないわけがない。大戦終結から数年後に帝国で戦われた継承戦争の頃に編成された有名な傭兵団だ。バレル傭兵団は現皇帝側について戦い、帝国各地を転戦して活躍したが、最後はランダル伯が謀反の嫌疑を受けて処刑されたために解隊されたという。

「ベルゲスもわたしたちもそこにいたのよ」

 十年以上昔の話だ。しかし、どう見てもこの娘は二十歳前後にしか見えない。してみるとこの娘は見かけによらず結構な年増なのか。いや、作戦中の野戦軍に洗濯女や飯盛女がぞろぞろついていくのはよくある光景だ。そういう女たちの娘なのかもしれない。

 様々な考えを巡らすカカスを横目に、スウは堰を切ったように話し始めた。

「それでね、あしか亭をやってるうちの身内ってのがね……」

 それからスウは話し通しだった。あしか亭の身内の話、猟友会で獣や魔獣を仕留めた話、狩猟小屋で食べた珍しい動物の話、森の中で見た珍しい鳥の話、山で野営して見た朝日の話、そんな話を延々と続け、そのたびにカカスに相槌を求めた。

 隊商が小休止するたびに、スウは他の商人の馬車から干し肉やら果物やらを贖ってカカスにも勧めた。食べながら喋り、食べ終わって喋り続けた。


 関所の広場で隊商が停まって、やっとスウは黙った。もう夕暮れだった。今夜はここで露営するのだ。荷馬車は円陣を組んで並び、円陣の外周に篝火が焚かれ、護衛の者たちが歩哨に立った。円陣の中央にはひときわ大きな篝火が焚かれて大きな天幕が張られた。賊が襲ってきたらここが本陣になるのだ。

 荷馬車の商人たちはめいめいに寝る支度をしている。みな荷台の隙間で寝て夜を過ごすのだ。スウも荷物の一つを解き、何枚も毛布を引っ張り出した。

「まだ夜は寒いから」

 そう言うと、するすると服を脱ぎ始めた。

「おい、待て、やめろ」

 慌てるカカスをよそに、スウは腕を交差してシャツを脱いだ。大きく形の良い乳房がまろび出る。

「どういう積りだ? 何故服を脱ぐ」

「え? 寝るときは裸に決まってるでしょ。寒いときは裸で抱き合って寝るのが一番よ」

 丸裸で毛布を拡げながらスウが答えた。

「あ、もしかしてやらしいこと考えた? 別にいいよ? こういうときはお約束だし」

 にやりと笑う。

「いや、私には妻がいる。そういうことは遠慮したい」

「ふーん、カカスさんやっぱりいい人だね。ごめんね、変なこと言って」

 そう言うと、毛布を四枚両手で抱えてカカスに押し付けた。

「じゃあ別々に寝よ。おやすみなさい」

 そう言って毛布にくるまるとあっという間に寝息を立て始めた。なんという寝つきの良さ。カカスは茫然とスウの寝顔を眺めていたが、やがてぽつりと呟いた。

「寝よう」



 次の日も次の日もスウは相変わらず喋り続け食べ続け、夜は裸で寝た。アキュールを発って六日目の昼、隊商はトランド市に到着した。ここで隊商は解散だ。皆それぞれの方向に散っていった。

「じゃあ、あしか亭にご案内」

 そう言うと、スウは手綱を操って馬首を巡らせた。

「この時間の表通りは混んでるから」

 そう言って裏通りをいくつも曲がっていく。自分がどこに向かって進んでいるのかわからなくなってきた頃、

「着いたよ。あそこ」

 スウが一軒の平屋を指差した。この辺りの建物にしてはかなり大きいほうだ。荒縄で区切られた裏庭が見えた。裏庭では少女と三人の女が洗濯物を干している。あの少女はアイカ、三人のそっくりに見える女たちの名はグスタフ、ドーラ、カールだろう。道中、スウに何度も聞かされていたおかげですぐわかった。荷馬車を認めたアイカは、脱兎のように走って裏口に入っていった。

 グスタフたちが荒縄を外したところから荷馬車が裏庭に入ったところで、アイカに手を引かれるようにダークエルフの娘と髪を後ろで束ねた長身の娘が出てきた。この二人がニドとロラだろう。

「あら、お客さん?」

 ニドという名のダークエルフの娘がカカスを見て怪訝そうに訊いた。

「この人はカカス・ザザさん。アキュールのベルゲスから頼まれたんだ。助けてほしいって」

 スウが答えた。

「あら、ベルゲスさんがねえ。詳しい話は後で聞きましょう。ようこそいらっしゃいました、カカス様。ニドと申します」

「ロラです」「アイカです。そしてこちらの三人がグスタフ、ドーラ、カール」

 カカスに向かって次々に頭を下げていく。慌ててカカスも頭を下げた。

「それでは立ち話も何ですからこちらにいらしてください」

 ロラが裏口から家の中にいざなった。

 案内されたのは飲み屋のテーブルだった。すみませんね、何かと手狭で、と言いながらロラが食事を運んできた。スウの買い食いに付き合ったせいでくちくなっていた腹には、かえって薄い麦粥と小魚三尾の質素な食事が有難かった。カカスが粥を啜っている間、カウンターではニドとスウがパイプをくゆらせながら小声で何事か相談していた。カカスの件なのは間違いない。しかし、顔を向けるのはいかにも不躾だ。気づかない振りをして小魚を齧った。

 やがて、食事を終えてカカスがため息をついたころ、カウンターから鋭い金属質な音がした。思わず振り向いた。ニドが金色のパイプでカウンターを叩いたのだ。

 そしてニドは厳かに宣言した。

「家族会議よ」


 やがて、ロラとアイカ、そしてグスタフ、ドーラ、カールの三人が店内に入ってきた。テーブルを二つ寄せて取り囲むように女たちが座る。カカスはスウの後ろに用意された椅子に座った。そして、ニドがカカスの窮状を話し出した。時々、カカスに確かめるかのように水を向ける。その度にカカスは肯いた。


「というわけなのよ。わかった?」

 ニドは話し終えるとパイプをくわえた。ロラの黒檀のパイプから火を分けてもらい、煙を吐く。

「ひどい話ですね」

 ロラが眉をひそめて呟いた。

「うん、カカスさんかわいそう」

 アイカが声を上げる。

「カカスさんだけじゃないわ。ただ寝てるだけの赤竜を殺すなんて、あんな美しい生き物を」

「うん、ごめんなさい、ロラ姉さん」

「でも、赤竜が寝ているのはお城のすぐ近くよ。ブレスを吐いたってことは目覚める前兆だわ。長い眠りから覚めたらお腹一杯になるまで城下町の人たちを焼肉食べ放題大会よ」

 ニドが口を挟んだ。

「あとどれくらいで目覚めるの?」

 アイカが訊いた。

 ロラがニドに代わって答える。

「わからないわ。すぐかもしれないし、何年も経ってからかもしれない。竜の時間の流れは人間とは違うの。でもベルゲスさんが言ってた大きさの赤竜なら遅くてもだいたい数カ月で目覚めるのが普通よ」

 そういえば城の魔導士も同じようなことを言っていた。

「それで、どうすればいいの?」

 アイカが再び訊く。

「ベルゲスはカカスさんが死なないよう助けてやってって言ってたよ」

「スウ、ベルゲスさんって言いなさい」

 ロラがたしなめた。

「むー、ごめん、ロラ姉」

 ニドが立ち上がってカカスに近寄ると、左手を伸ばしてカカスの手首を取った。

「カカスさん、ちょっといいかしら」

「何です?」

 そのままニドは目を閉じて自分の額をカカスの額に重ねた。何のことかわからず、カカスはうろたえる。

「動かないで」

 ニドの声でカカスは目を閉じて動きを止める。しばらくしてニドは額を離して微笑んだ。

「ひねりのないことをしてごめんなさいね、カカスさん。初めて見たときから何かあると思ってたの。あなた遠いご先祖様に英雄とか勇者とか呼ばれたお人がいないかしら?」

「八代前の当主が戦場で大手柄を上げた話が代々語り継がれてはいる。バッシュ・ザザという名だ。しかし、そんな伝承はどの家にもある。昔は我が家も凄かったんだよと子供に語る詮無い御伽話だ」

「違うわ。本物よ。きっと一代おきに能力が受け継がれていたのね。あなた大当たりよ」

「まさか、俺は騎士としては無能もいいところだ」

「それは能力が目覚めなかっただけよ。まあ、こんな能力は眠ったままのほうが幸せかもしれないわね。でも、あなたは生きて奥さんと娘さんと暮らしていきたいんでしょう?」

「できるのか?」

「今夜、あなたの能力を叩き起こしてあげる。それよりも」

 ニドは一同を振り返った。

「問題は城の連中よ。カカスさんのことを塵とも思ってない連中だから、カカスさんが穴に入ってる間に後ろから矢を射かねないわ」

「まさか。いくらなんでも」

 カカスが抗議の声を上げた。

「まだ気づかないの? 連中はあなたを戦の前の贄にするつもりよ。味方の死を見せつけて皆を奮い立たせて血狂いにするなんて戦場じゃよくあることだわ。カカス殿の弔い合戦だ、者ども、懸れや懸れってね」

 カカスは絶句した。まさかそんなことが。考えすぎではないのか。

「介添えを出すわ。カカスさんが竜と向き合ってるときに城の連中に手出しさせないように。そしてもしカカスさんが危なくなったら竜から守れるように。スウ、あなた大丈夫よね?」

「いいよ、ニド姉、ベルゲス……さんから頼まれたのはわたしだし」

 そう言ってスウはごきりと首を鳴らした。

「私も行きます。哀れな赤竜をちゃんと葬ってあげなくては」

 ロラが手を上げた。

「じゃああたしも!」

 アイカが立ち上がった。

「駄目よ」

 ロラがアイカの手を握る。

「私とアイカがいなくなったらどうするの? 姉さんが厨房に立つのよ。お客様がみんな逃げるわ」

 ニドが眉を顰めて眉間に皺を作った。

「どういう意味かしら?」

「じゃあスウ姉さんの代わりにあたしが行くのは? スウ姉さんは料理得意でしょ?」

「駄目よ、何日も留守にするのよ。家の中のありとあらゆる物にソースがつくわ」

「なんでソースがつくかは謎よ」

 腕組みしたスウが不敵に笑った。

「うん……」

 アイカが萎れるように椅子に座った。

「私が留守の間、厨房をよろしくね。決してニド姉さんを近づけちゃ駄目よ」

 ロラがアイカの頭を撫でた。

「さて、もう一人欲しいところだけど」

 ニドがアイカに目を向ける。

「アイカ、カールに手伝ってもらっていい?」

 アイカは彫像のように座っているそっくりな三人の娘のうち向かって左端の娘にテーブル越しに手を伸ばす。

「カール、お願いできる?」

 よく見分けがつくとカカスは内心感心する。

「ええ、お任せください。アイカ様」

 今まで終始無言だったカールが初めて喋った。アイカの手を取り、その顔に微かな微笑が浮かんだ。

 ニドは一同を見回して告げた。

「さて、やることは決まったわ。アイカたちは私とカカスさんの鎧と得物を見つくろいましょう。カカスさんの体に合わせて調整しなきゃ。それが終わったらアイカたちは荷車の荷を降ろして家の中に入れてちょうだい。猟友会の大事な荷物だから大切に扱うのよ。明日、猟友会に手紙で事情を伝えて引き取りに来てもらうわ。ロラはカカスさんに夕食を作って。滋養のあるものを作るのよ。私は儀式の準備をするわ」

 スウが片手を上げた。

「あたしは?」

「あなたはお風呂の準備よ。あと、ロラ、スウ、カールはそれぞれの装備を鎧櫃に入れて。特級冒険者も来るって話だから顔を隠せる面甲も忘れずにね。カカスさんの鎧櫃も用意するのよ。その他の道具もちゃんと準備してちょうだい。他の人はお店の準備をして。私は儀式があるから今日はお店に出られないわ、お客さんたちにはよろしく伝えて。明日の日の出とともに荷物を積み込んで出発よ」

 一息に言い切ると再び一同を見回す。

「誰か質問ある?」

 みな無言だ。ニドは手を鳴らした。

「それじゃみんなかかってちょうだい」

 女たちが立ち上がり、めいめいに動き出した。

 自分を置いてけぼりにどんどん話が進んでいく。カカスは茫然として眺めるだけだった。



 それから半刻ほど、カカスは所在なくカウンターに座っていた。今日一日で物事が恐ろしい勢いで変転している。自分の運命を嘆く暇もなかった。この店の女たちが自分のために色々とよくしてくれることに戸惑っていた。こんな初対面の自分のためにだ。もし俺が独り者だったら、そんな考えが頭をもたげるが、慌てて打ち消した。何を考えているんだ俺は、自分を愛してくれる妻と娘がいるのに。


 アイカたちが店の入り口から入ってきたのは、そんな物思いに耽っている時だった。ニドも一緒だ。グスタフら三人のうち二人で大きな鎧櫃を運び、もう一人が布でくるんだ半畳ほどの板を、アイカはこれも布で包んだ一間ほどの杭を両手で抱えている。

 グスタフたちは櫃を床に置くと、上蓋を開いて鎧を取り出しはじめた。青黒く光る金属で作られた胸甲、肩甲、草摺と次々に床に並べられていく。

「これは?」

「魔鉄で作られた鎧よ。形は古いけど、防御力はそこらの魔法の鎧には負けないわ。じゃあまず服を脱いでこれに着替えて」

 真っ白の鎧下を差し出した。

「ここでか?」

 皆の目があるところで着替えられない。

「なに言ってるのよ。時間がないんだからさっさとしてちょうだい」

 しかたなく、服を脱ぎ下帯一つになるとそそくさと鎧下を着込んだ。弛んだ体が恥ずかしい。

「ほら、私の言ったとおりぴったりだったでしょう?」

 カカスの内心をよそにニドが嬉しそうに声を上げた。

「じゃあ次はこれ」

 手渡された鎖帷子の上下を着る。

「まあこんなものね」

「少しゆったりしてる感じなんだが」

「少しくらいゆったりしてるほうがいいのよ。最近のぴったりした鎖帷子はいざというときに体に引っかかって動きを妨げるのよね」

「そういうものか」

「最近は魔銀の糸で編んだ帷子もあるけど、こっちのほうが頑丈よ」

 じゃあ次は鉄靴を履いて、はい、脚甲をつけて、次は、その次は、ニドの言われるままに鎧を纏っていく。グスタフたちがカカスを取り囲んで鎧のそれぞれの部位を小さな鎖や帯の長さを調節し、蝶番を留めて連ねていく。まるで着せ替え人形になった気分だ。最後に渡された兜を被った。可動式の面甲の覗き孔には薄く削った水晶のような透明の板が嵌められている。

「どう?これで出来上がりよ」

 グスタフたちの一人が持ってきてくれた姿見を見る。さすがにこれは強そうだ。

「動きにくいところはない?」

「いや、動きに問題はなさそうだ。しかし重い。これじゃ動けないぞ」

 床板が悲鳴を上げている。床が抜けるんじゃないかとカカスは心配になった。

「大丈夫よ、魔力を込めれば狐とダンスだって踊れるわよ。最近の魔法鎧は軽く作るのが流行りだけど、この鎧は着てる人の魔力を使って動くの」

 それは動甲冑ではないか。カカスはたじろいだ。着用者の魔力を糧に怪力を振るう鎧だ。昔はこういう動力鎧が使われていたことはカカスも聞いたことがあった。しかし、動甲冑は動きが鈍く、さらに着用者の魔力を激しく消費するため、今では作られることもない時代遅れの代物だ。

「すまんが俺の魔力は人並みだ。むしろ低いほうだ」

 試しに魔力を込めてみたが、相変わらず鎧は重いままだ。カカスの魔力では立っているだけでやっとなのだ。歩こうと一歩でも踏み出せばそのまま転倒するだろう。

「それはこれから仕込んであげる」

 ニドがにんまり笑った。

「じゃあアイカ、次をお願い」

 目を向けると、アイカが厳粛な顔つきて、布に包まれた板状のものを両手で掲げてカカスに歩み寄った。半眼で背筋を伸ばし、まるで神に仕える修道女のようだ。カカスの目の前で足を止め、布の包みを差し出して改まった口調で告げる。

「これをお持ちください」

 受け取るとずしりとした重量が両手にかかった。支えきれない。こんな小さい少女でも持てたのに。しかし腕はカカスの意思と裏腹に悲鳴を上げている。諦めたカカスは、ゆっくりと床につけて袋を取る。湾曲した長方形の盾が現れた。一見ただの木の盾のようだが、この重さはなんだ。

「鋼木を圧縮鍛造して何層も重ねた方盾よ。裏に呪文を仕込んでるから、魔力を込めたら魔竜のブレスだって二、三回は防げるわ」

 見ると、盾の裏面には細かい文字が並んでいる。公用文字、エルフ文字、ドワーフ文字、他にも見たこともない文字もいくつかあった。目を凝らして読もうとしたが、何故か目が滑って意味が分からなかった。

 やがて、グスタフたちの一人が盾に手を添えるとそっとカカスから取り上げ、軽々と持ち上げて床に置いた。

「あんたたちは何者だ。こんな重い鎧や盾を軽々と扱う膂力は尋常じゃない」

「あら、女だからって甘く見ちゃだめよ。家事仕事って結構な重労働なんだから」

 そんな答えに納得できなかったが、聞いても無駄なことはわかった。


 続いてアイカは先ほどの杭のようなものを両手で捧げてカカスに差し出した。

「これをお使いください」

 もう頑張ろうとは思わない。カカスはそっと受け取ると一方を慎重に床につけて布を巻き取った。

 出てきたのは槍だった。馬上槍試合で使う騎槍を寸胴にしたような、太い三角錐の柄をしている。三角錐の底面は差し渡し八寸ほど、そこから一尺半ほどの棒が伸びている。おそらくここを握って突くのだろうが、いかにもバランスが悪そうだ。穂先は鋭そうだが、穂先近くの柄を囲むように線状の穴がいくつか開いているのが気になった。これも魔法の武器なのだろう。

「穂先は金剛鉄、年季の入った竜の鱗だって貫く代物よ」

「この穴は?」

「中に魔法輪が三つ仕込んであるわ。魔力を込めると魔力爆発を起こしてその穴から爆風が吹き出すの。これは大昔に特別に作られた竜殺しの槍よ」

 いくら魔法の武器でもそんな代物は聞いたことがない。まるで神話の武器だ。

「どれだけ魔力が必要なのか想像もできんな」

「ええ、今じゃこれを使える人なんて滅多にいないでしょうね」

「俺は扱えるようになれるのか?」

「大丈夫、三、四発分は使えるようになれるわ」

 ニドは微笑んだ。

「しかし、この鎧といい、盾といい、使わせてもらっていいのか? 相当高価なのだろう?」

「あげるんじゃないわ、貸すだけよ」

 ニドは手を伸ばしてカカスの兜の面甲を下ろした。それから右手の人差し指を自分の唇に当てると、その指で優しく面甲を撫でた。

「ちゃんと返してちょうだいね」

「ああ、努力する」

「じゃあ鎧を脱いで。明日の朝、馬車に積み込むから」

 グスタフたちに手伝われながら鎧を脱ぐ。鎧下もはぎ取られ、あわてて服を着る。

「鎧を着たカカスさん、かっこよかったですよ」

 先ほどまでの修道女のような雰囲気はどこに消えたのか、アイカはにっと笑うと、鎧櫃を抱えたグスタフたちと一緒に出て行った。

「ロラに食事を運ばせるわ。ちょっと待っててね」

 そう言ってニドはカウンターの奥に消えた。


 しばらくしてロラが夕食を運んできた。気がつくともう夕暮れ時だ。カウンターに座ったカカスの前にロラが大皿を置いた。

 皿には菜葉が敷かれ、大きな茹で海老が乗っている。

「蛇紋海老です。漁師さんが河をさかのぼって売りに来るんです。美味しいんですよ」

 湯呑に黒茶を注ぎながらロラが説明した。

「下の葉で包んでお召し上がりください」

 言われるままにカカスは恐る恐る一口齧った。

「うまい」

 ロラがにっこり笑う。

「よかったですわ」

 海老ににかぶりついてあっという間に平らげた。黒茶を啜ってようやく落ち着いたカカスはロラに礼を言った。

「あなたたちには世話をかけている。どう報いていいかわからない」

「気にしないでください。ベルゲスさんにはいろいろお世話になってましたから、これはご恩返しみたいなものですわ」

「ベルゲスはあなたたちに世話になったと言っていた」

「ふふっ」

 ロラが口に軽く手を当てる。

「まあ、お互いにお世話をしたりされたり、世間はそういうものでしょう?」

 誤魔化されているような気がする。

「しかし、俺はしがない貧乏騎士だ。礼をするにもたいした財産もない」

「気にしないでください。困っている人を助けるのは当然ですわ」

 そしてロラは急に真顔になると、静かに言った。

「せめて赤竜を苦しませず殺してあげてください。私たちもできる限りお手伝いしますから」

「できればいいのだが」

 カカスは自嘲する。

「大丈夫ですよ、きっとできますわ」

 その時、スウがカウンターの奥から暖簾を押して入ってきた。

「カカスさん、お風呂空いたよ」

「すっかり話し込んでしまいましたね。スウ、カカスさんをお風呂場にご案内して」

「うん、カカスさん、こっち来て」

「スウ、お風呂場にご案内したら店を手伝ってちょうだい。もうすぐお客様がいらっしゃるわ」



 大きな檜風呂だった。広さ四畳ほど、男五人が足を伸ばして入れるくらい大きい。こんな場末の飲み屋にこんな贅沢な風呂があるとは。カカスは驚きを隠せなかった。窓を見上げると、もうすっかり日が落ちて星が瞬いている。気もそぞろに風呂から上がって体を拭うと、服を着て廊下に出た。

「待ってたわよ」

 ぎょっとして声のするほうを向くと、そこには白い襦袢を羽織ったニドが腰に手を当てて立っていた。状況が理解できない。

「そんな恰好で寒くないのか?」

 まだ冬だ。そんな薄着では風邪をひく。

「寒いわよ。だから早くこっちに来て」

 無理に手を引かれて部屋に連れ込まれた。

 六畳ほどの寝室は四隅が小さく灯されているだけで薄暗い。真ん中に木組みの寝台が置かれ、白いシーツがかけられている。手を引かれるままに寝台に腰かけた。

「何をするんだ?」

「言ったでしょ? あなたを裏返しにして隠れてる中身を取り出してあげるって」

 カカスの隣に腰を下ろしたニドが言った。

「そんな物騒なことは言ってなかったぞ」

「あなたは性根が優しい人。だから本当の力に気づいていないだけ。これからそれを引っ張り出してあげる。あなたが本当は強くて勇猛で残忍な男だってことを思い知らせてあげるわ」

 ランプの薄い光の中、上目遣いのニドが妖艶に微笑む。カカスは秘かに慄え上がった。もしかしたら手の込んだ罠に落ちたのかもしれない。

「じゃあ、服を脱いで」

「え?」

「服を脱がないと術ができないの。全部脱いで」

「全部か?」

「自分で脱ぐか私に脱がされるかさっさと決めなさい」

 カカスは言われるがままに全裸になった。股間が縮み上がる。

「じゃあ仰向けに寝転んで。ゆっくり息をして気を楽にしてね」

 仰向けのカカスにニドが馬乗りになった。ダークエルフの柔らかな太腿の感触と体温にカカスは混乱した。ニドは下帯をつけてなかった。

「おい」

「黙って、これから力を引き出すわよ」

 ニドは目を閉じ、手を伸ばしてカカスの人中に触れた。それから鎖骨の間、最後に臍の下に手を置いて小声で呪を唱え始めた。

 どれくらい経っただろうか、カカスは体に異変を感じた。体の中心から力が湧き上がってくる。ポーションの過剰摂取に似ているが、何かが根本的に違っていた。指の先まで力が漲る。凄まじい万能感がカカスを包んだ。

 汗に濡れたニドが満足気に微笑む。

「どう?」

「これは?」

「あなたの中に眠っていた力よ」

「すごいぞ。うまくは言えないが、まるで別人になった気分だ」

「ふふ」

「かたじけない。これで生きて家に帰れる。ほんとうに感謝する」

 カカスの感謝の言葉を聞き流してニドがベッドの下から細首の壺を取り出した。ゆっくりと傾けて中身をカカスの体に注ぐ。香油だ。

「何をしている?」

「まだ終わりじゃないわよ。これからが本番」

 香油をカカスの体に塗りたくりながら、カカスの目をじっと見つめてニドが答えた。

「何だと」

「スウから聞いてるわよ。あなた、奥さん一筋なんですってね。素敵よ。でも、本当に奥さんと子供さんと生きて会いたいなら……」

 カカスから視線を外さず背をくねらせながら襦袢を脱ぎ捨てる。小ぶりな乳房と引き締まった腰が露わになった。ニドは壺の香油を自分の裸に注ぐ。カカスは己の股間が熱く激しく屹立しているのを感じた。こんな小柄なダークエルフ娘をはねのけられない。濡れた紅瞳がカカスを見下ろしている。

「陳腐な言い回しで御免なさいね」

 ニドの上半身が覆いかぶさってきた。肌を通してニドの荒い息遣いが伝わってくる。

「体は正直ね」

 カカスの体の上をダークエルフ娘の裸身が泳ぐ。ニドの舌がカカスの唇を難なくこじ開けた。舌と舌が絡まる。

 ニドはカカスの舌を存分にねぶると、唇を離してカカスの耳もとに顔を寄せて囁いた。

「目を閉じたほうがいいわよ」

 優しい歯が耳朶を噛んだ。

「顔が奥さんと違うから」



 その日は朝から小雪がちらつく曇り空だった。牧場の穴を取り囲むようにアキュールの軍勢が展開していた。四つの重歩兵の方陣が梯隊に配され、その前方に弩砲が並ぶ。方陣の間には魔導士が分散して配置されている。その数はざっと二百。これほどの数の魔導士が動員されたのはキブツ州では大戦以来のことだ。ハーベン侯爵が近隣の領主に檄を飛ばしてかき集めたのだ。さらに後方に重騎兵が待機し、空には航空竜騎士が駆る飛竜が遊弋している。ハーベン侯爵は保有する野戦軍の大半をこの牧場に集中していた。

 方陣の後ろの高台には陣幕が張られ、六人の聖騎士を従えたハーベン侯爵が中央に座り、左右に参謀たちと家老たちが控えていた。そして、高台から少し離れた草地に、五人の男女が所在なげに立っている。冒険者組合が派遣した特級冒険者パーティだ。


「『竜殺し』とやらはまだ来ないのか?」

 ハーベン侯爵は苛立ちを隠さず喚いた。作戦参謀が慌てて答える。

「まだ現れませぬ。屋敷にも帰ってないようで」

「もしや逃げたのではあるまいな?」

「家族に尋ねたところ、トランド行きの荷馬車に乗ったそうで」

「家族を捨てて逃げたか。二つ名に似合わぬ腰抜けだな」

 ハーベンはせせら笑った。つられて参謀たちも笑い声を上げる。

 その時、牧場のほうから伝令の早馬が駆け込んできた。

「カカス・ザザ殿がただいま着到しました!」

 一同が立ち上り、伝令の指さすほうに目を向けた。

「なんだあれは?」

 誰かが呟いた。

 現れたのは大きく張り出した幌を被った一台の荷馬車だった。荷馬車は皆が注視する中、方陣の間を抜けていく。

「まさか荷車の騎士を気取っているのではあるまいな」

 嘲る声が上がり陣幕に小さく笑いの波が起こった。やがて荷馬車は穴の前で停まった。

 みなが見守る中、荷馬車から降り立ったのは二人の異形の装甲兵だった。

「なんだ、あいつらは?」

 一人は鳥のような兜をかぶり、全身被甲の板金鎧の胴は女の裸を象った異様な裸胴だ。左肩から大剣を斜めに吊るし、右肩に把手を備えた巨大な鋼鉄製の弩を担いでいる。もう一人は後ろに庇が伸びたサレットをかぶり、鎖帷子の上に胸甲を着込み、腰から下は膝下まで伸びた草摺で守られている。鋼鉄製の面をしていて、右手には水軍で接舷兵が使うような鉤槍を持っている。二人とも顔が見えなかった。

 続いて御者台からもう一人降りた。馬の前に立って手をかざすと馬がその場に座り込んだ。錣の広い頭形兜の下の顔は能面のような鉄面に隠れて見えない。鉄の小札で補強された黒毛の皮鎧を着て、手には杖が握られている。

 三人は穴を背にして軍勢のほうを向き、荷馬車を守るように立った。三人とも女だ。鎧を着ていても女らしい体形は隠せない。そして、荷馬車の中から真打ちのように人影が現れた。

 鎧は青黒く輝き、髑髏を模した面甲で顔は見えない。巨大な方盾と異様に太く短い槍を持ち、一同を睥睨するように見回した。


 最初に気づいたのは冒険者組合から派遣されてきた特級冒険者たちだった。

「おい、あいつらおかしいぞ」

 戦士が呟く。

「うむ、尋常ではない。全員が魔法の鎧を着ている。それに魔法の武器も」

 魔導士が答えた。

「あの弩は魔法はかかってないみたいだけど、まるで小型の弩砲よ。魔鉄の延べ板を何枚も重ねてるわ」

 小手をかざした女戦士が呻くように言った。この寒い中、ヴィキニ鎧を着る剛の者だ。

「おい、あの杖を見ろ」

 斥候が声を上げた。

「信じられん、魔法輪を十個は仕込んでるぞ」

 どんなに魔力が高い者でも魔法輪は七個が限界とされている。

「はったりじゃないのか?」

「連中、カカスとやらが雇った冒険者か?」

「いや、あんな冒険者は聞いたことがない」

「もしかしたら人間じゃないかも……」

 今まで黙っていた僧衣にサーコートを引っかけただけの女司祭が口を開いた。

「まさか魔族か?」

「わかりません、真ん中の人は間違いなく人間ですけど、他の三人は人の気配がしません」

「探れるか?」

 魔族なら重大な和平協定違反だ。竜退治どころではない。

「ええ」

 女司祭は静かに呪を唱え、神経を集中する。

 その時、能面の女が冒険者たちに顔を向けたように見えた。何気ない風に軽く杖を振った。

 その瞬間、女司祭の鼻孔からたらりと血が落ちた。その場にしゃがみこむ。

「大丈夫か! 何をされた!」

 助け起こされた女司祭は鼻を押さえてふらつきながら答える。

「わかりません、防壁を張られました。逃げる暇がありませんでした」

「どうする? あいつらを問いただす?」

「だめだ、大事にして探ったことを公にされるとまずい」

「尾行してねぐらを突き止めるか?」

 斥候の提案を女司祭が即座に打ち消した。

「駄目です! 関わったら殺す。そんな意思を感じました。手を出さないで!」

「ここで揉め事を起こすわけにはいかない。後で冒険者組合に報告すればよかろう」

 戦士が恨めしげにカカスたちを睨んだ。


「あれがカカスなのか? なぜ我に敬礼しない?」

 ハーベンの怒気を含んだ声が陣幕の間に響く。慌てて作戦参謀は馬を駆り、荷馬車に一直線に走った。三人の女たちが動いて馬の行く手を阻む。女たちの手前で輪乗りしながら作戦参謀は叫んだ。

「カカス! カカス・ザザなのか!?」

 青黒い鎧が面甲を跳ね上げる。

「いかにも、カカス・ザザです」

 確かにその顔はカカスだ。しかし、こいつはこんな冷たい眼をしていただろうか。それに何だその巨大な鎧は。作戦参謀は一瞬躊躇したが、役目を思い出して詰問する。

「何故殿に着到の報告をしない? 無礼だぞ」

「私は命を受けた時点で死人も同然。生者である殿に礼を尽くす理はありません」

「狂ったか! カカス!」

「殿にお伝えください。カカスは今から穴に入ると。穴から出たら職を辞させていただく」

 そう言うと、面甲を下ろして穴に向かって歩き出した。

 絶句した作戦参謀を無視して鳥兜の女が把手を使わず弦を引き、弩に鋼鉄製の太矢をつがえた。三人が穴を背にしてカカスの背中を軍勢から守るように立つ。


 高台に戻った作戦参謀の報告を聞いたハーベンが激怒して笞を振り上げた。

「なんだ、あの無礼者は! 職を辞したいだと! こちらから追い出してやるわ! 各家に奉公構を廻してな!」

「殿、落ち着いてださい。どうせあやつは竜のブレスに焼かれる身、死人の言い草など気にされぬよう」

 年かさの家老が宥めた。それでもハーベンは憤懣やるかたない様子で床几に腰を落とした。

 その直後、穴から轟くような咆哮が聞こえ、地面が鳴動した。

「始まったか」

 聖騎士の一人が呟いた。


 しばらくして、出し抜けに竜のブレスが地を割って空に向かって伸びた。運の悪い飛竜が一頭、乗り手ごと消滅した。残りの航空竜騎士が飛竜を操り高度を上げる。地上の魔導士たちが慌てて防壁魔法を展開した。やがて、唐突に咆哮が途絶え、地鳴りも静まった。

 それから四半刻足らず経ったころ、ふいに三人の女が穴を振り返った。穴からカカスが姿を現した。右手に槍を、左手に盾を持ち、何か長いものを肩に担いで引きずっている。

「馬を引け!」

 乗馬に飛び乗ったハーベンは穴に向かって馬を走らせた。聖騎士たちが後に続く。女たちはもう行く手を遮らなかった。カカスの前で馬を停め、ハーベンは馬上からカカスに叫ぶように問うた。

「竜はどうなったのだ?」

 髑髏面のカカスは無言で引きずっていた赤黒い物体をハーベンの馬前に投げ棄てた。

「これは何だ?」

「殿、これは竜の舌です」

 聖騎士の一人がハーベンに告げる。

「なに! まさか一人で竜を討ち取ったのか?」

 カカスが億劫そうにゆっくりと面甲を上げた。

「討って当然、我が名は『竜殺し』カカス・ザザゆえに」

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