第7話

「なんだって? あたしを男だと思った? 失礼だね」

 カルノリッチは腕組みをして僕を睨んだ。

「すみません……」

 僕が謝ると、彼女はにっこり笑って、

「ま、いつものことだけどね。あたしはこういう服が好きなんだ。ヒラヒラしたスカートはどうも、はく気になれない」

 それから本題に入った。

「あたしが魔女の世界に行ったのは、五歳のころだった……」


 あたしのおばあちゃんの家は、三っ池のもっと向こうの薮田というところにある。そこへよく遊びに行っていたんだ。何もない田舎だけれど、それが子供のころは魅力的だったんだ。ある日、あたしはいつものように一人で探検していた。その日はとても天気が良くてね。気分がよかったから、少し遠くまで行ってみた。そこで偶然にあの三っ池にたどり着いたんだ。そこには小さくてかわいらしい青い花と、黄色い花が咲いていて、幼稚園でもらった図鑑で調べてみると、青いのは『おおいのぬふぐり』、黄色いのは『かたばみ』と書いてあった。昼間だというのにそこは木がうっそうと茂っていて仄暗かった。それなのに、池は空の青色を映して湖面は風に揺れキラキラと輝いていたのさ。それにうっとりしているうちに眠くなってね。気がつくと日が傾いていた。帰る方向も分からず、寂しくなって泣き出したんだ。涙で潤む目を湖面に向けると、池の上をほうきに乗った魔女が浮いていた。

「どうしたんだね、おちびさん」

 しゃがれた声で聴くと、魔女はあたしのそばにふわりと降り立った。突然現れた魔女に驚き、言葉が出なかった。

「もうじき暗くなる。早く家にお帰り」

 しわだらけの顔を近づけ言った。優しい言葉だったけど、やはり答えられなかった。

「お家はどこだね? 送ってやろう」

 そう言われても、もしかしたら連れ去られるんじゃないかと恐ろしかった。ただただ、首を横に振るしかできない。

「おまえ、わたしが怖いんだねぇ」

 魔女はそう言うと、スティックを一振りした。キラキラした光の粒が魔女を包み消えていくと、しわだらけだったのがうそのように美しい顔に変わっていた。小枝のように細くごつごつしていた指も白くしなやかだ。

「わたくしは魔女界に帰らなくちゃならない。けれど、あなたを一人ここへ残すのは気がかりです。一緒に行きますか?」

 もうすぐそこまで暗闇は迫っていた。このときばかりは首を縦に振った。

「そう。それじゃ、わたくしにしっかりつかまりなさい」

 魔女はあたしを抱きかかえると、ほうきにまたがった。ほうきはゆっくりと浮かび停止した。落ちるんじゃないかと思い、あたしは魔女の服にしがみついた。魔女はスティックで空に円を描いた。すると、そこには黒い渦ができた。

「さあ、行きますよ」

 魔女は言って、勢いよくその渦へ向かっていった。何が起こるのか分からず目をつむった。

「つきましたよ。ここが魔女界」

 目を開けると、そこは仄暗い世界だった。魔女を乗せたほうきは、そのまままっすぐある建物へと向かっていた。とんがり屋根がいくつもそびえ立っているお城だ。おとぎ話のようなメルヘンチックなものではない。やはりそこは魔女の城らしく全体が灰色で、威圧感がある。その城の一番高い塔の最上階にある窓へ、スピードを落とすことなく入っていった。窓枠にぶつかると思って目をつむりそうになったが、窓枠は魔女が通れるように広がったのだ。

「わたくしはやることがあります。あなたはここで待っていなさい」

 魔女はそう言い残すと、マントをひらりとさせた。一瞬の出来事だった。魔女はあたしの前から姿を消した。

「まあ、なんてこと! 人間の子じゃないの。大魔女にも困ったもんだよ」

 とつぜん、誰もいないはずの部屋で、誰かが素っ頓狂な声を上げた。おどろいて辺りを見回したが、やはり誰もいない。

「おちびさん、誰をお探しだい?」

 声はベッド方から聞こえた。誰かが隠れているのだろうか?

「どこを見ているんだい。しゃべったのは私だよ。大魔女のベッドさ」

 まさか、ベッドがしゃべるなんて思わないから、狐につままれたようにきょとんとしていた。

「何、驚いているんだい。ベッドがしゃべるのは当たり前じゃないか。それとも何かい? 人間界ではベッドはしゃべらないとでも言うのかい?」

 ベッドはそう言って、大きな身体をゆすって笑い始めた。ガタガタ派手な音がして、部屋まで揺れたんじゃないかと思うほどだ。

「まったく、うるさいわねぇ」

 今度は違う声がした。これは誰だかすぐに分かった。タンスがパタパタと扉を開けたり閉めたりして、しゃべっていた。

「あんたに言われたかないよ」

「人間の子。あなた、ここがどこだか分かっているの? ここはあなたの来るところじゃないの。大魔女様は一体何を考えているのかしら。見たところ、まだ幼いわね。早く親元に返してやらなければいけないわね」

 タンスがあたしに向かって、そういったとき、おなかがグゥと鳴った。

「あら、おなかがすいているのねぇ。かわいそうに……」

 そう言って、タンスから黒いワンピースがふわりと出てきた。ワンピースは袖と裾周りがレースになっていて、胸の辺りにしずく型のブローチを付けている。スィーと宙を滑るようにあたしに近づいた。

「何か持ってきてあげましょうね」

 ワンピースは袖で器用にドアノブを回し、ドアを開けて出て行った。

「あの子ったら、気取ってるわ。身軽なのをいいことに……」

 タンスはちょっと悔し気に言った。

「あら、いいじゃない。あんたのほうが私よりよっぽど身が軽いんだから」

 ベッドはおおらかに言った。

「それより、おちびさん。あんた、口があるのにしゃべれないのかい?」

 ベッドに言われて、もじもじしていると、

「きっと、しゃべれないんじゃないのよ。私たちが怖いのね。そうでしょ?」

 あたしはコクリうなずいた。

「どうしてだい? 私は人間の子を取って食ってりしないよ。もしかして、人間界では本当にベッドはしゃべらないのかい?」

 またコクリとうなずいてみせた。

「なんてこと! それじゃ、人間界のベッドはどうやって一日を過ごしているんだい。しゃべれないだなんて……」

 ベッドはそのあとしばらく、小さな独り言を言いながら身体を揺さぶった。

「はーい。おまたせ……。えっと、あなたの名前、まだ聞いていなかったわね。私はロンダよ。あなたは?」

 勢いよく、部屋のドアが開かれ、黒いワンピースが戻ってきた。

「……あたし、莉子」

「まあ、素敵な名前ね。サンドウィッチを作ってきたの。さあ食べて」

 ロンダが長い袖の上に盆を載せて、紅茶とサンドウィッチを差し出した。すると、すみの方にあったサイドテーブルが、

「やっと私の出番だよ」

 と言いながら、三股に分かれたスタンドで器用に歩いてきて、あたしの前でとまって、

「はじめまして莉子。私はスーリーだよ。ここの誰よりも礼儀をわきまえているからね、小さな子をおどろかすようなことはしないよ」

 スーリーはそう言ったきり、普通のサイドテーブルのようにおとなしくしている。

「ロンダ、スーリー、ありがとう」

 そう言って、あたしはロンダの持ってきたサンドウィッチにかぶりついた。すごくおなかがすいていたから。

「あら、私たちにはお礼も言ってくれないのね」

 すねたように言ったのはタンス。

「いいじゃない。何もしていないんだから」

 ベッドは気にしていないようだ。それでもタンスは不機嫌そうにしている。怒らせてはいけないと思い、あたしは手を止めて、

「ごめんなさい」

 と謝った。

「いいんだよ。それより私の名前を教えたかねぇ?」

「うううん」

「あらいやだ。最近、忘れっぽいのよ。困っちゃうねぇ。歳かしら? 私はパーラ。この子はジェイミー。莉子、遠慮しないでお食べよ」

 ベッドは優しく言った。ジェイミーはおとなしくなり、ロンダはふわりと浮いて揺れている。ロンダの袖口がちらりと見えた。

「あっ。ロンダの袖、こげてる」

 あたしがそう言うと、彼女はあわてて袖口を見た。どこに目があるのかは、分からないが……。

「まあ、どうしましょう。あらたいへん!」

「落ち着きなよロンダ。あんたは大魔女の服なんだ、魔法でちょちょいと直してもらえばいいんだよ」

「ええ、そうよ。そうなのよ。分かっているわ。すぐに直してもらえば済むのよ。でも違うの。このレースをわたしがどれだけ大事にしていたと思う? 直れはいいということじゃないのよ。でも、直してもらうんだけど……。それでも、焦がしてしまったことを悔やんでいるの。大切なものをこんなにしてしまった自分が許せないのよ。そういう気持ち、分からない?」

「ああ、分かるとも。大いに悔めばいい。そうすりゃ、二度と焦がすことはないだろう」

 ベッドは、めんどくさそうに言った。

「ごめんなさい。あたしのせいで……」

「わたしに謝っているの? 莉子はいい子よ。焦がしてしまったのはわたしの不注意。気にしないでね。もう平気だから。さあ、紅茶が冷めるわ。上がってちょうだい」

 物たちに見つめられていると思うと、何だか恥ずかしかった。しばらくして、大魔女が何もない空間から突然姿を現した。辺りを見回して、

「この子の世話をしてくれたのですね」

 誰も何もしゃべらないのに、大魔女はすべてお見通しということのようだ。

「ロンダ、袖をみせてごらん」

 ロンダは大魔女のそばまで、ふわりと移動して、

「焦がしてしまったの、ごめんなさい」

「大切なもの……。いい言葉ですね」

 大魔女はそう言って、袖を手で包み込んで、呪文を唱えた。その手から何やら黒い靄が出てきて、ふわりと消えた。大魔女が手を開くと、袖は元通りになっていた。

「うれしい。またステキなレースがよみがえったわ」

 ロンダはうれしそうに、部屋中飛び回った。

「莉子、こんなところへ連れてきてしまってごめんなさい。もうしばらく待っていてください。人間界とのトンネルは、そう簡単には開くことができないのです」

 あたしはとても不安だった。このまま帰れないんじゃないかと……。

「あなたたち、もう少しこの子の世話を頼みます」

 大魔女はそう言うと、また姿を消した。

「大丈夫かねぇ。きっと魔法使いどもに知られたんだ」

 ベッドの言っていることが、何のことだか分からなかった。物たちは声を低くしてしゃべっている。

「まさか、評議会が開かれんじゃなかろうね」

「そこまでしないでしょ。人間の子供一人だよ」

「もうすぐトンネルは開かれる。人間界に戻せば何の問題もないわ」

 聞きなれない声も聞こえた。

「そういう問題じゃないよ。魔法使いどもは大魔女様を支配下に置きたいんだ。このことを問題にして、掟に従わなかった大魔女様の自由を奪うつもりだよ。今、この魔法界が二つに分断されている。この先、魔女に権力を握られるのが怖いのさ」

 サイドテーブルのスーリーがこの世界で起こっている大きな問題点を指摘した。このころのあたしにはその意味は分からなかった。ただ、魔女と魔法使いは、あまり仲が良くないということだけは理解できた。

「この話、莉子に聞かれたらどうするの? わたしたちが、今やるべきことは、莉子のお世話よ」

 ロンダは窓の外を見ているあたしのそばに来た。物たちの会話はすべて聞こえていたけれど、聞こえていないふりをした。

「莉子。トンネルが開くまで、少し時間があるわ。絵本でも読んであげましょうね。本当なら、このお城の中を案内したり、外へお散歩に出かけたいところだけど、人間のあなたを連れて歩くことはできないの。図書室へ行ってくるから待っててね」

 そう言ってロンダは部屋を出た。

「莉子は何も心配しなくていいんだよ」 

 やさしくそう言ったのはパーラ。

「そうさ、魔法使いどもは気が小さいのさ」

「ジェイミー」

 パーラはおしゃべりなジェイミーを注意した。

「莉子! いい絵本があったわ」

 ロンダがうれしそうに扉を開けて入ってきた。

「さあ、そこへ座って」

 あたしをベッドの上に座らせると、絵本を開いた。彼女が読むのかと思ったが、本が勝手に物を語り始めた。

『むかーし、むかし。魔法界に一人の魔女、ジョアンナがおりました。それはとても美しく、賢い人でした。その魔女を慕っていた一人の魔法使いもおりました。名はウィルバートといいました』

 絵本に描かれた魔女と魔法使いは、明るい太陽の下でお互い見つめあっている。その絵はアニメーションのように緩やかに動いでいた。ページがめくられ、語りは続いた。

『この魔法界には、たった二人しかおりませんでしたが、二人は寂しいと思いませんでしたが、ある日、天の声を聞きました。そして、二人を魔法界に生み出したのは、世界の果てにある生命の木だということを知りました。魔法界では、その木しか生命を生み出すことはできないのです。その木のことを知ってからは、二人きりでいることが寂しいと感じるようになりました。そして、とうとう決心したのです。生命の木のある世界の果てへ行こうと……』

 本の中の二人は遠い地平線を見つめている。ページがめくられると、二人は風の中、身体を寄せ合い歩いていた。

『旅に出た二人は、嵐に見舞われ、大雪に降られ、谷を行けば大岩が転がり落ちてきた。そのたびに魔法で乗り越えた。空を飛ぼうにも、それを阻むように強風に襲われた。二人が行こうとしている世界の果ては禁断の地であると天の声は言った。二人はその声に不信を抱くようになった。そもそも、天の声の主は誰なのか? この世界を創造した神なのだろうか? 二人は天の声に問うた。天の声は言った。私は神だ。この世界を創り、お前たちを生み出した。そのために私は力のほとんどを使い果たした。新たな命を生むためには、お前たちの力が必要なのだと神は言った。ではなぜ、われらの行く手を阻むのだと魔法使いは問うた。それは私の意志ではない。性であると神は答えた。それを聞いた二人は、よりいっそう絆を深め、旅を続けた。ある晩のこと、寝ていた魔女は怪しい声を聞いた。その声はこう言った。この世のすべてを手に入れろ。魔法使いを亡き者にしろ。そして、神を消すのだ。魔女はその声に言った。お前は何者だ? 邪悪なる者こそ消えるがよい。それからその声は途絶えた。朝を迎えると、となりで寝ていたはずの魔法使いがいなくなっていた。魔女は心配になり、方々探した。彼は二つの大岩の間で光る繭に包まれ眠っていた。魔女はやさしく声をかけると、彼は目覚め、繭を割って出てきた。なぜここで眠っていたのかとたずねると、夜中に怪しげな声にうなされたという。魔女はうなずき、私も聞きました。惑わされてはなりません。あれは邪悪なる者』

 物語は佳境に入った。二人の行く手を阻み、心を惑わす物は一体なんなのだろうか? あたしは眠くなり、その続くを聞くことができなかった。

「さあ、起きなさい莉子」

 目を開けると、大魔女があたしの顔を覗き込んでいた。

「人間界に帰りますよ」

 大魔女はあたしを抱きかかえると、ほうきにまたがった。

「待って、大魔女様」

 ロンダがタンスから飛び出した。

「莉子。あなたに会えてよかったわ。わたしのこと忘れないでね」

 そう言って、胸にあったしずく型のブローチをくれた。

「これ、もらっていいの?」

「もちろんよ」

 ロンダは何だか、寂しそうに見えた。

「元気でね」

 とパーラ。

「もっと人間界のこと聞きたかったんだけれどね」

 とジェイミー。

「莉子はいい子。みんなあんたが好きなのさ」

 とスーリーが言った。それが彼女たちと交わした最後の言葉だった。大魔女とあたしの乗ったほうきは、魔女界へ来た時と同じ、空間にぽっかりと開いた黒い渦のようなトンネルを抜けた。着いた先はもちろん、三つ池の上空。ゆっくりと地面に降りた。月が明るく光っているが、木々が茂る場所は真っ暗だった。

「莉子ー!」

 少し離れたところから声が聞こえてきた。

「お前を探しているようだね。もう大丈夫だね。わたしは行くよ。悪いけど、魔女界での記憶はすべて消させてもらうよ。人間ってのは信用できないからね。莉子はいい子さ。それくらい分かっている。けれど、魔女界のことは人間に知られるちゃ困るのさ。さあ、お行き」

 おばあさんの姿になっている大魔女はそう言って、あたしの背中をポンと押した。懐中電灯の光がチラチラと揺れている。それがこちらへと近づいていた。


 カルノリッチさんの話しはそこで終わった。両親と祖父母、近所の人たちが数人で彼女を探していたという。

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