シャボンの遺言

中川 妙

第1話

随分とお久しぶりです。私、池永文子でございます。

思い出していただけましたか。

その後、お元気でお暮らしでしょうか。

突然のお手紙、さぞや驚かれたことと存じます。

いえね、今更お願いごとでも恨み言でもございませんのよ、安心なさってくださいね。

実は私、そんなに長くはございませんの。ドクターがおっしゃるには余命半年ですって。

ドクターからそう宣告された時、自分でも不思議なんですけれど驚きもショックも感じませんでしたの。

あら、もうそんな宣告をうける年齢になったのね、ととても冷静でした。

強いて言えば、はじめて介護保険の被保険者の欄に自分の名前を見た時と同じような、そんな何とも微妙な気持ちです。

あっ、勘違いなさらないでね、だからって人生の最後にもう一目お会いしたいなんて申し上げる気はさらさらございませんのよ。そんな気持ちは毛頭ございませんの。

では、なぜ今頃手紙なんかよこしたんだって怒られちゃいそうね。

あなたの怪訝そうな顔が目に浮かびます。

そうね、結論づけするならば、お礼を申し上げたくて。

お礼?どういうことなんだ、僕を捨てたくせに、って思ってらっしゃるでしょう。

そうなの、僕を捨てたくせに。

何からお話すれば、私のこの気持ちを伝えることができるのかしら。

何しろあれから50年の歳月が流れたんですもの。その間色々なことがありすぎて、どこをどう切り取ってつなぎ合わせれば簡潔にこのお手紙を書き終えられるのかが正直わかりませんの。

わからないまま、こうして書きはじめてしまったことをお許しください。

何しろ私には時間がございませんの。思い立ったら今しかございませんの。

だって思い残したくございませんもの。すべて消化しきってすっきりと逝きたいものですから。

あらっ、やっぱり私って自分勝手ね。私はそれですっきりするけれど、あなたのことを考えていませんでしたわ、今のいままで。

あなたにとっては、今さら私という女を思い出すことじたいが迷惑千万でしかないと思いますもの。

今あなた、文子は変わらないなって思いましたでしょ。文子節は健在だなって。

そりやあ、そうでしょうとも。三つ子の魂百までもっていうじゃないですか。

人間そんなに変われるもんじゃありませんわ。

あら、でもこんな私でも随分と変わったんですのよ。いえ、変わったというより、少しは成長させていただいたんです。

だから、こうして今頃あなたにお礼のお手紙を書きたくなったんですの。

単刀直入に申し上げますわね。

あなたのお陰で自分を振り返ることができましたの。

そう、あなたにあそこまで恨まれて、はじめて気づくことができたんです。


あの頃、本当にあなたが嫌いでした。

あなたのやること、なすことすべてが嫌いでした。

手も足も体臭も口臭も。

格好良くもないのにナルシストなところも。

プライドが高くてミーハーなところも。

そして何よりうんざりさせられたのが、あなたの尋常じゃない嫉妬深さでした。

そう、嫌いなところを挙げたらきりがございませんの。

そもそも相性が決定的に悪いとしか言いようがありませんわ。

もっとはっきりと申し上げるなら生理的に駄目としか。

じゃあ、どうして僕と付き合ったんだい?って、あなたは目を丸くして訊くでしょうね。

ほんと、私も私に訊きたいくらいでしたわ。でも、自分のことですのに本当にわからなかったんですの、あの頃は。

でも、今ならわかります。というより、結論付けすることができるようになったんですの。これも年の功かしらね。あなたと出会った意味、そして激しくぶつかりあった意味を。



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シャボンの遺言 中川 妙 @snowsonson

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