8.国境

 翌日。


 「―― み……君、目が覚めたかい? 」


 シモンは、知らない警官に起こされた。ぼんやりとしたまま、首だけ左右に動かして、部屋の様子を見る。

 そこは病室だった。左を見ると、窓の外に青空があって、右を見ると、大怪我を負って全身を包帯で巻かれ、ミイラになっている青年が、ボーっと天井を見つめている。

 警官は返事を待たずに続ける。

「ここはフランスとイタリアの国境にある病院だよ。君がベッドを右から降りればイタリアだし、左から降りればフランスさ。パスポートは持ってるかい?」

「……フランスはEUから抜けてないから」

「ふふっ。そうだった」

 警官は笑うが、シモンは笑わない。そして、シモンは聞く。

「もう一人、おジイさんがいなかった」

 警官は首を横に振る。

「トラックで寝てたのは、君たち二人だけだったよ。オレがいるのは、君たちの村が被害を受けた件で……えーと、事情聴取ってやつさ。あ、そうだ。テレビをつけよう」

 警官がテレビをつける。

「このテレビカード、結構高いんだ。あ、もちろんオレの奢りだよ? 」

 ニュースが映る。女性アナウンサーが、淡々と原稿を読み上げている。

「昨夜、イタリア国境沿い、アルプス山脈の麓にあるイゾラグ村が、人を襲う熊による甚大な被害を受けました。犠牲者は百名を超え、行方不明者は一名。そして、村から六十キロ離れた車道にて、青年一人と少年一人が保護され、国境の病院で治療を受けているとのことです」

 それから画面が切り替わり、戦車に乗る軍人の写真が映し出される。

「そして、この行方不明の方というのが、トマ・モルガンさん。かつてはフランス陸軍の一員として活躍し、その功績から、軍事関係者の間で英雄と称えられていました。退役後はイゾラグ村で過ごされていたということで、現在も捜索が続いています」

 続けて、イゾラグの森の空撮映像。

「村の猟師と熊の戦闘が行われた森林では、既に五十頭を超える熊の遺体と、多数の人の遺体が発見されています。このような熊の集団行動は極めて稀であり、熊の中には、通常の個体のサイズをはるかに上回る個体も確認されており、突然変異と見られています―― 」

 そこに、隣で寝ていたさっきの青年が口を挟む。

「にしても、お前もよく生き残ったな。あのジイさんの金魚のフンだろ? 」

 シモンは、ミイラのくせに元気に喋るヤツだな、と思った。

「それも、とびきり上等なフンだよ」

 シモンの冗談に青年は笑って、それから何も言わなかった。

 シモンはテレビから目をそらして、窓側に目を向ける。すると、パイプ椅子に、古びたレコーダーと、腕時計が置かれているのに気づいた。レコーダーを手に取り、再生しようと試みる。だが、どこを操作すればいいか分からない。

「じれったいな。かせよ」

 操作が分からないシモンを見て、青年が手を差し出した。シモンはそちらにレコーダーを投げつけた。

「いってぇッ!! 」

 紆余曲折うよきょくせつありながら、なんとか再生する。

 最初に雨風の酷いノイズが入ったが、途中からマシになった。聞こえてきたのは、モルガンの声だった。

「こちらモルガン。シモンとアランへ、最後の通達を行う。俺は、二二ふたふた〇五まるごより森に戻り、決戦、もとい生存者救助へ向かう。そして、諸君らに一つ、任務を与える。それは、俺が百六十八時間経過した時点でどこにも現れない場合、

 それから、数拍空いて、また声が聞こえる。

「以上。最後の通達を終了する。諸君らのこれからの人生に幸あれ」

 音声はそこで終わった。


 青年アランはため息をつき、シモンは顔を暗くする。

「オレはお邪魔だね。出てくよ」

 警官は、そう言って病室を出た。

 しばらく静かだった。

 廊下を誰かが歩いていった。窓の外で、カラスが鳴いた。

「お前、ジイさん死んだと思うか? 」

 アランが聞く。

「分からない」

 シモンが答える。

 交わされた会話は、それだけだった。


 一週間後。

 イゾラグで、村人の葬儀は行われた。





◇ つづく

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