3.災厄の気配

「足跡だ」

「これ、何メートル? エッフェル塔を横に倒したら、これくらい? この熊、凱旋門通れる? 」

「黙ってろ。とにかく、急いで帰るぞ」

 その足跡は、ゆうに普通の熊の三倍はあった。踏みしめられた地面がカチカチに固まっていて、踏まれた石は粉々になっている。その足跡は、山頂の方へ続いていた。

 モルガンはリュックから獣よけの香水の小瓶を取り出し、シモンに投げる。

「塗っとけ。俺はその間に報告する」

 シモンは言われるがまま、その小瓶の中身を顔や手に塗りたくる。

「全チームへ。こちらモルガン。。速やかに村に帰還せよ。繰り返す。本日の猟は終了。速やかに村に帰還せよ。どうぞ」

 緊迫した猟師たちから、すぐに「了解」と返ってくる。

 大股で歩くモルガンは、見るからに怒りの形相ぎょうそうになっていた。だが、シモンはとくにおくせず質問する。

「緊急事態ってなにさ? 」

 モルガンは、少しためらってから、答えた。

「カラミ災厄テが下山してる。三十年に一体のペースで出てくる熊さ。あの足跡、最早、熊かどうかも分からんが」

「見たことあんの? 」

 シモンは興味津々だ。

「いや、ない。……三十年前だ。俺は軍にいた。この村で大量の死人が出たって報せが届いた。俺は軍警より早く、部下を五人連れてここに来た。怒りに任せて五十頭は殺したが、カラミテとは接敵できなかった」

「じゃあ、仇ってこと? 」

 モルガンの足が速くなる。シモンは駆け足で追う。

「仇じゃねえ。あくまで作戦目標だ。感情的な捉え方はしない」

 そうして二人は下山し、村へ戻った。

 モルガンがバイクを門前に停めた時、既に全員が帰還し、整列していた。猟師の誰もが、緊張と興奮の入り混じった目でモルガンを見つめている。今か今かと、指示を待っているのだ。

「総員、オペレーション カラミテを発令する。早急に行動を開始しろ」

「了解! 」と叫んで、たちまち猟師たちは村の中に散っていった。

「シモン、お前は帰れ」

「え、あ、でも」

 モルガンの初めて見る表情に、シモンはしどろもどろになる。

「帰れ!! 」

 そう一喝され、シモンは脱兎だっとのように逃げ出した。

 モルガンはそれを見届けると、門の脇に備えられている櫓に登る。それから、取り付けられている銅鑼に、銅鑼バチを叩きつけた。

 瞬く間に、その警鐘は村の平穏を突き破った。家々から女子供や、教師、神父が何事かと出てくるが、村に散らばった猟師たちが、その人々に状況を伝え、誘導していく。

「教会もしくは学校に避難を! 」

「何か起きたんですか!? 」

「食料や物品の移動は避難が完了してから、大人の男が行います! 」

「早く! 避難を! 」

「熊か!? 獣が群れで来たのか! 」

「なんで、猟師が減らしてるんじゃないの!? 」

「馬鹿、減らせるか! 連中は繁殖するんだ! 」

 落ち着いている村人と、完全に我を失っている村人の間には、一つだけ違いがあった。『カラミテ』を知っているかどうかだ。

 さらに、その動揺が起こす大炎に、ガソリンがぶちまけられる。


「な、なんだ……今の……? 」

「熊、じゃない、わよね」

「どんな声だよ、こんなの、聞いたことねえぞ」


 それは、村の眼前に位置する森の中から聞こえていた。銅鑼をかき消すほどの、低く、けたたましく、呻きとも、咆哮ほうこうともとれる叫び……とにかく、村人がカラミテの実在を確信するには、それで十分だった。

 事態は急速に展開する。非番の猟師含めた村の男が二百人集められた。その先頭で、モルガンが指揮をる。たちまち、整列した男たちに向けてがなりたてる。

「バディは組めたな! 全員、ここからはバディと通信状況の確認を決して怠るな! 付近の安全を常に確保し、その情報を共有しろ! 」さらに続ける。「前回、俺は仲間とともに、昼、掃討作戦に討って出た。だが、カラミテとは会敵かいてきできなかった。よって、本日の作戦決行は夜とする。これから話すことをよく聞けよ! 聞き漏らした奴は、バラシて避難所の晩飯にしてやるぞ! 」

 軍隊上がりの叱咤しったで、一部の男が震えあがる。

「これは攻勢作戦ではなく、決戦だ! 本日の作戦によって確実にカラミテを殺し、向こう百年、この村の安全を確保する! この日のために諸君は、自ら猟を行うことで鍛錬し、狩猟技術を高めてきた。そしてそのレベルは、件の害獣を破壊するに十分であると、俺は考える! 」

 男たちはたかぶる。拳を握りしめ、気勢にみなぎる。

「この中で、山の地形に詳しいヤツは残れ! それ以外は武器や装備の準備だ! 解散! 」

 整列を解かれた男たちは、野に放たれた獣のように走りだした。各々の目に、闘志がたぎっている。

 シモンは、その一部始終を遠くの茂みから見ていた。

「やっぱかっけぇ……! 」

 少年の目に闘志はなかったが、好奇で満ちていた。シモンはすぐに、夜に向けての準備をすべく村へ駆けだした。





◇ つづく

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