20. 私の中だけに存在する、私が作った方程式


 少しの間、私たちの間を沈黙が巡った。

 予想だにしない角度から虚を突かれ、私は一瞬だけ言葉を失ってしまった。

 口を半開きにしながら呆ける私を、しかしヤエはジッと見つめているだけだった。沈黙に耐えられなくなったのは私の方で、私はしどろもどろながら言葉を紡ぐ。


「えっ、ちょっと待ってよ、さっきも言った通り、私、月代くんが好きで付き合っているワケじゃ――」

「いやだから、好きじゃないのに付き合うのが苦痛なのであれば、彼のコトを『好きになれば』、何の問題もないじゃないですか」


 ヤエが、いつものジト目を少しだけ大きく広げた。逃がすまいと、真剣な眼差しで私の両目を捉えていた。私は、彼女の妙な迫力に気圧されてしまい、思わず目を逸らして立ち上がる。


「……ムリムリ! 私、人を好きになるとかよくわからないし、私に恋愛なんて――」


 言いかけて、ハッとなる。私の意識から、視覚という感覚器が失われる。私の意識は頭の中の世界に閉じ込められ、眼前の景色に目が向かなくなっていた。

 私の中だけに存在する、私が作った方程式。

 解の公式に今の状況をあてこんでみると、自分でも受け入れがたい答えが導き出される。

 ――ヤエの言う提案が、最適解になってしまう事実に、私は驚愕していた。


 私が『恋愛をしない』と決めているのは、私みたいな人間が、『人に受け入れられるワケがない』と考えているからだ。

 私が『人に受け入れられるワケがない』と考えているのは、私が、超能力っていう、人とは違う『おかしな力』を持っているからだ。

 ……でも、だとしたら。


 月代くんは、私が超能力を持っているコトを、既に知っている。知った上で、私に告白してきた。つまりそれって、月代くんは、私の持っている『おかしな力』を受け入れているってコトになる。……ってコトはさ――


「……私が月代くんを好きになれば、何も問題ないじゃん。私にも恋愛、できるじゃん――」


 ボソリと、私は一人でにそうこぼしていた。

 私の独り言を拾い上げるように、ヤエが腑に落ちないトーンで言葉を紡ぐ。


「……いや、よくわからないけど、私、さっきからそう言ってるじゃないですか」

「――で、でもさっ!」


 リアルに意識が返還された私の眼下、ジト目のヤエが首を斜めに傾けていた。

 身振り手振りを大袈裟に、私は彼女に向かって矢継ぎ早に声を並べる。


「月代くん、何考えてるかわかんないし、私を好きって言ってくれてるけど、ホントなのかもわからないし、そもそもロクに喋ったこともなかったし、そんな人を、私、好きになれるとは――」

「それは、アカネが月代さんを知ろうとしていないからですよ」


 ヤエが私の言葉を遮って、彼女は「よいしょ」とおもむろに腰を上げた。トテトテと幼子のような足取りで私に近づき、鼻先三十センチメートルくらいの距離、微かに笑った彼女の顔は、なんだかいつもより大人びて見える。


「月代さんを好きになれるかどうか判断するのは、彼を、もう少し知ってからでも遅くないと思いますよ。表面上の姿なんて、その人のほんの一部です。彼がどういう時に何を感じるのか。彼は何が好きで、どういう時に泣いて、どういう時に笑うのか。……人の本質って、そういうところにあるんじゃないですかね」


 ヤエの口から淡々と声が紡がれる。

 でもよく聴くと、わずかに揺れるトーンが、さざ波のように一定のゆらぎを作り出していた。子宮を漂うような心地が、私の心拍数を穏やかにしていく。


「あなたたち二人が長く、一緒に時を過ごしたあと、月代さんはアカネにどういう顔を見せるんでしょうね。……そういうコトを知らない内は、好きとか、嫌いとか、あんまり考えなくていいと思います。まずはシンプルに、彼との時間を楽しんでみたらどうですか?」


 ヤエの表情はなおも柔らかかった。曇り空から漏れる光芒が、薄紫色の長い髪を優しく照らしていた。私はポカンとした表情で、まん丸く開いた瞳で、ゆったりと紡がれた彼女の声が、耳の奥へしみこんでいくのを感じていた。

 ヤエは真剣だ。びっくりするくらいの真剣を私に伝えている。そして、たぶん。


 ……ヤエ、ヒマリのコト、本気で好きなんだろうな――

 恋に焦がれる親友が見せたその顔が、すごく綺麗だなって。私はそう思った。



「……急にマジなトーンになるなっつーの、ビビるっつーの」

「おや失礼な。私は一分一秒いつなんどきでも真剣に生きているつもりですよ」


 「どの口が言うか」と私はにへら笑い、私に釣られるようにとヤエもフッと表情を崩す。今更恥ずかしくなったのか、彼女は目を伏せて後ろ髪を忙しなくさわりはじめた。私はか細い声で、「サンキュっ」と短くこぼす。ヤエは返事をしなかったが、代わりにチラリと上目遣いで私に目を向けて、なおも巻き毛をくるくると指で弄んでいた。


「ヤエ、決めたよ。私――」


 全身に溜まったヘドロを爆散させるが如く、曇天を突き破るが如く。

 私は空に向かって右手人差し指を突き出す。天に向かって、新たなる宣言を放った。



「私、月代くんを好きになるコトにしたからっ!」


 急に立ち上がった私が、指で作ったピストルを月代くんの目の前に突き出すと、彼はアイスティーに刺さったストローをくわえながら、ポカンとした顔を見せていた。


 思いのほか私の声は大きかったらしく、周囲の視線が痛い。

 少しだけ顔を紅潮させながら、私はすごすごとそのまま着座した。



 水泳部が定休である月曜日の放課後、教室で帰り支度に勢をだしていた月代くんの席に近づいた私は、「話したいコトがあるから、今日は一緒に帰らない?」と彼に声をかけた。意外そうな顔で一瞬だけ手を止めた月代くんだったが、すぐに「いいよ」と無表情に笑う。

 ……あ、コレいわゆる放課後デートってやつになるのかな。まぁいいか――

 私は彼を駅前のファーストフード店に連れて行き……、

 さきほどの、私の恥ずかしい台詞のシーンに戻ります。

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