第8話 少しだけ色のついた世界

 あれだけ言っても明日はやって来る。つまり今日。俺は寝ぼけまなここすって、スマホのスヌーズ機能に感謝を込め、アラームに殺意を込めて止める。何でスマホのアラーム音って日に日に嫌いになるんだろう……。

 時刻は六時半。今から用意して家を出れば、始業ベルの鳴る一時間前には着くだろう。



「あぁ……。探さなくて良かったなそういや」



 慣れないことをすると体が重く感じる。いつもギリギリまで寝ているのだが、今日に限ってがらにもなく早起きしてしまった。自分の知らない内にあの二日間を楽しんでいたのだろうか。



「アホか」



 そんな思考こそ柄でもない。俺は二度寝することを決め、もう一回アラームをセットして布団を頭まで被った。

 結局、それから一睡もすることはできなかった。




 ***




 チャイムが鳴り、生徒たちのゆるんだ空気で教室は充満していく。ある者は部活動のために足早に教室から出ていき、ある者は放課後の遊びの予定を立てる。

 そして俺はクラスの班で掃除をするべく移動を開始する。何で自分の教室以外も担当すんの。しかも別の棟が掃除場所。振り分け方下手くそなんじゃないのか。

 そんな文句を言ったところで掃除場所が変わるわけではない。なまりのように重い腰を上げてダラダラと歩く。

 昨日の今頃と何も変わらない行動だが、頭の中ではぐるぐると思考回路が回り続けていた。




 ***




 掃除も終え、帰ろうかと歩いていると、地歴準備室が目に入る。いやおうでも思い出す。しかし、地歴準備室から話し声は聞こえない。まだ成宮なるみや中代なかしろは来ていないらしい。

 俺はもう部外者だ。この場所に立ち寄る理由がない。その場を去ろうとしたが、何かポケットに硬い感触。まさかと思って取り出して見てみればそれは何処かで見たことのあるヘアピン。どうやら自分でも気付かずに持って帰ってしまっていたらしい。地歴準備室に書置きを残してヘアピンを置いておこうと思い、地歴準備室もとい探偵部の部室はしっかりと鍵がかけられていた。

 連絡先を持ってない弊害へいがいがこんな形で出てくるとは。

 どこのクラスにいるのかも分からない成宮を探すために自分の学年の階層へ戻ることにした。





 ***




 自分の教室に戻り、辺りを見渡したが、色々となんでも知ってそうな一条いちじょうは、既に部活の方に行っているらしく、姿は見えなかった。

 困ったことに他に聞ける人がいない。どうしたものか……。こうなったら仕方がない。知り合いのいるクラスに行くことにしよう。というか依頼者のいるクラスなのだが。

 この際、俺が中代なかしろに渡して後から成宮なるみやに報告してもいいだろう。背に腹はかえられない。この状況は背水の陣とか言うんだったか?言わないですね。だが人間関係においてはかなりの熟練した背水の陣使いだ。友達関係においては常に綱渡り。



 そんな失うものがない俺は行動も大胆。他クラスの知らない人にも話しかけてしまう。ここに中代がいるって確定しているからできる行動ってことには目をつむっておく。



「あ、あの……」

「ん?何?」

「な、中代しゃんっている?」

「中代……?」



 噛んだ。死にたい。しかし、俺が噛んだことについて、目の前の男子生徒は華麗にスルー。こいつはできる奴だ。できれば友達になりたいが、仲良く話せる絵が想像できないのでごめんなさい。

 だが話しかけた男子は不思議そうな顔で俺の予想を上回る返答をした。



「そんな人いたかなぁ……?」



 俺が聞いた男子生徒は、近くにいた彼の友人らしき人物にも俺と同じ質問をしたが、その友人も首を傾げていた。

 中代なかしろってそんなに存在感がないのか……?まさか俺が聞くクラス間違えた?

 だが、教室の外にあるプレートを見ても、そこが二年二組の教室であることは明白だった。



「クラスは間違っていないと思うんだけど……」

「じゃあ先に帰ったかも。この教室にはいないや」

「そうか……。ありがとう」

「おう」



 カースト上位っぽい人としゃべるのは疲れるな……。一分も会話してないけど。欲しい答えは得ることができなかったが、この教室にはいないという情報は入手できた。これ以上はもう分からん。無理。

 もう一度だけ地歴準備室に鍵が閉まっているか確認してから鍵を借りにいこう。

 そして成宮に渡して後は任せておこう。こんな事になるぐらいなら職員室で部室の鍵を借りて、メモを遺してヘアピンを置いてくるべきだったな。




 ***




 舞い戻って地歴準備室前。ドアの向こう側から微かに話し声が聞こえる。どうやら成宮なるみや中代なかしろがいるらしい。見事に入れ違いになってしまったようだ。

 二回ほどコンコンとノックする。すると、成宮のどうぞという声が遠くから耳に入ってきた。ガラガラと音を立てながらドアを開く。そこには予想通り、二人の女子生徒が向かい合って座っていた。



「急にノックなんかして何か依頼でもあるのかしら」

「そんなものねぇよ。ただ渡さなくちゃいけないものがあったから来ただけだ」



 二人が向かい合って座る、その真ん中の辺りにその渡さなくちゃいけないものをそっと置く。もちろん中代が探していたヘアピンだ。



「君が持ってたのね。どおりで見当たらないと思ったわ」

「気付いたのがついさっきだったんだよ。遅れて悪かった」



 これで俺の役目は終了だ。もうこれ以上この部活に関わる理由はない。立つ鳥跡をにごさずって言うしな。跡を濁すほどこの部に何かを遺した訳でもないが。

 ならば依頼に協力した人間として、気になることを聞いてもいいのだろうか。

 そう思った時には既に口は開いてしまっていた。



中代なかしろに聞きたいことがあるんだが」

「なんですか?」

「俺たちは部室で会う前にどこかで会ったことがあったか?」

「いいえ。あの時会ったのが初めてです」

「……そうか。もう無くすなよ」



 自分で言ってて何様のつもりだろうか。見つけたのはさかきだと言うのに。俺は何もしていない。だが、そう言うしか他なかった。なるべくなら厄介事に巻き込まれるのはこれっきりにして欲しい。

 まぁ仮入部期間終了と思えばなんてことは無い。この三日、いや二日で過ごした日々に俺は期待していたのかもしれない。

 馬鹿ばかみたいな話だ。灰色の景色にわずかでも色を落としてくれると期待した。してしまった。

 だが、どうやらそれは妄想のいきを出ることはなかった。

 でも、心のどこかでまだ諦めきれなかったのかもしれない。そう思った時には口は自然と開いていた。



「もう一つ聞きたいことがある」

「……なんですか?」



 俺は部室から立ち去ろうとする中代なかしろに最後の質問を投げる。こんな質問する方がおかしいと思われるだろうが、それでも中代の心の内側を垣間かいま見える質問だと思う。

 依頼者の心情を配慮することが正しいのなら、この質問は間違いなくまちがっている。

 けれど俺は、この質問をすることで、この以来の背景を一片でも見ることが出来ると確信していた。


 この数日間、俺はただの一度もさかきと中代が一緒にいるところを見たことがない。二人とも欠席していないにもかかわらず。

 その事に対する違和感が何なのか、恐らくこの質問で分かる。

 真実とは劇的なものではない。が、嫌でも受け入れざるを得ない程に説得力があるものでもある。真実の多くは、想像ができる範囲で、納得できる理屈りくつを備えている。



さかき白奈しろなは本当にお前の友達か?」

「急に何を言い出すのよ。依頼と何の関係があるの?」

「悪い。最後にこれだけ質問させてくれ」



 無理を言って悪いと思ってる。成宮なるみやにあれだけ言っておきながら結局、俺自身が他人の事情をのぞきみようとしている。

 それでも、俺はこの依頼がただの落し物の捜索であって欲しいだけだから。



「白奈は私の友達……」



 そこで中代は一呼吸置く。嘘でも友達ですと即答で言ってくれれば、俺は自分の中で納得させることができた。

 だけど、そんな表情で。自分より上の立場の人間から怒号どごうを浴びているかのように下を向いて。

 言いよどむなよ。隠すならもっと上手に嘘をついてくれ。



「とは呼べないかもしれませんね」



 この状況はまるで俺が中代に嘘をつくなと叱責しっせきしているようだった。

 やはり聞くべきではなかったのだろう。俺の興味本位で聞いていい事ではなかったと思う。

 けれど気になってしまった。巻き込まれて、成宮と少しばかり口論になり、真実を知ることが必要なのではないかと微小な探求心が働いた。だがそれは悪い方向に。


 さかき白奈しろな中代なかしろさき。この二人の関係がねじ曲がっているのか、いないのかは分からない。結局、単純に中代が無くしたのか、榊が故意に無くしたのか、あるいはもっと複雑な事情がからみ合っているのか。

 その答えはを知るすべは今の俺には何も持っていない。

 だが、それでもヘアピンは見つかった。特に壊れている様子もなく。探偵部たんていぶにとってはその事実があるだけでいいのだ。

 探偵部としての依頼は無事遂行することができた。これ以上首を突っ込むのは道理に合わない。相応しくない行動だと判断する。



「中代さん。なんでヘアピンが無くなったのか、もしかしたら」

「成宮」



 それ以上は言ってはならない。中代に依頼された内容はヘアピンの捜索だ。そして依頼は完了している。よって中代の事情にこれ以上踏み入る権利はない。



「いえ。私が落としただけだと思います」



 成宮は真剣な顔で中代に語りかける。だがその思いは一方通行のようで、中代はこれ以上の詮索は求めていないようだ。

 今の状況で俺たちが何を言っても彼女から助けを求めることは無いだろう。人間関係の何たるかを理解できて無さそうな俺が言うのもお門違かどちがいかもしれないが。



「あなたは本当にそれで」

「いいんです……それで。それがここにある唯一の真実ですから」



 中代は柔らかく微笑む。初めてちゃんと顔の全体像を見た気がする。間違いなく美人の部類に入るだろう。だけど、何故か見覚えがある。誰かに似ている気がする。もう少しで思い出せそうだが。

 中代はまた下を向いてしまい、表情も読み取りにくくなった。人の顔は凝視するもんじゃないしな。見るのはタダ。社会的地位が落ちるのもタダ。無料タダって怖い。



「そういや俺は一昨日、ここに入る前に誰かとぶつかったような気がしたんだよな。その時ぶつかった人が落としたのかもしれない」

「え?何でそんな重要そうなこと、終わってから言うの?でも私が見た時には……」

「いや……思い出したのついさっきだから……。たまたま見落としたんじゃ無いのか?」



 この依頼の背景がどうであれ、問題は解決した。探偵部の仕事はおしまい。今回はたまたま成宮が見落として、榊がたまたま見つけたのだろう。偶然が重なって一つの事件となった。

 偶然というには不自然すぎるかもしれないが。



「では、私はこれで失礼します。ありがとうございました」

「ねぇ、ちょっと」

「探偵部のお二方には感謝しています。今度またお礼をさせてください」



 俺がぶつかったのはもっと髪の短い女子生徒だった。それに、少なくともこんなに声がかぼそくもなかった。よって中代ではない。

 だが中代は俺が誰かとぶつかった話になった辺りから通学カバンを背負い始めて、帰ろうとする意志を見せた。これも偶然だろうか。

 偶然と言ってしまえばそれは真実になる。偶然ではないという証拠はどこにも無いのだから。ヘアピンも見つけることができている。ここに長居する理由はもう、ない。


 中代は最後に頭を下げると、そのまま後ろを向いてドアのある方へ歩き始めた。誰も歩みを止める者はいない。

 止めさせたい者はすぐ側にいたが。



「悩みを無理にでも聞き出して解決した方がいいんじゃないかしら」

「お前が問い詰めても何も無いって笑顔で断られるのがオチだろ」

「なら……これしかないのね」



「中代さん!!」

「は、はい!?」

「これ私のライン。登録してくれる?」

「え……でも……いいんですか?」

「うん。何かあったら連絡して。………待ってるから」

「……はい」



 声はか細く、周りの喧騒けんそうに掻き消されてしまうような大きさだったが、確かに俺たちには届いた。

 成宮もやるべき事はやったと満足気まんぞくげな顔で、教室の真ん中でポツンと突っ立っていた俺の隣まで戻ってきた。

 肩が触れそうなほど近い。なんかいい香りがする気がしてちょっと鼓動が速く鳴っている気がするから半径一メートル以内には入ってこないでほしい。というか、隣に立たれるとまるで部員の一員であるかの様に見られている気がするんだが?


 今回の依頼は探偵を名乗る程の事件にはならなかった。高校で起きる事件の規模なんてこれくらいでいいのだと思う。他人の関係を暴くなんて俺の性に合ってない。

 他人の事情に口出しできるほど、俺は人間を上手にできていないから。



黒咲くろさき君」

「ん?」



 てっきりそのまま帰るのだと思っていたが、中代なかしろは教室からあと一歩で出るところで振り返って俺に話しかけてくる。



「見つけてくれて、ありがとう」



 俺は何もしていない。ヘアピンを見つけたのはさかきで、ヘアピンを探そうとしたのは成宮なるみやで。俺はその手伝いをしただけであって。たまたま、偶然が重なって今の状況になっているだけのこと。

 だけど、もしその偶然が重なったせいでこんなことになり、こんな言葉を受けとれているのならば。俺が生きてきた世界で、見たことのない色素でつくられた景色を見ることができているのならば。


 少しだけ、ほんの少し、コンマ数パーセント程だが、悪くないのかもしれないと、不覚にも思ってしまった。

 少しだけ自分の世界に色がついた気がした。彼女の白いヘアピンとつややかな黒髪の絶妙なコントラストが目に焼き付いて、しばらくは離れそうもない。

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