42.Intrigue
俺はその顔を見て、思わず身体が強張った。以前見たときと全く変わらない、血で濡れたような赤い髪、その不自然に美しく妖艶な
ママ・ロザリア、赤毛のロジー。彼女は側近を一人だけ傍に立たせて、優雅な佇まいで椅子に座っていた。この恐ろしいカルテルの大ボスには、できれば二度と会いたくはなかったが。
「あれ? レックスじゃぁん、久しぶりぃ」
ラミーが妙に気の抜けた声で、ロジーの側近を見て言った。レックスと呼ばれた、スーツの上からでもわかるその体格の良さに、俺は見覚えがあった。そう……確か、ロザリアの屋敷にいたときに会った記憶がある。
「……よくのうのうと顔を出せたものだな、お前ら」
レックスはそう言って、リネンとラミーを睨み付けた。
「裏切り者共が……今まで世話してやった恩を忘れやがって」
「覚えてるってぇ、『格下の相手には立場を自覚させろ』……とか? 教えてもらったことは、ちゃあんと実践してるじゃぁん?」
「ニャハハ」と舌を出しながら挑発するようにラミーは嘲た。
「クソガキがッ……」
静かだが、実に圧を感じる声で、レックスはそう言った。眉間に深いしわが刻まれたその顔は、今にも殴りかかってきそうだ。
一触即発、こんな場なのに、どっちが武器を抜いてもおかしくないようなそんな空気に、俺は思わず息を飲んだ。
「やめなさい」
そんな中、よくとおる声が、部屋の中に響いた。声の主はエレーミアだった。
少しの静寂。
溜息をして、彼女は続ける。
「今が羽目を外していいかどうかぐらい、わかるでしょ? わきまえて」
「えぇ~? でも向こうが先に――」
「ラミー?」
「……はぁい」
これ以上は食い下がれないと思ったのだろう。エレーミアに窘められると、ラミーは拗ねたように唇をとがらせて、しかしそれ以上は何も言わなかった。
「不用意に突っかかるな」
「わぁかったってば」
リネンが小声でラミーに言うと、彼女はもういいでしょと言わんばかりにそっぽを向いた。こんな場面でもブレないその胆力は、正直大したものだと思う。
そんなことを思っていると、今度はロジーが口を開いた。
「貴女もよ、レックス。どんな相手にも品性をもって接しなさい」
それは実に穏やかな、子どもを諭すような優しい口調で、だがそれが逆に、得体の知れない恐ろしさみたいなものがある気がした。
「ほら、謝りなさい」
「……はい、申し訳ございません」
ロジーはレックスが――不服そうではあるが――エレーミアに頭を下げるのを見ると、満足したかのように微笑んで、エレーミアの方に再び顔を向けた。
「ごめんなさいね、真面目過ぎるきらいがあるのよ、この子」
「……いいえ、こちらも無礼を働きました、お詫びします」
「いいのよ、それに……」
言いながら、彼女は目を細めて、あごに手をゆっくり当てる。
「償うべきは『別のこと』よ、そうでしょう?」
ママ・ロザリアからその言葉が出た瞬間、辺りの空気が、一気にひりついたような気がした。
当然俺以外もその空気を感じ取って、全員が顔を強張らせている。
ここからが本題。
即ち、フランシスがロジーの部下を数名惨殺した、先日事件についての釈明だ。
「今回はそれをお話したくお伺いした次第ですわ、ミス・ハウンド」
どこかからかうような、試すようなその口調。
問われた当のエレーミアは、しかし欠片も動揺している様子無く、口を開いた。
「ええ、存じております。我々ファミリーの身内、フランシスがそちらにしたことは、掟に背いた許されざることです」
「では――」
「しかし」
何か言いかけたロジーの言葉を遮って、エレーミアは強い語気で言った。
「しかし、それはフランシスが責任能力を有していた場合です」
静かだが、強い意志を感じるその声。
それは、これから下るであろう処罰に異議を唱える、弁明のものだった。
「何をバカなことを!」
そう叫んだのは、ロジーの隣にいるレックスだった。
「そんな理屈で逃げれると思っているのか! 貴様ら身内の都合など知ったことかッ!」
それは乱暴な言葉だが、しかしことこの場においては正しかった。彼女の言う通り、法治国家の裁判ならともかく、血の掟を最も重要視するような裏社会で通用するとは思えない。
どういうことだ? エレーミアにそれがわからないとは思えないが……。
「よしなさい」
すると、ロジーがただ一言、レックスにそう言った。
言われた彼女はそれに何も反論せず、不満げな顔のままただ頭を下げ、再びロジーの後ろに控えた。
少しの沈黙。
ロジーは再び口を開く。
「……確かに、
ロジーは少しだけ口角を上げ、続けた。
「もし贖罪をする気がないと申すようでしたら、『連合』に調和を乱す存在として報告せざるを得ませんが、いかがかしら?」
それを聞いていたエレーミアが、僅かに目を見開いた。その表情は『連合』という単語を聞いた瞬間、変わったように見えた。
「……あの、『連合』って何ですか?」
そのワードが気になり、俺は隣にいるベルさんに小声で聞いた。
彼女は俺を横目で見て、同じように小声で答えてくれた。
「エルドラ中のマフィアやシンジケート組織の統括機構だよ。勢力が偏らないよう秩序維持をするのが目的だが……やり方が過激でな、その圧倒的な規模と力も相まって、裏じゃ『処刑軍』だなんて言われてる」
「つまり、連合に目を付けられたら終わりってことだ」
ベルの言葉を補足するように、反対隣りにいるイトが、聞こえる程度の声量で呟いた。
彼女は言葉を続ける。
「ただでさえ綱渡りな状態なのに、このまま奴らに目の敵にされちまったら……」
「……綱は切れて、モンタナ・ファミリーはお終いってことか」
「マフィアとしては、な」
俺の言葉に、イトはそう付け加えた。
「ハナから全面戦争は覚悟の上だ。ハリ、お前も腹を括れよ」
「……そうだな、悪い」
やはりというか、当然というか。この会合でお互い話し合えば、『じゃあしょうがない』と赤毛のロジーが言って、全部水に流してくれてめでたしめでたし……なんてことにはやはりならない、なるはずもない。
この場所は、明確な意思を確認するためだけの場所なのだろう。
「……確かに、これだけで放免されるのは難しいでしょうね」
すると、エレーミアが静かに、口を開いた。
彼女は冷淡とも思えるその声で、続ける。
「しかし、フランシスが誰のせいでああなったかを知れば、また話は変わってきます」
その言葉を聞いた瞬間、ロジーが僅かに眉をひそめたように見えた。
エレーミアはそれを知ってか知らずか、少し怒気がこもったような声色で話し始める。
「リドーをご存知でしょう」
その口から出たのは、実に意外な人物だった。
それを聞いた途端、隣にいるイトの顔が、僅かに険しくなった。
リドー、赤毛のロジーのカルテルの、幹部だった女だ。
金になりそうな子供を調達するのが仕事で、時々『おこぼれ』でもらった子供に性的な虐待をしていた、外道と呼ぶには十分な奴だったのを覚えている。
だが、彼女はもういないはずだ。
死んだのを、首をパックリと切られ力尽きたのを、俺達はこの目で見たのだから。
なぜその名前が、エレーミアの口から?
「……確かにいましたが、それが?」
ロジーは眉一つ動かさずその続きを促した。
エレーミアはそれに、独白でもするように、ぽつりぽつりと話し始める。
「……フランシスが精神に異常をきたすようになった原因は、小さい頃に『女優』の仕事をさせられてたから……これが意味することは、貴女なら当然おわかりですよね?」
「ええ、もちろん。それは災難でしたわね……しかし、それが今回の話とご関係が?」
「まだわかりませんか?」
「……ああ、なるほど」
ロジーは面白くなさそうな表情で、少し低い声でそう呟いた。
それに構わず、エレーミアは少し口調を荒げて続けた。
「ママ・ロザリア、貴女のカルテルにいたリドーが、お母さ……先代レザボア・ハウンドにこの話を持ち掛けたんですよ」
前のめりになって、エレーミアは圧の強い声でそう言った。
それは最早弁明というよりも、糾弾と呼ぶべきものだった。
自分の妹を壊した者への、これ以上ない憤りを感じた。
「『連合』の血の掟に従うのであれば、他のファミリーに手を出した貴女がたこそ処罰の対象になるはず。違いますか?」
「バカな……何の根拠があって――」
「証拠ならあります、部屋が一つ埋まる分くらいは」
レックスの言葉に、エレーミアは即答した。彼女はそのまま続ける。
「先代は貴女方と余計な事を構えたくないからと隠していたけど、こうなった以上その必要もないでしょう。そちらがこれ以上ウチに落とし前を求めるなら、こちらも同様に要求します!」
バンッと、エレーミアは派手に机を叩いた。
「……初耳だぞ」
俺は誰に対してでもなく、思わずそんなことを呟いた。
実際、かなり驚いている。
「アイツ、死んだ後もウザったいな……」
辟易とした顔で、イトはそう呟いた。その奥を見ると、どうやらルーラも彼女を思い出したらしく、呆れたような顔をしていた。
「……とはいえ、これはひょっとしたひょっとするかもしれんぞ」
ベルさんは感心したような顔で、ぼそりとそう言った。俺はそれが気になって、聞いてみることにした。
「血の掟がどうの……てやつですか?」
「そうだ、さっきも言った通り、この界隈じゃ『連合』の力は絶対と言っていい。そんな連中に『赤毛のロジーが血の掟を破りました』なんて言ってみろ。カルテルの存続も危うくなる」
「つまり……
「そう言うことだ」
そうか、つまりエレーミアは考えていたのだ。
どうすれば赤毛のロジーから逃れるようにするのか。
いやそれどころか、自身の妹の仇であると知り、一矢報いようとまでしたのだ。
「……しかし」
そう考えていると、ベルさんはどこか、いぶかしむような表情でつぶやいた。
すると、だ。
「……それで、それを『連合』に報告させない代わりに、アナタ方は我々に何を求めているのでしょう?」
ロジーが、何の気なしにそう聞いてきた。まるで、レストランでワインの銘柄でも聞くみたいな態度だ。
なんだ、この感じ? ……なにか、いやな感じだ。
「不可侵条約を結んで頂きたい。この先、何があろうと、我がモンタナ・ファミリーとロザリア・カルテルの間には、どのような介入も許されない。それを明文化し、盟約として『連合』に提出してもらいます。いやとは言えないはずよ」
エレーミアは一字一句をはっきりとさせ、そう言った。
つまり、こちらは手を出さないから、向こうも今後一切手を出してくるなということだろう。破れば、『連合』とやらの恐ろしい罰が待っている、ということだ。
これなら確かに、如何にあの赤毛のロジーと言えど、手を出せなくなるかもしれない。
甘い考えかもしれないが、話を聞いた限りでは、相当な牽制になるのは間違いないはずだ。
「……なるほどね」
それを見た瞬間、悪寒が走った。
まただ、この感じ、化物の腹の中にいるような、この感じ。
赤毛のロジーを初めて見たときもこんな気分になった。得体の知れない、いや底の知れない、不気味で恐ろしいものを見たような気持ちだ。
「ねえ、ホントに大丈夫かな?」
「……どうだろな」
ルーラが呟いたことに、イトはただそう言った。
とはいえ、確かにエレーミアの言った通り、いやとは言えないはずだ。
どう、出るつもりだ?
「ええ、わかりました、それで吞みましょう」
すると、赤毛のロジーは、実に朗らかな声でそう言った。
のっぺりとした、張り付けたような笑顔を作って。
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