41.Martyr

「ねえ、せんせい」


 ある日、昼下がり。今日もこの幼稚園は、いつも通りだ。

 私がいつも通り遊んでいる園児たちを見守りながら、いつも通り園長に提出する日報を書いていると、男の子が一人、私に向かって話しかけてきた。この施設で預かっている、児童の一人だ。


「どうしたの?」


「えっとね、今日、ジェニファに言われたんだ」


 ジェニファというのは、彼と同じく、この施設で預かっている女の子だ。その子とこの男の子……マシューは、しょっちゅう言い争いをしては、大抵マシューが言い負かされて、私に泣きついてくるのだ。これもいつも通り。


「なんて言われたの?」


「……男の人は、昔ワルいことをしたから少なくなったんだって。だからボクも、絶対ワルい人になるからって、たたかれた」


 ……この話題は、いつも通りではなかった。

 思っていたよりは重い喧嘩の内容に、私は頭を抱えつつ、しゃがんで、彼の眼を真っ直ぐ見た。


「どうしてそんな話になったの?」


「ここにはたくさん男の子いるのに、どうして外には女の人ばっかりなんだろうって言った。そしたら、昔たくさんワルいことしたから罰が当たってるんだって」


「……あのね、マシュー」


 眼に涙をためているマシューを何とか宥めるよう努めた。この子は泣きだすと長いのだ。


「そんなこと、あるはずないわ。男の人が少ないのは、悪いことをしたからではないの」


「じゃあ、なんで?」


「昔々に、とっても大きな戦いがあってね。男の人達はみんな戦いに行って、頑張って戦ってたの」


「じゃあ今も戦ってるの?」


 数百年前の戦争従事者をまだ生きていると思うあたり、やはりまだかわいげのある子どもだなと思う。


「いいえ、今は天国で平和に暮らしてるわ。頑張った御褒美としてね」


「……男の人が少ないのは、女の人の方が偉いからじゃないの?」


「もちろんよ。どちらかが偉いなんてことは絶対にないわ。だって、どちらも必要だから、神は両方ともお創りになられたのよ」


 はっきり言って、この世界は歪んでいる。

 この世界は、数百年前の戦争で男性が死に過ぎて以降、男女比は極端に偏った。

 そのせいで――ジェニファとマシューの一件もそうだけど――数がごくわずかの男性は、人権という当然の権利が剥奪され、完全にモノ扱いされている。そして、皆それが当たり前だと、疑問にすら思わないよう教育を受けている。

 その方が政府が管理するのに都合がいいから、ということらしいが、なんと狂気じみた残酷で、恐ろしい話だろうか。国ですら、そんな有様だ。

 この施設は、そんな世界に異を唱えるべく、男性の人権取得を訴える団体が創った、特殊な養護施設だ。

 せめてこの施設の中では、男の子も女の子も、等しく『人間』として扱われて、そして男女は平等だとする教育をする。

 今の世相とはあまりにかけ離れているからか、この施設の思想には批判の声も多い。中にはカルト宗教だと言ってくる連中もいる。

 けれど私は思うのだ、神様が創ったのだから、それに格差などなく、等しく皆尊くあるべきだと。

 それを信じてるから、私は今こうして、この施設で働いているのだから。


「大丈夫、貴方は悪いことなんて、これっぽっちもないの。堂々と、この世界に居ればいい」


「……うん」


 まだよくわからない、という様ではあるけど、何とか元気は戻ってくれたようだ。

 この世界は歪んでいる。それを示すように、ゆっくりと人口が減り続け、衰退してきている。絶滅するのも遠くはないだろう。

 そんな世界を救うための、あの子たちは希望なのだ。

 そう信じて、私は今日も、彼らを見守らなければいけないのだ。


「……よし、じゃあお庭でみんなと遊んでおいで!」


「うん!」


 すっかり元気を取り戻したマシューに、向こうにいる施設の子たちと遊ぶように、檄を飛ばす。きっと一緒に遊べば、一緒に喧嘩していたジェニファとも仲直りできるに違いない。だって知っているんだから、ジェニファがマシューに気があることを。

 そんな呑気なことをニヤニヤと考えながら、私は向こうの庭で遊んでいる園児たちの方を見た。




 大人が、立っていた。




「……ッ――っ」


 その大人は、黒いローブで全身を包み、深くフードを被りながら、ブツブツと何か言っていた。


 誰? いやそれよりも、どうやって入ってきたの?

 ここの警備は下手な銀行よりもずっと厳重なのに。

 まずいと思い、急いでドアを開け、庭に出た。


「せんせぇ、この人誰?」


 園児たちが、ローブの不審者を遠巻きに見ている。


「……みんな、お部屋に戻りなさい」


「えー、まだお昼寝の時間じゃないよ?」


「雨が降りそうだから、ね?」


 何とか不審者を刺激しないように、あくまで静かな声色で、児童に部屋に戻るよう言った。

 どうしよう? 園長に報告? いや、遅い。防犯グッズが確か……いやまず、警備の人達に連絡を……。


「……――」


 ブツブツと、また何か言っているのが、聞こえた。



「主のために守らん。主の御力を得て。主の命を実行せん。川は主の下へ流れ、魂はひとつにならん……」



 そして、その不審者はローブを脱いだ。

 見えたのは、やせ細った、色白い女の顔と、





 体中に巻き付いた、大量の爆弾。





「ッ!?」


 すると、彼女の手に、スイッチらしきもの。


「……主はただ一人、他は全て、滅するのみ」


「みんなッ! 逃げ――」





 そして彼女は、スイッチを押した。











 CHAPTER.03:Prison for prayers











「……怪我はもう平気なのか?」


 まだ午前中の時間だろうか。

 ウィンストン・ヒルズが一望できる、モンタナ・ファミリーの屋敷の屋上。

 まだ高い場所にある太陽に照らされた、雲一つない晴天の中。

 そんな空を仰いで、イトは俺にそう聞いた。


「ああ、まだ沁みるけどな」


「ま、あんだけ殴られりゃあな」


 イトは素っ気なく、そっぽを向きながら言った。

 屋上で呆けてるときに偶然鉢合わせてからこっち、一度も顔を合わせてくれない。

 やはり、先日のことがまだ尾を引いているのだろう。


「……なあ、イト」


「お前さ」


 イトは、ここで初めて顔を俺に向けた。その表情はどこか不安がってるように物憂げで、薄緑のその瞳が、いつも以上に儚く見えた気がした。

 彼女は言葉を続けた。


「……昨日、私たちがしたこと、どう思ってる?」


 昨日したこと……というのは、先日俺が中年のオッサンに殺されそうになったとき、そのオッサンをイトたちが半殺しにしたことを言っているのだろう。

 徹底的にやっていたのを覚えている。それこそ、命以外の全てを奪ったんじゃないかと思うくらい、殺した方がまだマシだったんじゃないかと思えるくらい、徹底的にだ。


「どうって……」


「幻滅したか? 何であそこまでやるんだって」


「……別に」


 何故か、ただそれしか言葉が出なかった。

 俺は多分、こう言わなければいけなかったのだ。『そんなことない。あれは俺のためにやってくれたことなんだろう? それに見せしめをしなきゃいけない。君のしたことは全く間違っていやしないんだ』と。

 けれど、何故か言葉が詰まった。そんな理屈を全部わかっていたうえで、何も言えなかったんだ。


「……なあ、どうすりゃよかったんだ?」


 イトは無気力な声で俺に聞いた。フェンスの上に頭を乗せていて、どこかダウナーだ。

 彼女は続ける。


「私たちみたいなストリート・チルドレンはさ、あれが普通なんだよ。脅されたらその倍脅す。殺されそうになったら殺す。裏切られたらやっぱり殺すか、殺すより残酷なめに合わせる。そういう生活が普通で、それが当たり前だった」


「でもさ、お前は違う」そう言うイトは、とても寂しそうな目をしていた。


「ハリ、お前は私たちと違うよ。少なくともお前は、自分が生き残るために、他の誰かを殺したり、人生をダメにしたりなんかしない」


「……怯えてただけだよ」


「……できるなら、あんな姿、お前に見せたくなかった。人をいたぶって、得意気になってるような、あんな姿を」


 彼女は言ってすぐ、口を噤んで、顔を俯かせる。

 静寂が、少し。

 彼女は、静かにこう続けた。


「私は恐いかな、ハリ?」


 そう言った彼女の声色は、少し震えていたように聞こえた。


「そんなこと――」


「ハリ」


 言う前に、俺の言葉はイトに遮られた。まるでそれ以上喋るな、とでも言うように。


「……もう時間だ、行こうぜ」


「……わかった」


 これ以上はもう、許されないだろう。これ以上の言及は諦めよう、そう思った。

 潮風が吹きすさぶ、普段だったら気持ちよく感じるはずのそれが、今日はいやにべたつくように思えた。


「ちゃんと身なりは確認しろよ?」


「ああ」


 そんな生返事をして、俺はイトと共に、昇降口へと入っていった。

 ネクタイが曲がってないかを、確認しながら。




 ――カツ、カツと、硬い革靴の音が廊下に響く。

 そろそろ正午だというのに、屋敷の中は妙に薄暗い。空が窓を青一色にしているのが、妙に夢うつつで、8ミリフィルムの映像の中に入り込んだみたいに思えた。

 会議室の前までつくと、エレーミアたちが既に揃っていた。

 みんな――俺とイトも含めて――いつもの私服じゃない、黒いスーツで固めた、コーザ・ノストラを参考にしたみたいな恰好だった。いかにもというような、マフィアの姿だ。


「遅いぞ、何やってる」


 リネンが俺達にそう言ってきた。『これからのこと』に緊張しているのか、いつもより声が硬い。


「お祈りをしてたんだよ、お前がビビッて小便漏らさないようにって」


「そうかそうか、なら私は今度、お前が泣いてクソをひり出さないよう祈っといてやる」


「あ?」


「やめなよ、こんな時くらい!」


 イトとリネンがいつもの喧嘩を始めようとしたところに、ルーラが割って入った。この光景もずいぶんと見慣れたものだ。ラミーがそれを見てあくびをしているのも、ベルさんがからかうようにニヒルに笑っているのも、全部含めて。


「……もう全員集まってるわ。部屋で待たせてる」


 エレーミアが横目でチラリと会議室のドアを見ながら、そう言った。

 背筋が凍る感覚が走る。この先に、『彼女』がいるのだ。

 今回の会合、それを開いた理由ともいえる、『彼女』が。


「準備はいいわね?」


 エレーミアはそう言って、俺達の顔を見回す。それを見て、全員が小さく首肯した。


「……ハリ、開けて」


 確認が終わると、彼女は俺に言った。俺はそれにただ従い、会議室の大きいドアを、ゆっくりと、静かに開けた。


「お待たせしたわね」


 エレーミアは開けたドアから会議室に入ると、既に座っている人物に、そんな簡単な挨拶をした。

 イトたちが続いて会議室に入り、最後に俺が入って、そしてドアを閉める。

 部屋の奥を見た。

 よく知っている顔が、できれば二度と会いたくなかったその顔が、そこにあった。





「……お久しぶり……というほどでもないわね、イト」





 『赤毛のロジー』、ママ・ロザリアはそう言って、妖艶に微笑んでいた。

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