40.Crappyday
「……飼い犬に小便をかけられた気分よ、酷いものね」
苦虫を噛み潰したような顔で、エレーミアはそんなことを、目の前にいるオッサンに言い放った。
「え、な……へぇ?」
それを言われたオッサンはといえば、言われたことに理解が追いついていないのか、素っ頓狂な声をあげていた。さっきの威勢は何処へやら、だ。
「え、ちょっと待って、ここって『モンタナ』の傘下だったの!?」
全くもって俺も同じことを考えている。
ルーラが驚きながら言ったその言葉は、ここにいる大半の人間の心情を代弁したものと言っていいだろう。
「末端の方だけどね。担当の集金係が死んじゃったから、引き継ぎに時間がかかってたんだけど……」
言って、エレーミアはオッサンに視線を戻す。端から見えたその顔は、呆れ返って物も言えないと言った様子だ。
「イト、その男を放してあげて。そんなのでも、ここの大事な支配人さんなの」
「こんなのが? ハッ……もう少しマシなのはいなかったのかよ?」
「……いたら、私だってこんなところに出張ってないわよ」
「……」
イトはエレーミアとそんな問答をして、今まで掴んでいたオッサンの胸ぐらを離した。
するとオッサンは、弱々しく這いずりながら、エレーミアに近づいた。
「ボ、ボス……」
「……酷い様ね、グレゴリー」
あのオッサン、グレゴリーって名前なのか、初めて知った。
「ボス、あの男です。あのニードル・ノットが、店の金を盗んで、しかもあろうことか、女を連れてきて俺にこんな仕打ちを……どうか、どうか報復を……」
その妙にミュージカルのような口ぶりで、オッサンは自分に起こったことがいかに不当で不幸かということを、エレーミアに熱弁した。
……そうだ、そういえばあのオッサン、まだ俺がニードル・ノットだと思っているんだった。
どうにかエレーミアにそのことを弁明をした方がいいのかなと考えていると、彼女は静かに口を開いた。
「……私ね、どうしても許せないものがあるの」
彼女はオッサンを見ながら、実に柔かい声色で話し始める。
なぜだろうか、その優しい雰囲気の中に、威圧感を感じる気がした。
「ひとつは、道端でゲロを吐かれること。あれは本当に最悪な気分になるわ、今日がいくらいい日だったとしても、寝る前にそれを見ちゃたらもうおしまいよ」
彼女はそう言いながら、自分の懐に手を入れる。
「もっと許せないのは、嘘をつかれること」
そう言って、彼女は拳銃を出した。
それを見て、オッサンは酷く困惑した顔をする。
「ッ……!?」
「嘘は良くないわね、グレゴリー。全く以て良くないことよ」
エレーミアはそう言いながら、オッサンの眉間に、銃口を向けた。
嘘? 勘違いならわかるが、嘘とはどういうことだ?
「あなた最近、ずいぶん羽振りがいいみたいじゃない? 恋人にあげたエメラルドのネックレスは、気に入ってもらえたのかしら?」
エレーミアがそう言った瞬間、オッサンはみるみるうちに血の気が引いていってるのが見て取れた。
『何故そのことを?』そう顔が言っているようだった。
エレーミアもそれに気づいたのか、言葉を続ける。
「……ここ最近、妙にこのお店の上納金が少なくなってる気がしてね、気になって、ここで働いてる人の支出を調べさせたのよ」
オッサンから脂汗がダラダラと出てくる。『メン・イン・ブラック』の最初の映画で、あんな感じの宇宙人がいた気がする。
そんな今にも黒服に連行されそうなオッサンを、エレーミアは事実確認でもするように、冷ややかな目でじっと見ていた。
「実に不思議なことなんだけどね、グレゴリー。上納金が少ない月の、その翌月に必ずと言っていいほど、貴方は大変な大盤振る舞いをしていることがわかったのよ」
「い、いや、それは……」
「更に更に不可解なことに、つい最近ようやく、お店の帳簿を見させてもらったけど、上納金が少ない時の売上は、むしろ上がっていた」
「ッ……」
「……数か月前にその理由を、使者を通して聞いたはずよ? 盗られたなら盗られたで、何故その時報告しなかったの?」
エレーミアがそうやって話しているのを聞いて、ようやく彼女の言いたいことが何なのかわかってきた。
つまるところ、彼は店の売り上げをピンハネしていたということだろう。
それがバレそうになったから、俺……もとい、たまたまイベントに招待されたニードル・ノットを適当に強盗にでっち上げて、とりあえずは難を逃れようとした、と言ったところだろうか。
……なんというか、まあ。
「救えねぇ~……」
ラミーがそんな無気力な声で、しかし俺の気持ちを代弁してくれた。確かにまあ、俺が言えた話でもないが、そんな俺から見ても、少々短絡的に思える。
恐らくだが、オッサンのその考えを、俺を買ったあの女性は知らないのだろう。そう考えるのが妥当だ。どこの誰が1千万円相当の金を払って、このオッサンの罪を清算しようとするだろうか?
「ボ、ボス! 本当なんです! アイツに金の居所さえ吐かせれば、全部解決します! お願いです、まだ俺にチャンスを!」
「……なあ、金の居所ってどう言い繕うつもりなんだろう?」
未だに何とかこの場を逃れようとするオッサンを見て、俺は思わず、ベルさんにそう耳打ちした。
「そこはほれ、さっきの女の10万ラルがあるだろう? 入金されるまでの時間を稼ごうという腹積もりじゃないか? 先方が本当に払うつもりがあればの話だが……」
「ああ、なるほど……」
言われて、確かにそれなら無理矢理ではあるが筋は通る。この土壇場で、よくそんな頭が回るものだと感心した。彼もまた、この夜の街を長いこと生き抜いてきただけはある、ということなのだろう。
「……まだ私の話を理解してないみたいね、グレゴリー」
しかし、そんなオッサンの努力も虚しく、エレーミアは無表情で撃鉄を降ろした。
「ッ!?」
「私はね、言ったはずよ、『嘘をつかれる』ことが何よりも許せないって」
「ほ、本当です! ボス! なぜ信じてくれないんですか! 今この男がこの場にいるのが、何よりの証拠でしょう!? なぜですッ!」
もはや体裁も何もない。オッサンは死に物狂いで命乞いをしていて、なんとかして、エレーミアの矛先を俺に向けようと必死だった。
「……はぁ」
そんな彼を見て、エレーミアは深くため息をした。
少しだけ、気まずい沈黙。
するとエレーミアは、振り返って、俺の方を見た。
「ハリ、ウィッグとカラコン、外しなさい」
「え……いや、でも……」
「いいんじゃねえか、このままじゃ埒が明かねえ」
エレーミアの提案に、イトも乗っかってきた。
確かにこのままじゃ、夜が明けてしまっても終わらないかもしれない。
「……わかった」
俺はそう言って、ブロンドのウィッグと、ブルーのカラコンを外した。
「なっ!?」
「彼? ああ、彼はね、ウチのお気に入りなの」
黒髪黒瞳となった俺の姿を見て、オッサンは絶句した。
わけがわからないと言った具合に、口をパクパクさせて、俺とエレーミアを交互に見ている。少し面白いな、なんて思ってしまった。
「え……じゃあ、ニードル・ノットは……?」
オッサンは弱々しく、エレーミアにそう聞いた。
彼女は、きょう何回目かわからない溜息を吐いて、口を開いた。
「……ニードル・ノットの噂は私も気になっててね、チラシに書いてた、彼の事務所に連絡を取ってみたの」
「そしたらね」エレーミアは鼻で笑って、続けた。
「その電話番号を繋いでみたら、スティル・ヨークの『老人センター』に繋がったわ」
「「……はぁ?」」
俺とオッサンの声が、不覚にも重なってしまった。
どういうことだ? そう考えていると、エレーミアは少しだけニヤリと笑いながら、種明かしを続ける。
「いないのよ、『ニードル・ノット』なんて人間は。グレゴリー、貴方がチラシを見てイベントに呼んだその人物は存在しない。依頼料だけふんだくって雲隠れする、初歩的な詐欺だったわけね」
……なんと、そう、言えばいいのか。
「…………」
オッサンもそんな感じ……いや、俺とは比較にならないくらいショックらしく、開いた口が塞がらないような状態だった。
まあ、無理もないだろう。ニードル・ノットが存在しないってことは、つまり。
「で? もう一度聞くけれど、誰になんのお金を盗まれたんだっけ?」
……まあ、つまり、そう言うことになってしまう、ということだ。
「さて、上納金をピンハネした挙句、その言い訳づくりのためにウチのお気に入りの顔に傷をつけたわけだけど……どういう落とし前を付けるべきかしら、イト?」
もはや魂の抜けたようなオッサンをしり目に、エレーミアはイトにそんなことを聞いた。
「刻んで豚の餌にしろよ。豚にファックさせてから殺してもいいぜ?」
「ルーラは?」
「普通に殴り殺せばいいんじゃない?」
「リネン」
「焼いてのたうち回ってる様を全員で鑑賞しよう」
「ラミー」
「ナニを切って食べさせてみるとか?」
「ベル」
「精巣を切除させてくれ、麻酔無しで」
五者五葉。実におっそろしいことを楽しそうに提案する。こういう場面を見ると、なるほど彼女らもこの裏社会で生きてきただけあると感じた。全く持って容赦がない。恐い。
「ハリ、貴方は?」
「いや俺は……その……」
「……おい黒髪黒瞳、まさかビビッてるんじゃないだろうな?」
俺の言葉に、リネンが実に不満げにそう漏らした。
実際彼女の言うとおりだったから、俺はそれに答えられず、沈黙せざるを得なかった。
復讐だ何だというのは、はたから観る分には気持ちがいい。何より、さっきルーラが言った通り、今後の抑止力になるという、とても実利的な側面もある。
今起きてるこれがフィクションだとしたら、このおっさんが半殺しにされたら胸がすくだろうし、俺と全く同じ言動をするキャラクターがいたとしたら、俺はそいつを、『なんて偽善者ぶった胸糞悪い、情けない奴なんだ』と思うだろう。
だが、今こうして自分がその立場になるとわかる。無抵抗の他人の頭に、バットをフルスイングできるやつなどそうはいない。
いつか何かで読んだそんなセリフを、痛いほど実感した気がする。認めたくはない。だがどうやら俺は偽善者ぶった胸糞悪い、情けない奴だったらしい。
リネンはそんな黙っている俺に、しびれを切らしたらしかった。
「いい加減にしろ、自分を殺そうとした相手だぞ! そもそもお前、私たちと一緒にいるくせに、まだ自分だけキレイでいようって――」
「リネン」
言葉を遮って、イトは冷たい声をだした。
「やめろ。それ以上は、何も言うな」
だが、なぜだろうか、つづけた言葉はほんのわずかだが、どこかか細く、震えているように聞こえた。
「……まあ待ちたまえよリネン」
「あ? なんだよ、どいつもこいつも」
イトの言葉に続くように、今度はベルさんがリネンに話しかける。
「ハリくんの気持ちもわからないでもない。彼は私たちと違って、暴力が遠い世界で生きてきたのだ。そんな子にいきなりスプラッタなリアリティショーを観させるのは、いささか大人げないとも思わないかい?」
「個人的にはそれも美味しいと思うがね」あっけからんとしながらベルはそう言って、リネンをたしなめた。
『私たちと違う』。何の気なしにベルは言ったが、改めて、その事実が重くのしかかった気がした。
「……フン、もういいよ、軟弱野郎め」
リネンはそう言って、俺から目を離し、部屋のソファに乱雑に座った。
「うーん、じゃあこうしましょう」
先ほどのベルの言葉を聞いたエレーミアは何か思いついたようで、手をポンと叩いて、続けた。
「彼が慣れるためにちょっとずつ残酷性を上げながら、最後はイトたちが言ったことを全部やる。ということで」
……余計トラウマになりそうだな。
「起きなさい、グレゴリー」
エレーミアはそう言って、放心状態だった彼の頭をペしぺしとはたいた。
「は!? い、一体……?」
「グレゴリー」
「え? ボ、ボス……?」
「今夜は楽しみましょうか」
その時のエレーミアの顔を、その後のオッサンの悲鳴を、攻めに転じたイトたちの恐ろしさを、俺は多分忘れることはできないだろう。
エレーミアが『レザボア・ハウンド』なんてゴツイ名前で呼ばれる理由が、今日何となくわかった気がした。
ある程度ことが終わった後、俺はふと、イトのほうを見た。視線が合った。
「……そう怯えるなよ」
どこかさみしそうに、彼女はそう言った。
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