43.Desire

 あの会合が終わって、時刻はもう昼過ぎ、俺とイトは二人、モンタナ傘下のダイナーにて、少々遅めの昼食を摂っていた。

 というのも、赤毛のロジーがまだモンタナの屋敷にいるのだ。彼女が帰るまで、なるべく俺を離したい。ということで、またまた金髪のウィッグを付けて、イトに連れてこられた、というわけだ。

 時間帯にしては少々寂しいダイナーの中、イトは俺の対面で、足を組んでソファに座っている。

 口を一文字にして、目を細めたその鋭い表情は、きっと眠気のせいではないだろう。


「……どう思う?」


 彼女はテーブルにある山盛りのパンケーキ、それをナイフとフォークで丁寧に切りながら、俺に聞いてきた。


「どう……て、今朝のことか?」


 対面に座っていた俺は、ただ単にそう聞き返した。

 するとイトは、そのフォークに刺した一欠けらを口に運ぶのを一旦止めて、俺の方を見る。


「決まってる」


 彼女は改めて口にパンケーキを入れた。


「んむ」


 彼女はそんな、満足げな声を発した。メープルシロップとバターがたっぷりかかったそれがいたく気に入ったのだろうか。イトの不機嫌な表情が、幾分かマシになったように見える。

 ――今朝のこと、言うまでもなく、今朝の赤毛のロジーとの『お話』についてだろう。

 モンタナ・ファミリーと、ロジーのカルテルとの、不可侵条約を結ぶことになった、早朝のあの会合。

 結果だけ見れば、万々歳だ。結果『だけ』を見れば。


「十中八九、彼女ロジーは何か仕掛けてくると思う」


「……へえ、何故そう言える?」


「試すみたいに言わないでくれよ。イトだってそう思ってるはずだ、赦しと寛容なんて、彼女には一番不釣り合いな言葉だって」


「いい台詞だな、司会者になれるぜ」


 そう言いながら、イトはコーヒーに砂糖を入れる。


「そんな言葉が似合うやつなんていねえよ。神様にすら荷が重い、そうだろ?」


 砂糖を4つ、入れ終わった彼女はそれを大雑把にかき混ぜる。ミルクは入れないようだ。

 そんな他愛もないことを考えていると、イトは俺に聞いてきた。


「とはいえ、お前のその意見は、赤色をただ『赤だ』って答えているみたいなもんだ。私が言いたいのは、『そうあれかし』より、もうちょっと具体的なことだよ」


「……ロジーがいつ、どう攻めてくるかってことか?」


「そうだ」


 イトはそう言って、コーヒーを慎重に啜る。


「アッツ……!」


 彼女は舌を出しながら、小さくそう呟いた。聞かなかったことにした方が、良いだろう。何となくそう思った。

 彼女は咳払いをして、言葉を仕切り直した。


「……その、なんだ……多分あの女は、直接攻撃みたいな、そんな単純なことはしてこないはずだ」


「でも、ただの嫌がらせだけで満足できる器でもない」


「よくわかってるじゃないか、ハリ。きっとアイツは蛇みたいに近づいて、そして蛇みたいに毒を盛ってくる」


「そうだな……」イトはあごに手を当て、考え込む。ほどなくして、彼女はこう言った。


「例えば、何か『内通者』を送り込んでくるとか。私がアイツならそうする」


 言いながら彼女は、パンケーキをまた頬張った。どうやら最後の一欠けらのようだ。いつの間にやら、山盛りだったパンケーキは、皿からきれいさっぱり無くなっていた。


「内通者って……誰だ?」


「それがわかれば苦労しねえよ。まあ、ここ最近……私たちが加入した後とかにファミリーに入ってきた奴がいたら、要注意だろうな。そんくらいだ」


 それもそうだ。いつどこから敵が来るのかみんな知ってたら、この世は情報戦なんていらないだろう。

 とはいえ、イトやリネンに対抗できるような化物である可能性は高いだろう。そんな奴、そうそういるはずもない。

 一体、誰が……。


『――次のニュースです』


 ふと、そんな声が耳に触った。ダイナーにあるテレビからのものだ。内容は、声で聞いた通りの、昼のワイドショーの前後に映るような、特段ケレン味のないニュース番組だった。

 何の気なしに、俺とイトはそのニュースを見てみる。画面には、何かの施設なのか、特に特徴のなく老朽化した、けれど手入れがされているであろう、コンクリートの建物が映っていた。


『グレービーサイドにある児童養護施設にて、プラスチック爆弾による爆破が行われました。この爆破事件にて、現時点で職員、児童含む24人が死亡、18人が重症を負いました。警察は過激派組織『神託の種子ヴォルヴァ・デ・セミラ』による自爆テロとみて、捜査を進めています』


 流れてきたのは、ずいぶんと痛ましい事件だった。実行したらしいのは、何やら聞きなれない、過激派組織のようだ。

 イトはニュース映像を見ながら、ふと呟く。


「グレービーサイドか、こっから近いな……」


「物騒だな、今更だけど……『神託の種子ヴォルヴァ・デ・セミラ』だっけ、イトは知ってる?」


「ああ、最近色んなとこで名前を聞くぜ。『男は自分たちが認めた1人以外不要だ』って言って、男がいる場所を片っ端から壊してってるらしい。あの施設も、きっとそうなんだろう」


「スゲエな、そりゃ。終末でも求めてるのか?」


「どうだかな……そんなことしなくたって、今の世界はとっくの昔にラッパが鳴り響いてるさ」


 イトはそう言いながら、パンケーキに乗ってたミントの葉を咥えた。どういうことだろうと、彼女の言葉の意味を考えていると、彼女はそのまま言葉を続けた。


「……男が大半いなくなって早数百年、人口なんてザルに入った砂みたいに減り続けてる。そりゃそうだろう、種がないんだから子供ガキなんてできるはずもない。あとまた数百年もすりゃ、人類は滅亡するだろうって、偉い学者の話だ」


「そりゃ……ヘビーだな、ずいぶん」


 俺がそう言うと、イトは興味がなさそうに「そうだな」とだけ言った。

 どうやらこの世界は、俺が思っているよりもずっと、アポカリプス一歩手前な状態らしい。イトの反応を見るに、この世界の人にとっては、俺の世界で言う石油問題みたいな実感のわかない問題なのかもしれないが。

 そんなふうに考えていると、イトは咥えていたミントを口の中に入れて、冷めたコーヒーを一気に飲んで、こう言った。


「明日生きれるかもわかんねえのに、数百年後の話しても締まらねえよ。嵐の後に凪があったって、嵐で死んでちゃ世話ねえさ」


「凪にしちゃあ、風が強い」


「まあな……そろそろ帰るぞ、もうロジーもいい加減帰ったろう」


 イトはそう言いながら、席を立ち、ジャケットを羽織る。


「そうだな」


 俺はただそう言って、余っていた自分のコーヒーを飲み干して、席を立った。

 粛々とレジで代金を払ってから、俺達は店の外に出た。

 時刻は夕方になる手前くらい、まだ明るいが、この辺はホワイトカラーが多いからか、人通り自体はそれほど多くもなかった。


「……なあ、ハリ」


 帰路につくと、イトは静かに、声を発した。

 その声と顔は、今朝、屋上で見たそれと、同じものだった。


「どうした?」


「いや、悪い、呼んでみただけだ」


 そうは言うが、イトの顔は、そう言ってない。

 喧騒が少し遠くなり、二人分の足音が、妙に大きく感じた。


「……今朝のことなんだけどさ、一番言わなきゃいけないことを、俺は忘れてた」


 いつになく歯切れが悪い彼女に、俺は何を思ったのだろうか。気づけば、俺の口は自然と言葉を発していた。


「助けに来てくれて、ありがとう」


「……」


「それと、すまない。君たちの世界の流儀も知らずに、浅い倫理観で出しゃばったことを言った。……悪い、君を傷つけるつもりは、無かったんだ」


「……わかってるよ」


 イトは静かに、そう答えた。歩きながら、彼女の方を見る。するとその顔は、寂しいような、笑っているような、そんな表情をしていた。


「誰だって、自分の一番恐ろしい部分を指摘されたら、がむしゃらに否定したくなるもんだ。今朝の私みたいにさ」


「……イト、これだけは言える。俺は君のことを、恐ろしいと思ったことは一度だってない」


 一字一句はっきり、俺はイトにそう言った。言わなきゃいけないと思った。


「ッ……」


 すると彼女は立ち止まり、俺の方に顔を向けた。まるで何かに締め付けられるかのような、そんな表情で、目を細めていた。


「……イト?」


 どうしたのだろうか。ひょっとすると、俺はまた何か言葉を間違えたのだろうか。

 そんな猜疑心と少しの自己嫌悪に勝手に陥ってると、イトが口を開いた。


「な、なあハリ」


 そんな風に、俺の名前を呼ぶその声は、何だか震えていた。


「ぜ、全部終わったら……その、私と……」


「あ、ああ……?」


「私と――!」








 カツン、カツン、と、硬い靴の音が、いやに響いて聞こえた。

 何だ? そう思って、前に向き直す。








 黒いフードとローブを着込んだ、『誰か』がいた。


「ッ! ハリ、下がれ!」


 イトにそう言われる前に、俺はすでに後ずさっていた。

 わからない、だが何故か、そうせざるを得ないように感じた。

 本能が、目の前の『誰か』を拒絶していた。


「そっから一ミリでも前に出てみろ、来てるもんブルーシートに変えてやる」


 イトは即座に銃を抜いて、威嚇をする。周りの人たちの注目を集めてしまっているが、そんなことを気にしている場合でもない。

 すると、『誰か』が声を発した。


「イト、イト、だな? お前、イトだ」


 なんだ、コイツ、イトが狙いなのか?

 それはその体躯に似つかわしくない、子供の声だった。けれど、何か違う。まるで、機械で再生したみたいな……。


「何? お前、何もんだ?」


「……お前の膵臓、腎臓、肝臓、心臓」


「あぁ?」






「ずっと、食べてみたいと思ってた」






 『誰か』はそう言いながら、どこからか『錠剤』を取り出した。

 そこには、ただこう書いてあった。





 『S2』


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