37.Auction
ハリが踊っている様を見るのは、一言で言ってしまうと、実に苛立たしかった。
アイツに対してのものではない。むしろ逆だ。
舐めまわすような視線でアイツの露出した肌をガン見するやつ、下品なヤジを飛ばすやつ、もう金を出してアイツを『買う』準備をせかせかとしてるやつ。
人のことをどうこう言える身上でもないが、それでもやはりハリに手を伸ばそうとするすべてが、実に面白くなかった。
「わ、わあ……すっご……」
「あはぁ、やっぱいイイなあ、あの子」
ルーラとラミーは私と少し違うようで、周りと同じようにハリの一挙一動を熱心に観察していた。ルーラは少し照れくさそうに、ラミーは慣れたような舌なめずりをして。
苛立たしいと私は言ったものの、眉目秀麗な男がストリップをしているのだから、本来はこれが多数派の反応なのだろう。だからと言って、そんなもの溜飲が下がる理由にもならないが。
「…………」
「……瞳孔開いてんぞ、リネン」
「えッ!? あ、そ、そんなことない!」
リネンにいたっては、生唾を飲み込みながら、どこか息を荒くして、ハリを見ていた。私が指摘した途端、さも気にしてないかのようにそっぽを向いて、ジンジャーエールをごくごくと飲み始めたが、まだチラチラとハリを目で追っているのがバレバレだった。酷いモンだ、初めてエロ本を見た中学生の方がまだ余裕がある。
……とはいえ、私もその気持ちが全く分からないと言えば、嘘になる。
ハリは、黒髪黒瞳ということを抜きにしても、かなり見てくれが良い。外見だけなら、この金持ちの街ウィンストン・ヒルズの、この高級店のコールボーイの連中と比べたって、まず間違いなくトップに食い込めるレベルだろう。
そんな奴が、演目の上でとは言え、服を脱いで手招きしている。
それを目の当たりにして、『汝、姦淫するなかれ』なんて言って、十字を切れる奴が一体どれだけいるって言うんだ?
それができないから、みんなこんな場所にいる。くだらないことだ。
人のことなんぞ、言えるほどの徳などないが。
そんなことを考えていると、かかっていた音楽が、大げさなブラスバンドを最後に、止まった。
「……さあさ、そろそろお楽しみだぞ」
ベルがいつものニヒルな調子で、そんなことを呟いた。それに呼応するように、ステージに再び、さっきの司会者が出てきた。
「さあ、今宵のダンスショーお楽しみいただけたでしょうか? まだご満足いただけない? ご安心を」
どっかのバラエティ番組のまねごとみたいに、司会者は芝居がかった口調で、言葉を続ける。
「なんと今宵は特別! 今踊ってくれたこの男、ニードル・ノットとのワンナイト・ラヴの権利を、お一人様限定、オークション形式にて、贈呈いたします!」
その言葉を皮切りに、店中が歓声で溢れかえる。そう、つまりこれから始まるのだ。勝手にハリを賭けた、クソみたいなオークションが。
ようく見ると、司会者の話を聞いたハリが、驚いたような表情をしていた。恐らく今この瞬間まで、オークション云々の話は聞かされていなかったのだろう。酷い話だ。
「イト」
そんなことを考えていると、ルーラが私に話しかけてきた。
「終わったのか?」
「うん」
そう言って、彼女は私の前に、そこそこの量の札束と、少量の小銭を出した。
ルーラには先程、全員の手持ち金の話をした時に、金を集めて集計してもらうよう言っておいた。こう見えてルーラは、金勘定やものの読み書きが――私たちみたいなストリート・チルドレンの中では――かなり得意な方だ。実際のところ私も、何度か教えてもらったことがある。こういう時の彼女は、実に頼りになる。
「いくらだった?」
私がそう聞くと、ルーラは得意げな顔をした。
「5250ラル。ベルのも合わせると1万以上になるよ」
1万以上……風俗で、男娼と情事を行うための相場はわからないが、おおよそ200から300ラル程度と聞いたことがある。そう考えると、この金額は、恐らく十分ハリを買える金額だろう。
まだ安心はできないが、これなら万が一のことがない限り、ハリが誰かの手に渡ることも無いだろう。
「ところでだがね、イト、彼が買えたら、私が抱いてもいいのかい?」
いきなりベルがそんなことを言いだした。はったおそうと思いながらそっちの方を向くと、彼女の頬に水がなみなみ入ったデカいポットが押し付けられているのが見えた。押し付けているその主を見ると、リネンだった。
「……なんだね、一体?」
「チェイサーが来たぞ、博士。一回これで酔いを醒ませ」
何ともむすっとした表情で、リネンはベルにポットを押し付ける。傾けてるのは不慮か故意か、ともかくそのせいでベチャベチャとベルの頭に水がこぼれていってる。
「わかった! わかったから一旦それを降ろせ! 冷たい!」
それはそれは実に愉快極まる光景ではあったが、残念ながら今の私には、水を被ったベルを嗤う余裕はない。私は気を取り直して、ステージの方を見た。
「さて、それでは今から、オークションを開始します! では100ラルから――」
司会者が言い切る前に、その言葉が他の観衆の声に飲み込まれた。最低価格がわかった瞬間、皆一斉に値段を叫び出したのだ。
「200!」「350よ!」「1000だ!1000出す!」
とはいえ、聞こえてくる値段の中に、予想を超えて高いものは存在しなかった。今聞いた限りの値段だったら、十分に勝てる。
「イト、最初はどうする?」
ルーラの問いに、私は。
「1万ラル。マックスだ」
そう言った。するとルーラは、驚いたような顔をした。
「だ、大丈夫なの? まずは出方を伺った方が――」
「いや、最初からどでかい金額にした方が、周りへの牽制にもなっていい。速攻で勝負に出る」
そうだ、四の五の言ってる暇はない。もしもたもたしているうちに決まっちまったら、ハリが知らない女に抱かれることになる。
それはダメだ、それだけは絶対にダメだ。
「さあ1000が出ました! 他にはいないですか? 他は?」
1000ラルで一回値段の提示が止まったからか、司会者が他に1000ラル以上の額を出すやつがいないか確認する。
まずい、とっとと言わねえと。私はそう思って、思い切り声を張り上げた。
「おい待て! 1万ラル――」
「10万」
突然、そんな声が聞こえた。
アレだけの騒ぎの中で、声を張っているふうでもないのに。
その声は、酷くはっきりと、聞こえた。
私は思わず、その声がした方向に顔を向けた。よく見ると、周りも同じように、私と同じ方向を見ていた。いつの間にか、先程の喧騒が嘘のように、しんと静まり返っている。
視線の先に、一人の女がいた。長い、月光のような銀色の髪をしていた。
そんな中の静寂が数秒。
女はふっと、口を開いた。
「……もしもし、6ケタ以上の数字わかります?」
呆然とする司会者にむけて、彼女は静かに、しかしよく通るその声で、そう言った。
「え? あ、ああ……じ、10万ですね。他にはどなたかいらっしゃいますか?」
我に返った司会者が、思い出したかのように、そんな決まり口上を口にする。
なんなんだ、あの女?
10万だと? ふざけるな、高級車が買える金額だぞ。
何なんだよ、あの女、一体誰なんだよ!
そんな脳内で繰り広げられる問いに、答えるものなどもちろんいない。
何も言えない。なにもいい考えが浮かばない。
結局、誰も何も、一言も発しないまま。
ハリの落札は、この女で決まってしまった。
◇
……どうしてこういうことになったと、思わざるを得なかった。
オークションだと? 買った奴が俺と寝るだと?
支配人の男、あの間抜けなクソ野郎め。仕事の内容もまともに伝えられねえのか?
……などという通り一遍の愚痴を心の中で呟いたところで、俺はようやく、自分の置かれた現状を把握する程度の落ち着きを取り戻せた。
「さ、この部屋でしょうか? こちらへ」
そうしていると、目の前を歩いている、俺を買ったらしい女がそう言ってきた。
俺はこの女に買われた後、すぐにこの場所に連れてかれた。ホストクラブの上の階、エレベータを使わないとしんどいくらいの階数にあるそこは、なかなかに設備の良いホテルだった。
廊下の淡いピンク色の壁には、柔らかな明るさの間接照明がつけられており、下品にならない程度にセクシーな雰囲気を演出している。
やはり富裕層の街なだけあって、清潔で、しかも豪華だ。そこらの安モーテルとはやはり違う。
「どうしました? ご気分がすぐれませんか?」
どうやらぼうっとしてしまっていたらしい、俺を買った女が、どこかあくまでも柔和な表情をして、俺の顔を覗き込んできた。
一瞬、今なら逃げれるんじゃないか、逃げようかとも考えたが、やめた。ここで逃げれるなら、とっくの昔に出来ている。あのオッサンが、ここで警備を甘くすることなどないだろう。
「あ、ああ、いや……大丈夫です。すみません」
とりあえずそれだけ言うと、彼女はただ黙って、目の前の扉を開けた。しかし、彼女は部屋に入らず、身体を少しだけドアに寄せて、再びこちらを見た。先に入れ、ということらしい。
「……お邪魔します」
それに逆らう道理もひとまずはないので、俺はひとまず部屋に入った。
部屋はそれなりに広かった。廊下と同じ淡いピンクの壁に、洒落たカーペット。廊下と違うのは、材質を見るに、防音性が高いものだろうということ、そして、キングサイズのベッドがあるってことだ。
「ふう、慣れませんね、ああいう場所は」
女はそう言って、いつの間にかベッドに腰かけていた。
その声を聞いて、やはりと思った。吐息のような小さな声量なのに、いやにはっきりと聞き取れる、その声。
さっき踊っていた時、目が合った女だ。
「……そんなに怖がらないでください、黒髪黒瞳くん。別にとって食べたりはしません」
彼女はそう言って、そのアメジストのような瞳を、俺に向けた。
「ッ……!」
全身に悪寒が走った。さっきも感じた、真綿で首を絞められるような、あの嫌な感じ。
その理由が今、はっきりわかった気がした。
何故だ? 一体、なんで?
俺が、『黒髪黒瞳』だと知っている?
「……アンタ、誰だ?」
「……かわいそうに、そんなに怯えないでください」
女は俺をただ見据えて言った、それは実に平坦な口調だった。
そして、立てた人差し指を口に当てて、『静かに』のポーズをしながら、呟くように、こう続けた。
「ミス・ロザリアには、黙っておきますので」
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