38.Lady
「……ロジーの追っ手か、アンタ?」
オレンジ色の照明に仄暗く照らされた、小奇麗なホテルの部屋で。
俺がそう言っても、フワフワとした大きなベッドに腰かけたその女性は、ただ微笑むだけだった。
こちらの質問に答える気は無いということだろうか。まあ、当然だろう。盗人が『盗人か?』と問われてハイと答える道理など、まずないのだから。
「……俺を、攫いに来たのか?」
不毛とわかっていながら、俺は再びそんな質問をした。無駄なことは承知の上で、しかし探れることは探りたいと思ったのだ。
「いいえ」
けれど今の質問は、どうやら意外なことに、功を成したようだった。その月光のような銀色の髪を弄りながら、女性は明確な否定をした。
彼女はこう言った、『ミス・ロザリアには黙っておく』と。
どういうことだ? 彼女は、あの『赤毛のロジー』とは関係がないっていうことか?
だけど目的が俺の奪取ではないとしたら、俺に接触した狙いはなんだ?
そう考えていると、彼女は少し笑いながら、口を開いた。
「これはこれは……ご安心を。貴方はご自分で思っているほど、皆から求められておりませんから」
口調はあくまで柔和で、平和的だ。だがなぜだろう、言葉尻ひとつに、どうにも棘があるように感じた。
それはきっと、敵意に近い何かだ。
わからない……わからないが、彼女からは何か、恐ろしさを感じる。
得体の知れない、ドロッとした悪意のような……。
「……人がなぜ争うのか、貴方はご存知ですか?」
唐突に、脈絡なく、彼女はそんなことを聞いて来た。
「宗教勧誘なら間に合ってる」
俺は自分の焦りと怯えが悟られないように、そんな冗談じみたことを言ってみた。
「パンフレットでもあげましょうか?」
それを全部見透かすように、彼女はそんな風に言った。
溜息を一回。
それだけして、彼女は続ける。
「その程度のもので理解ってもらえるのなら、きっと世界はもっと平和で、素晴らしいものになっているのでしょうね」
「……何が言いたいんだ?」
「先程の続きですよ、どうして人は争うのか、憎み合い、殺し合うのか」
そう言う彼女の顔は、先程から何も変わらない、柔和な微笑みのままだ。
ああ、まただ。また感じた、何か言いようのない、粘り気のあるような恐ろしさを、彼女から。
彼女のその瞳は、答えろと、言外に強く俺に言ってきていた。
「さぁな、そういう性ってだけじゃないのか?」
「残念ながら、全くもって違います」
俺がその場で言った答えに、彼女は強く否定した。
彼女は淡々と、その先を続けた。
「それは、信じる神が違うからです」
「……なんだって?」
「神はひとつだけでよい、ということですよ」
とは言われても、どうにも言っていることの意図が読めず、俺は眉をひそませる。それを見て、理解できていないことが伝わったのだろう。彼女は小さく咳ばらいをし、説明を始めた。
「……人と人が争う理由の一番は、主張の相違です」
「……」
「ではなぜ、主張に相違ができるのでしょう?」
彼女はそう言って、人差し指を静かに立てた。
「それは、信じる神がそれぞれ違うから」
彼女は先程とは打って変わって、つらつらと諭す様に言葉を並べ立てる。昔嫌いだった養護教諭の婆さんを思い出した。だからだろうか、妙に癇に障る物言いに感じた。
そんな俺の心情など知ったことではないだろう、彼女は続ける。
「信じるものがそれぞれ違うから、人々は分裂し、憎み、争うのです。歴史が何度も証明しているでしょう?」
「……それを言うなら、土地と飯が欲しくてやる奴らだって多いんじゃ?」
「それこそ、神が違うからこそ起こることです。皆、信じるものが一緒ならば、土地も食料も分け合い、共存できるはずです。違いますか?」
「なあ、結局何が言いたいんだ、アンタ?」
彼女の説教じみたその問答に、俺はただそう答えた。何というか、彼女の言葉をこれ以上聞いていたくなかった。
「アンタ、俺を攫うつもりはないって言ってたよな。じゃあ本当の狙いはなんだ? まさか、俺に説法を解くために、10万ラル払ったわけでもないだろう?」
そうだ、言いながら思い出したが、彼女は俺を10万ラルで買ったのだ。
1ラルは、日本で言うと100円くらいの価値がある。つまり10万ラルは、単純に計算すると、1千万円ほどになる。
そう、1千万だ。たった一晩に、1千万。
残念ながら、『赤毛のロジー』の名前を出され、1千万で買われ、なお何もされないだろうと高を括れるほど、俺の脳ミソは愉快にできていなかった。
「……もう一度聞くよ」
俺は彼女を目をしっかりと見ながら、言葉を続けた。
「アンタは、どこの、誰なんだ?」
俺はゆっくりと、ひとつひとつの言葉をはっきりとさせて、そう聞いた。
彼女は答えない。またさっきのように、微笑むばかりだ。
少しだけ、静寂が流れる。
数秒。
「ふぅ……」
彼女はため息をついた。どこか疲れたような、呆れたような、そんなニュアンスを含んだため息を。
「……黒髪黒瞳というのは、とても綺麗ですよね」
ゆっくりと、彼女はそう言った。その目は、俺ではなく、どこか遠くを見ているような気がした。
何の話をしているんだ? そう思っている間も、彼女は言葉を続ける。
「濡れガラスのような漆黒の髪に、宇宙を想わせる暗黒の瞳、それはまさに、神と呼ばれるにふさわしい」
そう言うと、彼女は音を一切立てず、ベッドから立った。俺を、見つめながら。
彼女の顔は、微笑んだままだった。べったりと、張り付けられたみたいに、そのままだった。
「そう、それは神になるものだけに与えられる、絶対の
ぞくりと、悪寒が走った。前にも感じた、恐ろしい感覚。
なんだ、一体? さっきから支離滅裂なことばかり、なんなんだ、コレは……。
「……言ったでしょう? 神はひとつだけでよい」
彼女はそう言って、俺を、指さして。
「貴方は、いらない」
瞬間。
強い、衝撃。
それが、後頭部を襲った。
「ッ……!?」
衝撃に耐えきれず、俺はその場に倒れた。
何だ、何をされた? 誰だ!?
「ぐ……クソ……!」
意識がもうろうとする。視界がぶれる。
クソ、マズイ。
「悪いな、ニードル・ノット」
聞き覚えのある声が、揺らぐ視界の中で聞こえた。
この声、忘れもしない。
けど、なんで、ここに?
「お手数かけしました、支配人さん」
彼女が、突然現れた支配人のオッサンに、そう言っているのが見えた。
ダメだ、状況の理解が追い付かない。
なんであのオッサンがここにいる?
何故俺は今殴られた?
何だ? 何が起こってる?
「……それでは、後は頼みますね」
「ええ、もちろん、後処理まで、全てこちらにお任せください、マダム」
彼女はオッサンとそんなやり取りをした後、出口の方へ向かっていった。
……こんなにご丁寧に状況が揃っているんだ、もう否が応でもわかる。
クソッタレ、何のことはない、嵌められたのだ。
「さようなら、偽物さん」
彼女はドアの前で振りむいて、倒れてる俺を見下ろした。
酷く、冷たい目だった。
「神は、『彼』だけでいい」
そう言って彼女は、部屋をあとにした。残ったのは、俺と、俺を殴った支配人のオッサンだけ。
「……さて」
オッサンはそれだけ言うと、俺の上に馬乗りになった。そして、俺の首に手をかける。
ここまでされて、今から何をされるか、察さざるを得なかった。
ああ、ダメだ、死ぬ。このままじゃ、絶対マズイ。
「ッ……やめ……!」
「ほう、まだ喋れるだけの元気があるのか」
彼はそう言うと、思い切り、拳を振り上げた。
「黙れ」
その言葉と共に、思い切り顔面を殴られた。
「うグッ……!」
「できればもう少し稼がせてからでも良かったが……もうそれもどうでもいいか」
「……どうして、こんな――」
「黙れと言った」
再度、顔面に拳を入れられる。
さらに一発。
もう一発。
また一発。
「ッ……!」
「まったくぼろいな。こんなゴミ一人殺せば、俺もセレブの仲間入りってわけだ」
薄れゆく意識の中で、オッサンがそんなことを、嬉しそうに言っているのが聞こえた。
(ああ、そういうことか……)
ここで一つ、さっきまでの疑問のひとつが、解消できた。
あの女性の目的。10万ラルで俺を買った目的。
俺を攫うことじゃない。
俺を、殺すことだったんだ。
……けれど、なんでだ?
俺を殺すってところまではいい。けれど、それで誰が、どんな得をするって言うんだ?
(……ああ、クソッタレ)
もう、それを考える時間も残されてない。今度こそ、万事休すというやつだ。
「……さあ、後がつっかえているんだ、もう終わらせよう」
オッサンはそう言って、もはや言葉を発する気力もない俺の、その首を、強く掴んだ。
「アッ…………」
「じゃあな、ニードル・ノット。死体は養豚場にでも捨ててやる。いいだろう?」
首を絞める力が強くなる。視界が段々、暗くなっていく。
ああ、チクショウ……もう、ダメなのか? ここまでなのか?
……イト。
ごめんな。
「楽しそうなことしてんな」
そんな声が、入り口から聞こえた。
「ッ!?」
瞬間、オッサンの首を絞める力が、少し緩んだ。見ると、彼は自身の後ろ、出口の方に顔を向けていた。
その場所を、俺も見た。
「私たちも混ぜてくれよ? な?」
イトたちが、そこに立っていた。
全員が、酷く殺気立った状態で。
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