36.Rust
「……おい、なんなんだあのバカは、ふざけてんのか?」
リネンはステージの方を見るなり、口に拭くんだジンジャーエールを吹きだして、そう言った。
「それだったら私も怒りようがあるんだけどな……」
その言葉に、私はそう答えるしかなかった。
だってそうだろう? 何故かステージの上に、ハリが立ってるんだから。それも、いやにめかし込んだ、女受けがよろしいような、スリムな黒スーツなんて格好で。
人違い? 顔は金髪碧眼に変装してるとは言え、アイツの顔を見間違えるはずもない。
全くもって、こんな状況、ふざけてる以外になんだと言うんだ。私だってそう思う。
「……え、ハリく……え!?」
「……なんでぇ?」
いくら何でもこの事態は予測してなかったのだろう。ルーラはもちろん、さっきまでコールボーイ共と愉快に話していたラミーでさえ、ステージで司会者に紹介されているハリを見て、困惑の色を強くしていた。
私が比較的冷静にいられるのは、きっとハリのことをよく知っているから。……いや、うすうす気づいていたからだ。
あいつの、どうしようもないほどの巻き込まれ体質を。
「おやおやおやおや……なあ彼、あんなに目立ちたがりだったかい? 確かにショー受けは大変良さそうだがね」
こんな中でもベルはまだ呑気に酔っぱらっているようで、空のシャンパングラスを片手に、私に聞いて来た。
「大外れだよこのクソバカ。どうせまた、なんかの因縁付けられたに決まってる」
「まあ、それもそうか」
しかし、ほんの数十分離れただけでこうなるとは、ハリはトラブルを呼び寄せるフェロモンでもあるのか?
今度からは、絶対はぐれないように、手を繋ぎでもした方が良いだろう。そう考えた。
…………できれば、の話ではあるが。
「どうしたね、顔が少し赤いぞ?」
「な、なんでもねえよ! うるせえ!」
「まあ落ち着きたまえよ……それにしても、あれがハリくんとなると、これは本格的に頑張らねばなるまい」
ベルはそう言いながら、シャンパングラスをテーブルに置く。その顔はいつものにやけ面ではあったが、なぜか、いつもよりも真剣さが増している印象だった。
「え、ど、どういうこと?」
「あれぇ? ルーラちゃんたち、知らないで今日は来たの?」
ルーラの問いに、隣に座っていたコールボーイが得意げな顔でそう言った。
「な、何が……?」
顔をずいと近づけられたからか、ルーラは僅かに、困ったように眉をひそませながら、しかしコールボーイにそう聞き返す。
「今回の目玉さ。ニードル・ノットのダンスショー」
「それは聞いたよ、そうじゃなく……」
「まあ最後まで聞いてよ。問題はショーの後」
コールボーイのその言葉に、ルーラは――ついでに聞いていたリネンとラミーも――みんな一様に首を傾げた。それをひとしきり確認して、彼は続けた。
「ワンナイト・オークションがある。ダンスショーの後にね」
「なに、それ?」
「一番高い額を払った淑女が、彼と一晩をともにできるってこと」
「……は?」
「「はぁ!?」」
ルーラの声で、私とリネンの声で掻き消された。
一晩をともに? それってつまり……あれか? その……。
「つまりセッ――」
「わざわざ言い換えるな!」
ラミーが意気揚々と口に出しかけた言葉を、リネンが無理矢理制止した。でも確かに、ラミーの言おうとしたことは、きっと間違えてるものでもないだろう。
「な? 『頑張らなきゃ』だろう?」
ベルはそう言って、私を見る。ようやく、コイツが何を言いたいのかがわかった。
溜息が出るくらい間抜けな話だ。だが、ハリがああなっている以上、私たちは間抜けな話に、乗らなくちゃいけないわけだ。
「……お前たちさ、手持ちは?」
私はルーラたちの方を向いて、こめかみを抑えながら、そう聞いた。
アイツはもう、今後一切目を離さないようにしよう。そう心に誓いながら。
◇
銀幕の先にあったものは、大量の舐めまわすような視線と、『脱げ』だの『ヤらせろ』だの直球なヤジだった。ここがセレブの住む街だっていうのを忘れてしまいそうだ。
はっきり言って、今すぐにでも逃げ出したい。そもそもこんなことをする義理もないのだし、あの奥に見える扉を開ければ、全部なかったことになって、イトたちと合流してハッピーエンド。
そんなことは当然できないから、俺は今ここにいるわけだ。
「いッ……!」
先程切られた首元の傷が、またヒリヒリと痛みだす。
今逃げ出すことはできない。このクラブの支配人らしい、三点スーツのオッサンが目を光らせているからだ。
出口は当然、果ては排気口やらなんやら、外に繋がる穴全部に人を配置させ、更にあのオッサン自身が、店の片隅で俺に目を見張らせているときたものだ。
あのオッサン、人の顔もわからないくらい間抜けなくせに、手は抜かない性分らしい。
結局、俺に今できることは、このステージで踊るしかないということだ。
「さて、それでは皆様、お待たせいたしました」
俺の横で長々とニードル・ノットのことを紹介していた司会者が、ついにそんなことを言ってきた。
つまり、いい加減始まるということだ。
「ニードル・ノットのダンスナイト、スタートです!」
そういって司会がステージから降りる。
その瞬間、ステージの照明が派手に光り出し、重低音を利かせた、アラビア音階のいかにもな音楽が流れ始めた。
腹をくくるしかないだろう。
俺は流れる音楽に合わせて、身体を動かした。
観客は、どこか面白半分な、からかうような視線で、俺の踊りを見ている。
わかっている。俺の踊りは、稚拙とすら言えない代物だ。
即興で完璧なダンスができるんなら、俺は人生に絶望しないで、ムーランルージュを夢見るティーンエイジャーにでも成れてたろうさ。
彼女らも、決してダンスなんか見たいわけじゃない。もしそんなものを本気で見たい奴がいるなら、そいつはこんな場所よりもカーネギーホールみたいな場所に行けば済む。
彼女らの視線は、もっとわかりやすいものを求めている。
それを感じたから、俺はネクタイを緩めて、ワイシャツを少しだけ乱雑に開けた。
生唾を飲み込む音が、どこかから聞こえた気がした。
それは暗に『もっと脱げ』という意思表示だ。
こういう場所に来る人達は、少なくともバレエの審査員みたいに踊りのクオリティなんか見ちゃいない。
求めるものはよりシンプルだ。
どれだけエロいか。単純だけど、重要なことだ。
望んだわけではないが、それに関しては、日本にいたときの経験で心得ていた。
音楽がより盛り上がる、いわゆるサビと呼ばれる部分に入った。
俺は見せびらかすように、ジャケットを脱いで、スラックスのベルトを外した。
「ワオッ」「ヒューッ!」
瞬間、ある種掛け声のようなものが、そこかしこから聞こえた。こうして聞く限り、今のところは好印象のようだ。
心の中だけで、安堵の息を漏らす。ここで変なへまをすれば、あのオッサンに今度こそ首を掻っ捌かれかねない。何とかこのまま、無事に終わればいいが。
「……」
(……ン?)
ふと、踊っている最中に、バーカウンターの隅の席に座っている客と目が合った。暗くてよくはわからないが、柔和な雰囲気の、妙齢の女性だ。長い髪をしているように見える。
誰だ? 他の客と何だか雰囲気が違う。妙に気になった。が、それを考えている余裕は無い。兎にも角にも、今はこのステージを終わらせなければ。
「……ふふ」
そんな声が聞こえた。瞬間、謎の悪寒が走った。
なぜだろうか、こんなにうるさい場所なのに、こんなに大音量で音楽とヤジが鳴り響いてるのに。あんなに遠いのに。
そのこぼれるような小さな笑い声が、はっきりと俺の耳に届いた。
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