35.SaturdayNight

 俺の人生は、基本的に『順風満帆』なんて言葉とは無縁のものだ。

 金はない、仕事もない、家族には腫れもの扱い等々……。

 それに加え、ここ最近は異世界転移で死にかけてばっかりだったわけで、そろそろ身に起きた危険を書き綴れば、本が1冊できるんじゃないかという気にもなってくる。

 そして、非常に不本意極まりないのが、今夜また、その本に1ページ追加されるかもしれないということだ。


「よく逃げ出さなかったもんだな、え? ニードル・ノット?」


 俺を『ニードル・ノット』なる人物と勘違いしているらしい、目の前にいる、何やら高そうな3点スーツを着たオッサンが、俺にそう言ってきた。

 ここはホストクラブの楽屋か何かだろうか? 化粧品が乱雑に散らかっていて、それを使っているのであろう派手な格好の男衆が、こぞって俺を見て……というより、睨み付けていた。

 そしてダメ押しとばかりに、スーツ姿の中年くらいの男――おそらくここの店主か何かか――が俺を今にも殺しに来そうな目をして、俺を見下ろしている。

 ……まあ、もう少し今の状況をわかりやすく、端的に説明しよう。


 俺は椅子に括り付けられて、目の前の男にナイフを突きつけられちゃっているわけだ。とっても怖い。


 ……俺はあと何回、面倒ごとに巻き込まれればいいんだろうか? そんなことを考えて、俺は思わず、ため息を吐いてしまった。


「……ずいぶんと余裕だな? 目の前のことに集中できないタチか?」


 どうやらそれがお気に召さなかったようで、オッサンは持っているナイフを、俺の首に押し込んできた。

 余裕なんてもちろん、あるはずもない。これ以上刺激するのは得策ではないだろう。俺はどうにか言葉を選んで、この状況を抜けるためのコミュニケーションを試みることにした。


「いや、その……何度も言うようですけど、俺はその『ニードル・ノット』じゃない、勘違いだ。別人だよ」


「お喋りが好きみたいだな、おい」


 あぁ、なるほど、だめそうだ。流石に今の言い方は自分で言っててどうかと思ったものな。全く聞く耳を持ってくれない。


「事務所の金を盗んだ時点で馬鹿だとはわかっていたが、そんな言い訳が通用すると信じているのか。もはや哀れに思えてきたよ」


「待ってくれ、そんな――」


「黙れ」


 男はさらに、俺の首に刃を押し込んだ。少し切れたのだろう。首元に熱い感覚が走る。


「……ッ」


「金髪碧眼の顔だけ野郎。そんな奴がこんな狭い街に何人もいると思ってんのか?」


 ……今の話を総括すると、どうやら、『ニードル・ノット』なる人物は俺と容姿が似ていて、そんでもって金を盗んでトンズラこいたらしい。おかげで俺は今こうやって、人の顔もロクに覚えられない間抜けなオッサンに捕まって、窮地に立たされているというわけだ。

 全く持って、冗談じゃない。


「今ここで、お前を半殺しにして、取った金の場所を吐かせてやってもいい」


 ナイフの刃が更に立てられる。首の鋭い痛みが、更に強くなっていった。

 このまま、彼がナイフを数センチ横にスライドさせれば、俺の喉はパックリと裂かれるだろう。

 迫りくる『死』が、明確なリアルとして俺の前に立ちはだかる。

 緊張と恐怖で声も出せないまま、俺は目の前の男の、その無機質な眼を見ることしかできなかった。

 死は、目の前に。


「……だが、今じゃない」


 そう言うと、男はナイフの刃を俺の首から離した。


「ッ……ハア、ハア」


「今夜は大事なショーがある。話はその後だ」


 男はそう言って踵を返して、楽屋の出口へと歩いていく。


「おい、このバカにメイクをしておいてやれ」


 周りの若い男たちにそれだけ指示を出して、えらそうな革靴の音を響かせながら、楽屋を出て行った。やはり逃げることも、弁明も、どちらも叶わないらしい。

 ……ああ、神様。

 一体俺が、何をしたというんだ。




 ◇




「ねえ、お姉さんはどっから来たの?」


 私の隣に座った男が、マルチーズみたいな人懐っこさを見せながら、そう聞いて来た。


「……スティル・ヨーク」


「へえ、凄いじゃない! じゃあ、都会の人だね」


「……別に」


「いいなあ、やっぱり都会には、お姉さんみたいに綺麗な人、たくさんいるんだね!」


「……ハハハ」


 ……きつい。男と話すのが、実にきつい。

 まずどう接すればいいのかわからない。男とこんなふうに話したことなんか全然ないし、何を話したいかもパッと思い浮かばない。むしろ、下手なことを言って引かれたらどうしようとか、マイナスなことばかり考えて、結果コンピュータみたいに聞かれたことにただ答えることしかできなくなってしまっている。

 耐え切れなくなって、思わずルーラたちの方を見た。


「いや、マジで可愛いよその服、ルーラちゃんセンスあるねぇ」


「えー本当? ありがとー!」


「ねえラミーさん、今晩マジで買ってくれません? サービスしますから!」


「えぇ、どうしよっかなぁ?」


 どうやら私以外はしっかり男とお喋りができているようだ。ラミーやベルはもとより、ルーラもさっきまで油がさされてないみたいにガチガチだったくせに、もう普通に話してやがる。


「……」


 ……私以外は、というのは少々語弊があった。よく見ると、リネンは私と同じように、仏頂面でジンジャーエールをチビチビと飲んでいた。

 普段の不遜さはどこへやら。今のアイツは借りてきた猫より大人しい。


「やあやあ、イト。楽しんでいるかね?」


 そんなふうにしていると、ベルが私にそう言ってきた。随分酔っぱらっているらしい。彼女の目の前に、シャンパンの空瓶が2、3本あるのが見えた。


「へえ、これが楽しそうに見えるか? 一回眼科か精神科に行った方がいいぜ」


「憎まれ口にいつものキレがないねぇ、まさか君がここまで初心だったとは」


 マジで一回シメてやろうか。ケラケラと笑う彼女を見て、私はそんなことを考えていた。


「……と、そろそろのようだぞ」


 すると、ベルは店の奥にある、装飾がたくさんついたステージ――これがまた白々しい派手さだ――を見ながら、呟いた。

 次の瞬間、店中が暗くなった。停電というわけではなく、演出だということがわかるような照明の消え方だった。


「な、なになに?」


「お! 始まる始まる!」


 驚いたルーラをしり目に、ラミーが待ってましたと言わんばかりに、ステージの方に顔を向けた。ちなみにリネンは我関せずとばかりにジンジャーエールを飲み続けていた。


「フフン、イト、これなら少しは楽しめるんじゃないか?」


 落ちた照明、店の静かさと、それに相反するような客のざわめき、テンションの高いラミーとベル。

 全員の目線は、いつの間にやら、スポットライトがあてられたステージへ。


 『ニードル・ノット』のショーが、これから始まろうとしていた。


 壇上に、マイクを持った司会らしき男が一人、スポットライトの中に入って行った。

 彼はマイクを顔に持ってきて、こう言った。


「淑女の皆さま。今夜は、この素晴らしいショーをどうぞお楽しみください」


 拍手の音が、店中に響き渡った。




 ◇




「さあ、今夜の夜を彩るのは、その悩ましい身体で全てを魅了するこの男――」


 垂れ幕の向こう、ステージの裏側で、俺は司会の慣れたような口上を聞いていた。

 これから、ショーが始まるのだという。

 本来は『ニードル・ノット』とかいう金を持ち逃げした男が行うはずだった、大人気らしいストリップ・ショー。

 何の因果か、俺はそれをやらなくちゃいけないのだ。見てくれが似ているらしいからという、最近じゃハリウッドだって買わないような間抜け極まる理由で。

 何度だっていうよ神様。俺が何したって言うんだ。


「怖いのか、今更?」


 すぐ近くから、そんな声が聞こえた。俺の衣装の最終調整をしている、コールボーイのものだ。


「下手なことは考えない方がいいぜ?」


「下手なことって?」


 緊張しているのか、もはや捨て鉢になってしまったのか、俺は思わず、そんなことを聞いてみた。


「ショーの最中に逃げ出す、とかさ。できっこないんだから」


「試した奴がいるのか?」


「何人もな」


 事も無げに、そのコールボーイは言った。そこにはどこか、諦観の念が込められている気がした。


「……みんな、訳ありでここに来るような奴ばっかりさ。金がない奴、親に売られた奴――」


「店の金をかっぱらったやつ?」


「ハハハ、そうそう」


 彼は乾いた笑いをしながら、俺の靴の位置を弄っていた。


「お前も、バカなことをしたもんだな。よりにもよって、うちの店から金を盗むなんてな」


「だから、人違いだっつの」


「どうにしろ、うちの支配人に目を付けられたら、おしまいさ」


 支配人……さっき俺にナイフを突き立ててくれた、3点スーツのオッサンのことだろう。


「そんなにヤバい奴なのか? あのオッサン」


「ああ、なんせ、ここらで一番デカいマフィアがバックにいるらしいからな、誰も逆らえねえよ」


「そりゃあ、おっかない」


 マフィアがバックか……マズいのに因縁付けられたかもしれない。これ以上モンタナ・ファミリーにもエレーミアにも、迷惑かけられないというのに。


「おっと、そろそろだぞ」


 コールボーイのその言葉通り、いつの間にか司会の口上は終わっていて、その穴を埋めるように、ブラスバンドが陽気な音楽を演奏していた。

 それはつまり、『ニードル・ノット』の出番が近づいていることを示していた。


「しっかりな、金のある女に買ってもらえれば、支配人も少し融通利かせてくれるかもだし」


 衣装の気付けをしてくれたコールボーイは、俺にそう激励してくれた。

 買ってもらう、か……。

 アピールして、媚びて、腰を振って、誰かに買ってもらう。


「ここにきても、やることは変わんねえんだな……」


 俺は思わず、そんなことを呟いた。


「何か言ったか?」


「別に、じゃあ、行ってくるよ」


「ああ」


 そのやり取りを最後に、コールボーイは楽屋へと戻って行った。

 直後、ステージの垂れ幕が上がって、まばゆい光が、ステージに入り始める。


「……やることは、変わらない、か」


 どこに行っても、たとえ異世界にまで行ったって、何か突然できるようにはなったりしない。

 夢も希望もない話だが、世の中には、噛まれるだけでスーパーヒーローになれるクモなんていないし、ある日突然超能力に目覚めたりもしない。

 なんとかかんとか、ただでさえ少ない手札で、必死にやりくりするしかないのだ。


「……やれることは、やんなきゃだよなぁ」


 溜息を吐きながら、そう呟く。ひょっとしたら、ここで目立てばイトたちが見つけてくれるかもしれない。そんな願望にも近い、藁の中の針を見つけるみたいな可能性に縋って踊ることしか、今の俺にはできないのだ。



 拍手喝采の音が聞こえる。それがBGM。


 黒いスリムなスーツを着て、俺は観客の前に立った。

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