34.Call
「クッソ……! どこほっつき歩いてんだあいつは……」
神様も卒倒するような、ケバケバしい夜の街。売春街のど真ん中で、私は思わず呟いてしまった。すれ違った幾人が腫れ物に触るような顔をしていたのを見るに、今の私の顔は、おおよそフレンドリーなものではないのだろう。
それもこれも、全部ハリのせいだ。あんなに離れるなって言ったのに……。
「んーまあ、大丈夫っしょ?」
横にいたラミーが、そんなことを言ってきた。
『目に良い衣装』の男たちに中てられたのか、顔がだいぶ緩んでいる。
「お前なあ、ハリが一体今まで何回連れ去られたと思ってんだ。んな呑気言ってられるかよ」
「でも、今回は変装してるわけじゃん? それに場所が場所なんだし、男の子一人歩いてても、特に不自然なことはないんじゃなぁい?」
「そうかもしれないけどよぉ……」
確かに、今のハリは金髪碧眼に変装してる。加えて場所が場所だし、男が一人で歩いてても、特段怪しまれることも無いだろう。
ラミーが呑気にそう言うのもわかる。
わかるが……。
「イト」
考えてる途中で、そんな声が後ろから聞こえた。ルーラの声だ。
振り返ってみると、ルーラとリネンが人波をかき分けて、こちらに向かっているのが見えた。
彼女らは、ハリを探すために街の入り口まで戻ってもらっていたのだが、どうやら戻ってきたのが二人だけなのを見るに、あまりいい結果ではなかったみたいだ。
「どうだった?」
念のため、私はそう聞いた。
「ダメだった、入り口にもいない。どこ行ったんだろ……」
案の定、返ってきた言葉は予想を裏切らないものだった。
想定通りの答えにも関わらず、私はそれを聞いて、余計宙ぶらりんになったような、言いようのない不安に駆られる。
チクショウ、ハリ。あの野郎、私を心配させる趣味でもあんのか?
「……そんなに心配か? あの男が」
「当たり前だろ」
リネンの問いに、私はただそれだけ答えた。
が、それが何か気に障ったのか、奴はふん、と鼻息を吐いて、口を開いた。
「いくら男とはいえ、あいつだって赤ん坊じゃないんだ。少なくともチョコベーグルを買って、つまみ食いしないで真っ直ぐ家に帰るくらいの能はある。違うか?」
「あぁその通りだろうさ、帰る途中に『懐を膨らませたやつ』に会わなきゃな」
「……イト、お前が思うほど、黒髪黒瞳は守られてばっかりのやつじゃない。男にしちゃ、なかなか肝が据わってる方だ」
リネンはそう言って、どこか呆れたような、嘲笑うようなそんな顔をして、再び鼻息を短く鳴らす。
何故かはわからないが、奴の言葉がいつも以上に癪に障った気がした。
そのせいか、思わずムキになって、口を開いてしまう。
「んなこた、お前に言われるまでもなく知ってんだよ。確かにアイツには硬えダイヤのハートが宿ってるさ。でもな、それで済む話じゃねえ。護身がなきゃ、結局は話になんねえ」
「……もっともらしいこと言ってるが、要はお前、アイツを信じられないだけなんじゃないのか?」
「なん……!?」
どこか嘲笑するようなリネンの言葉を聞いて、私は何故か言葉が詰まってしまう。
『そんなことない、私はハリを信じてる』。それは紛れもない本心のはずで、たったそれを言えばいいはずだ。
なのに、たったそれだけのはずなのに、私はその言葉を、口に出来なかった。
「そんな、こと……」
「……まあ、別に何でもいいけどな」
リネンはにべもなく言いながら、話は終わったとばかりに、私を横切る形で歩き始める。
私は何故か固まってしまって、横切る奴を目で追うことも出来なかった。
「どこ行くのさ?」
ラミーの問いに、リネンは短く答えた。
「もう一度通りを一周してくる。案外、入れ違いで入り口に行ってるかもしれん」
リネンはそう言ったが、ラミーはそれに返事をせず、少し考えるそぶりをした。
「……なんだよ、文句あるのか?」
リネンはそれを訝しんだのか、少し不機嫌になってそう聞く。
ラミーは、少しもったい付けたように口を開いた。
「うーん……もっとさぁ、別のアプローチを試してみてもいいんじゃない?」
「別のアプローチ?」
リネンが小首を傾げながら言うと、ラミーはからかうようなにやけ面で、目の前にある建物を指さした。
「お前……」
意図を察したのだろう、リネンはラミーを見て、実に呆れたような顔をしながらそう言った。
大変に不本意なことだが、私も同じ気持ちだった。
「……マジ?」
ルーラに関しては、妙にテンションが上がっていたが。
「街のことは街のやつに、男のことは男に。でしょ」
……いやになるほどアホらしい理屈だ。アホらしい理屈だが、現状このまま何の手掛かりもなく、街をさまよい続けるよりは、まあマシな案だろう。
リネンも私と同じような、辟易とした表情だった。
私たちは二人同時に、ため息を吐いて、『プレイ・ボーイ』と書かれた看板を携える、その厚化粧な建物に入ることを決意した。
――『プレイ・ボーイ』は、一言で言うとデカい『ホスト・ストリップクラブ』だった。
店に入ってすぐに見た限りでは、薄暗い中に、派手なネオンが輝いている、過剰な広さとゴージャスさを持った広間の中で、大勢の男たちが目まぐるしく動いていた。上半身が裸で、下にジーンズだけを履いたコールボーイたちがポールダンスをしたり、客の女たちに接待をしているのだ。
それは初めて見るような光景で、酷く非現実的だった。
「すっご……」
ルーラがそんな声を出した。見ると、声に出さない――いや、出せないのか?―ーものの、リネンも同じような、絶句と言った表情をしていた。
無理もないだろう。私達みたいなストリート・チルドレンは、生まれてこの方映画館だってロクに入れることもないんだ。
『実はここにあるものは全部夢で、本当のあなたは川を飛んでる蝶なんですよ』なんて戯言すら信じてしまいそうな、そんな、夢のような場所だ。
「いらっしゃいませ、4名様ですか?」
すると、不意にそんな声が聞こえた。声のした方を見ると、どうやら従業員らしいコールボーイが、私のそばに立っていた。
「ご予約はされておりますか?」
「え、あ、いや、悪い。客じゃないんだ、人を探してて――」
「ちょっとくらい良いだろう、減るもんじゃなし!」
突然、そんな声が店の奥から聞こえてきた。
聞き覚えのある、けれどあんまり聞きたくない声だった。
よせばいいのに、私はその声がした方向を見てしまった。
そこには、へべれけになったベルが、数人の男を侍らせている姿があった。
「なあ、いいだろう? 私はそのジッパーの先の地平線に興味が尽きないんだ」
「えぇ、見せてもいいけどさぁ、お姉さん。だったら僕、もうちょっと高いお酒飲みたいなぁ」
「なんだい我がままだなあ! いいともいいとも! 金はたくさんあるんだ! ありったけのシャンパン持ってきたまえ!」
コール・ボーイの猫なで声に言われるがまま、ベルはウェイターに陽気な声で高い酒を注文していた。
『こうはなりたくないな』と思えるような大人の姿を、私たちはまざまざと見せつけられた。
「……ねえ、イト」
「黙ってくれルーラ、何も言うな」
私は頭を抱えて、どうしたらいいものかと考える。
……うん、よし、他人のふりをしよう。ハリは別の店で探すとして、私たちはこの店で何も見なかったことにしよう。
それでこの世は天下泰平、みんなハッピー、よし。
「あれぇ? そこにいるのはイトたちではないかね? おぉい!」
やっぱりアイツは一回張り倒した方が良いな。
そんな考えも虚しく、ベルはこちらに向けて、実に陽気に手をブンブンと振っていた。やめろ恥ずかしい。
「お、お連れ様でしたか、失礼いたしました。それでは、お楽しみください」
さっきまで応対していたコール・ボーイは苦笑いをして、私たちをベルがいる席へと促した。
渋々その席に近づく――ラミーとルーラは結構乗り気だったことをここに記しておく―ーと、顔を真っ赤にしたベルが、アルコールの匂いを充満させて、私に隣に座るよう指で指示した。
確かにここで立ちっぱなしというのも何なので、私たちはそれぞれ適当な場所に座った。
「いやあ、何だい、イト! いつも仏頂面してる割に、やっぱり興味津々じゃないか!」
「うるせえ黙れ殺すぞ」
ウザイ。普段ですらウザいのに、今のベルはそれに加えて、酔っ払い特有のウザさも併せ持ってもはや最強だ。
我の道を阻むもの無しといった感じで、できればそのまま独走して遠くまで行って帰ってこないでほしい。割と本気でそう思った。
「まあまあイト、いーじゃん。せっかくだしご相伴にあずかろうよぉ」
ケラケラと言ったように、ラミーは笑いながらそう言った。
ちなみにラミー以外の二人は借りてきた猫のように大人しくなっており、小さくなって俯いていた。いきなり大勢の男に囲まれたものだから、どうしていいかわからないのだ。
まあ、それは私も似たようなものだけど。
「おや? そう言えばハリくんはどこだい?」
「迷子だよ、ベル。この店に来てなかったか?」
「いやぁ、見てないな。見たらすぐ気づくだろうし」
「その有様でよく言うぜ」
ウォッカと消毒液の区別すらつかなそうなほど泥酔しているというのに、その根拠のない自信は何なのだろうか?
とはいえ、言ってることは恐らく本当だろう。なんだかんだベルは勘が良いほうだ。いくら金髪碧眼に変装しているとは言え、ハリを見たらすぐ気づくはずだろう。
ということは、ここにはいないということだ。無駄骨だったらしい。
「わかった、じゃあ私は別の店を探してくる。飲み過ぎんなよ――」
そう言って席を立とうとすると、ベルに手を掴まれた。
「なんだよ、気色悪い」
「まあ待ちたまえ、せっかくなんだ、コール・ボーイたちにいろいろ聞いてみなさい。手がかりくらいは聞けるかもしれん」
「それにだ」ベルは不敵な笑みを浮かべて、続けた。
「面白いショーをこれからやるらしい。ちょっとくらい観ていってもいいんじゃないか?」
「ショー?」
「世界が誇る美貌、金髪碧眼の美男子『ニードル・ノット』のストリップ・ダンスさ」
「へえ」
正直、興味がない……わけでもないが、そんなものにかまけている暇もない。
こうしている間にも、ハリがどこぞをほっつき歩いてるんだ。もし私たちがいない状態で、アイツが黒髪黒瞳なんて知れたら、えらいことになる。
いくらアイツが今、金髪碧眼に変装してるからって……。
……金髪、碧眼?
「……なあ、ベル」
「なんだい、イト?」
「さっき言ってた『ニードル・ノット』の口上、もう一回言ってくれないか?」
「聞き逃したのかい? いいかい、世界が誇る美貌――」
私とは打って変わって、ベルの言葉を一言一句聞き逃さないように耳を傾ける。
聞こえてきた言葉は、思っていた通りのものだった。
「『金髪碧眼』の美男子、さ。それがどうかしたのかい?」
「…………いいや、別に」
ひどく嫌な予感がした。認めたくないが、往々にしてそういうものは当たるもんだ。
これはあくまで『予感』だし、ともすれば外れてる確率の方が高いレベルのものだ。
けれど、私は不安をぬぐえなかった。だってそうだろう。あいつは『そんな話あるか』を地で行く男なのだから。
今の私の頭には、たった一つ、この言葉。
お前はどれだけ面倒ごとに巻き込まれりゃ気が済むんだ、ハリ。
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