33.Boys
ウィンストン・ヒルズは、エルドラ合衆国の中でも特段に富裕層が多く住んでいる地域らしい。
資産家、映画スター、ヒットチャート常連のミュージシャン、そう言った成功者たちがこの場所にデカいプールや高級車を何台も詰めたガレージ付きの豪邸を建てているという具合らしく、エレーミア曰く、『合衆国の資本主義が成せた街』というわけだ。
まあそんな街なものだから、金と暇を持て余した住民というものが当然湧き出てくるわけだ。
売春街。
古い日本では花町なんて呼ばれ方もしていた。有体に言ってしまえば、風俗店が集中している場所だ。
とはいえ、この世界は男が総人口の1%しかいない世界。
俺が知っているような風俗とは、また勝手が違うだろうことは、すぐに想像できた。
――今は午後の5時くらいだろうか。暗くなり始めた街中では街灯がポツポツとついていて、空は青よりもオレンジが目立ってきていた。
そんな中、俺たちの目の前には、実に華やかな――ともすればケバケバしいとすら言える――派手なデザインの看板やネオンサインがちりばめられている店が、所狭しと並んでいる光景だった。
ここは売春街、だが、俺の知っているそれとは、やはり若干違っていた。
「悪趣味だな」
イトが街を一目見て、悪態をついていた。そっけない感じを出そうとしているが、どこかそわそわしたような、落ち着きがない様子だ。
そう、街の中には看板や壁の至る所にグラフィティが描かれているわけだが、おっそろしいことに、描かれているものの大半が『男の裸体』なのである。
セクシーなポーズ――ということにしておこう――をしているもの、きわどい服装をしているもの、股間を強調しているものなど、どれもこれも、眉目秀麗な男が、女性の性欲を刺激しようと躍起になっている構図ばかりだ。
「うはぁ、すっごい……」
俺の横にいるルーラが、そんな声を漏らしていた。彼女を見てみると、感嘆としながらも、どこか気後れしてしまっているような、そんな表情だった。
「何をビビってるんだ、まったく」
それを聞いていたらしいのか、リネンはそう言った。彼女を見てみる。
「たた、たかだか男の横腹や腹筋程度でななな何を驚いてるんだ、は、ははは恥ずかしい奴め……」
彼女はどうやら恥ずかしい奴になっていた。その目はしっかり見開かれており、男娼のグラフィティを見て、気恥ずかしそうに目を逸らし、また別のモノを見て……という動作を忙しなく行っていた。
どうやら彼女もこういう場所には特に慣れていないらしい。言うと怒るだろうから決して言わないが。
「なぁにみんなしてつっ立ってんのさぁ? はやく行こぉ!」
この場で唯一、ラミーだけは高めのテンションでいた。
結構浮かれているらしい。売春街の入り口で、実に楽しそうに手をブンブンと振っている。
「何だってあいつはあんなに自然体なんだよ……アイツもその……『まだ』のはずだろ?」
イトが半ば愚痴のようにそう言うと、リネンはため息をして、それに答える。
「こっちが聞きたいね、そんなもの。アイツがアガったとこなんて、私だって一度も見たことないんだ」
「へえ、まあらしいっちゃらしいか」
俺は思わずそんなことを口に出すと、リネンはこちらを見て、どこか可笑しそうに口角を上げた。それはまさに、吹きださないように耐えていますと言わんばかりの表情だ。
「フフン……お前は全然らしくないな、その『髪』と『瞳』」
「わかってるよ、うるせえな……」
そう、リネンの言う通り俺は今、金髪のウィッグと碧眼のカラーコンタクトを付けていた。眉とまつげもウィッグの色に合わせて、マスカラで簡単にだが染めた。一晩だけだが、これならよっぽどのことがない限りはバレないはずだ。
リネンに教えてもらった話だが、ウィンストン・ヒルズは合衆国の他の地域に比べると、男性が街を歩きやすい街だ――無論、それでも夜道に一人で歩けば、襲って下さいというようなものらしいが―ー特にこの場所は、男性が多くいる売春街ということで、男が一人ぶらぶらと歩いていたところで、妙に思うやつはいないということらしい。
とはいえ、それでも『黒髪黒瞳』となると話は違ってくる。流石に世界に10人もいないような奴をほっつき歩かせるのはバカもいいとこだというのは、外出許可を出した時のエレーミアの言だ。
俺の世界で言うと、泥棒相手に『ここにクリスティーズやサザビーズでだってお目にかかれないようなお宝が、護衛も強化ガラスケースも無しに歩いてるよ! ほら、みんな!』なんて触れ回ってるのと同じというわけだ。恐ろしいことである。
……と、まあ長くなったが、要は無用な面倒を起こさないために、俺は金髪碧眼に変装しているというわけだ。
「だから何ぼうっとしてんだってば! ほら!」
「わ、わかった、引っ張るな!」
流石にラミーがしびれを切らしたのか、リネンの手を引っ張って、あれよあれよという間に、売春街の奥へと移動していった。
「……覚悟決めろよ、ルーラ」
「ぅわ、わかってるって……」
イトに言われて、ルーラは両手で頬をぺちぺちと叩いて、硬い動作で歩を進め始めた。
イトはイトでルーラに
「大丈夫かよ、イト?」
そう言うと、イトがこっちを振り向いた。やはり緊張しているらしい、顔が強張っている。
「あ、ああ……ていうか、お前はどうなんだよ? 平気なのか?」
「ああ、まあ……慣れてんだよ、こういう空気は」
「え?」
「言ってなかったっけ?」
イトはその問いに、ちょっとだけ食い気味に頷いた。彼女の眼は俺を見ていて、『詳細を聞かせろ』と無言で言っていた。
隠す理由もないので、俺はそれに答えることにした。
「日本にいたときにさ、他に金の稼ぎ方も知らなかったから、ちょくちょくやってたんだよ。意外と儲かるんだ、これが」
「……それってよぉ、その――」
イトは少し言いづらそうに言葉をどもらせる。
「やっぱりその、『跨ったり』とかは、シたわけ? 色んな奴にさ」
「……まあ、そりゃあ、そう言う仕事だしな」
「何人くらい?」
「いちいち数えちゃいねえよ……まあ、それなりに」
「……ふぅん」
イトはそれだけ言うと、踵を返して売春街の方へゆっくり歩き始めた。
不機嫌……というよりは、実に面白くないといった様子で、俺はまるで、そっぽを向かれたような気分になった。
「……何してんだよ、さっさと行くぞ」
「ああ、ああ、わかったよ」
……嫌だったのかなあ、やっぱ。
あからさまにへそを曲げたようなイトの声を聞きながら、俺はそんなことを思った。
――売春街の中身は、入り口以上に華やかで、またあからさまだった。
露出の多い格好をしたコールボーイが、タバコをふかしたおばさんを誘って、100ラル札を受け取って、そして店の中に入る。
日本にいた頃にも実によく見た光景で、それは俺にとってどこか、懐かしささえ感じる光景だった。
煙たい安タバコの香りと、客が味もわからないのに見栄だけで買った酒の味、へべれけどもの喧騒と、箸休めのように吹いてくる、涼しい風。
ふと空を見ると、ネオンサインに明るさを全部吸われたみたいに、真っ暗になっていた。
ここはもう、眠らぬ夜の王国だ。
……なんて雰囲気に酔いしれている内に、俺は迷子になっていた。
「ヤッベえ……」
どうやら街のアレコレに目移りしているうちにはぐれたらしく、周囲を見渡しても、イトたちの姿が見当たらなかった。
これはちょっとマズイのだ。
というのも、イトについ先ほど『離れるな』と口酸っぱく言われたばかりなのだ。いくらここが男が歩いても比較的大丈夫な場所で、俺が変装しているとしても、やはりそれで安全が保障されているわけでもない。
……と、言うことは思わないでもないが、俺が一番懸念しているのは、これでイトがまた不機嫌になってしまうことだ。
一度へそを曲げると、彼女はなかなか機嫌を直してくれないのだ。俺を心配してくれてのことだというのは十分わかっているが、それでも彼女はここ最近、どこか過保護気味な気がする。
兎にも角にも、イトたちを早急に見つけなければいけないだろう。
「どうしよっかなあ……」
と、そんなことを独り言ちたその時。
トントン。
そんな調子で、軽く肩を叩かれた。
イトか? そう思って振り向くと、違った。
そこには、俺より一回り年上くらいの茶髪のコールボーイが立っていた。しかも、何故か少し怒っているかのような表情で。
「おい、何こんなところで油売ってんだ!」
「はぁ?」
思わず素っ頓狂な声を出したが、それにも構わず、コールボーイは続けた。
「なんだよ、その態度。今日来る予定のヘルプだろ? 早く来い! 急げ!」
彼はそう言って、いきなり俺の腕を掴んで、どこかへ連れて行こうとしだした。
何やら誰かと勘違いしているらしく、俺は大慌てで腕を振り払うべく、身をよじる。
「いや、ちょっと! ちげえよ! 勘違いだ!」
「いいから来い! ショーまで時間が押してるんだ!」
が、思った以上に力が強く、また焦っているのか俺の話を聞いていないらしいのも相まって、俺はなすすべなくコールボーイに連行されてしまった。
ショーって何なんだ? この世界のショーってどんな感じだ?
バカか俺は、その前に考えるべきことがあるだろう。
ああ、そうだ。
ひょっとして、また面倒ごとに巻き込まれてるんじゃないか、これ?
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