30.Door
フランシスが、俺を見る。
その胸には、パラベラムで開けられた、俺が開けてしまった、黒い穴があった。
俺がやったことの報いが、まざまざとそこに在った。
「いや、フランシス……ッ」
エレーミアが震えた声でその名を呼んだ。
彼女はそれに答えない。
剣が床に落ちた。
音が、いやに響いて聞こえた。
「……パパ」
フランシスが、俺を見る。銃を構えた。自分を撃った張本人を。
彼女から見て、俺はきっと、酷い顔をしているだろう。怯えた顔をして、思わず引き金を撃つような、卑怯者の顔をしているに違いない。
だというのに。
そのはずなのに。
「ほら、やっぱり。私が言った通りだわ」
フランシスが、俺を見る。
笑って、俺を見た。
笑った口から、血が滴り落ちてゆく。
「嬉しい、ねえ」
やめてくれ、もう喋らないでくれ。
お願いだから、その先の言葉を、言わないでくれ。
「天国に連れてって、パパ」
彼女はそう言って、力なく、膝から崩れていった。
白いブラウスが、赤黒く染まり始める。
それは明確な、カウントダウンの始まりだった。
「フランシス!」
エレーミアが名前を呼んで、フランシスを抱きかかえる。
「待って、ダメ、フランシス! 大丈夫、まだ助かるから……すぐに治療すれば治るから、ね?」
彼女はそう呼びかけながら、フランシスの手を握って、その顔を見た。
眼に力がない。苦しそうに息を吐いているその姿を、ステンドグラスの前にさらけ出していた。
それは、ようやく待ち望んでいたものが来たかのような。
そんな表情だった。
「……お姉さま」
「フランシス! 待ってて、すぐにお医者様を呼んでくるから、だから――」
言い切る前に、フランシスはゆっくりと、エレーミアの口に指をあてた。
彼女は力なく微笑む。
「フランシス……?」
彼女は不安そうに自分を呼ぶ姉を見て、静かに言った。
「邪魔しないで……」
その言葉に、エレーミアは何も言えず、ただ目を見開いて、涙をこぼしながらフランシスを見るしかできなかった。
フランシスはこう、続けた。
「なんで、助からなきゃいけないの……? 助かって、生きて、それでどうするの……?」
彼女はゆっくりと、言葉をつづってゆく。
ブラウスが、みるみるうちに赤く染まる。
だというのにエレーミアは、彼女の言葉に耳を傾けることしかできない。
「私ね、わかってるの……普通の人達の中じゃ、私は多分生きていけないって。心がもう、手遅れだって……お姉さまも、きっと、あの日死なせておけばよかったって思える日が、きっと来るわ……そうでしょ?」
「何言ってるのよ、そんなこと……」
ない、と、そう言おうとしたのだろう。けれど、エレーミアは言葉にしなかった。言えなかった。
思い出したのだろう、きっと。自分がフランシスを捨てた過去を、思い出してしまった。
その過去が、彼女の言葉を遮ったのだ。
「……もう嫌だよ」フランシスは言った。
「もう、誰かに『いらない』って、捨てられて……そうまでして生きたって、何にもいいことないじゃない」
フランシスのその言葉に、エレーミアは最早、言い返す言葉もないというように口を噤んで、ただ、涙を流しながら、顔を伏せた。
「……ごめんなさい」
エレーミアは、静かに、しかしはっきりと、そう言った。
それは懺悔の言葉であり。
けれども、明確な諦念であった。
ここにきて彼女は、ついに、妹の望みを優先することにした。
フランシスの死を、受け入れ始めたのだ。
「……ハリ」
俺のそばに、イトが近づいてきている。彼女はどこか、悲しそうな目をしている。
「イト……」
「……自分を責めるな、ハリ」
俺の呼びかけに、彼女はそう答えた。きっと彼女は、俺の胸中に気づいているのだろう。
もしくは、表情に現れているのか。
彼女は続ける。
「
「……でも、俺が呼んだ時、彼女は止まった」
「大声に一瞬反応しただけだ。どっちみちあそこで撃たなかったら、レザボア・ハウンドは殺られていた」
「ハリ」彼女ははっきりと俺の名を呼んで、俺の眼を見る。
「お前は、人を殺したんじゃない。お前は解放したんだよ。一人の子供を、救ったんだ」
イトはまるで、子どもに言い聞かせでもするように、そう言った。
姉妹の方を見る。
エレーミアと、目が合った。
けれど、きっとさっきの話を聞いていたのだろう。彼女は目を腫らして、ただ黙って目を逸らした。
……彼女もきっと、もうどうしようもないと思っているのだ。
フランシス自身が、死を望んでいる。
だからきっと、もうそれを叶えたほうが良いのだと、そう考えているのだろう。
「……パパ」
フランシスが、俺の名を呼ぶ。その間にも彼女の胸から、血は流れ続けている。
一体あと、どれくらい持つのだろうか? きっと、長くはないだろう。
「フランシス……」
俺が呼ぶと、彼女は力なく、ニコリと微笑んだ。
「パパ、天国のお話をして。天国って、どんなところ?」
彼女は心の底から幸せそうに、そう聞いて来た。
……ああ、彼女はもう、救われたいんだ。
痛い思いも、苦しい思いも、彼女はもう十分すぎるほどしたじゃないか。
だからもう、楽にしてやるんだ。
もう、終わらせてやるんだ……。
「……フランシス」
……冗談じゃない。
そんなの、冗談じゃない。
「君は、絶対に天国になんか行けやしない」
――俺は淡々と、その言葉を放った。
きっと、裏切られたと思っただろう。
なんて自分勝手なことを言うんだと、そう思っただろう。
フランシスはまるで、言葉の意味がわからないというように、目を見開いた。
「……パパ、何言って――」
「イト」
その困惑した声にも構わず、俺はイトの方を見た。
「ベルさんを呼んできてくれ、どうせ来てるんだろ?」
「……正気か?」
「まだ間に合うんだ、頼む」
そう言うと、イトは少し呆れたようなため息をして、頭を無造作に掻いた。
「ハァ……ルーラと一緒に、民家の方を見てたはずだ。銃声でもうこっちに来てるだろう。呼んでくる」
それだけ言って、彼女は教会の出口へと向かっていった。
俺はそれを見送ることもせず、フランシスの方に向き直った。
見ると、エレーミアが呆然とした表情で、俺を見ていた。
何のつもりだと、そう言いたいのだろう。これ以上妹を苦しめるのか、と。
俺もその通りだと思う。
彼女は死んだ方が幸せなのだろう。
今綺麗に終わったほうが救われるのだろう。
でも、そんなの納得できるか。
俺が、まっぴら嫌なんだ。
「フランシス……」
俺は彼女の名を呼んだ。
すると彼女は、酷く哀しそうな表情をして、俺を見る。
「パパ……なんで? 私、ようやく、天国に行けそうなの。扉をノックできたの、なのに……」
「フランシス、ノックしただけじゃ、扉なんか誰も開けてくれやしないんだ」
彼女の言葉に被せて、俺は言葉を紡ぐ。
きっとちぐはぐなことを言っているだろう。上手く文章に出来ていないだろう。
けれど俺は、言わなきゃいけない。
「ノックして、オープン・セサミを唱えてるだけじゃ、天国の扉は開いちゃくれないんだよ」
彼女はきっと、俺なんだ。
あの日、イト達がドアを開けなかったら、俺は彼女になっていたんだ。
「……じゃあ、どうすればいいの?」
ひどく弱った言葉になって、彼女はそう聞いた。
「たくさん殺したわ。それで幸せになれるって、言われたから。たくさん痛い思いをしたわ、それで天国に行けるって、言われたから。これ以上、何をすればいいの?」
彼女の言葉に、俺はただ、こう答えた。
「生きるんだ」
「ッ……!」
「最後まで生きて、痛みも弱さも、全部背負った奴だけが、天国の扉をこじ開けられるんだ」
「……パパは、私を天国に連れてってくれないの?」
「連れてってやるさ、だから――」
俺はそう言って、不安そうな顔の彼女を見ながら、続けた。
「――死ぬな。俺の
俺は彼女を真っ直ぐ見て、その先を続けた。
「……まだ一緒に、生きていてくれ。このまま死んじゃったら、君を天国に連れていけなくなる」
彼女はもうきっと、自分で扉を開けられない。
真っ暗い部屋でうずくまって、ただその苦しみが終わるのを、じっと待ってることしかできないんだ。
――だったら俺が開ける。
フランシスが嫌がろうと、知ったこっちゃない。
これは俺のエゴだ。
あの日イトが、そうしてくれたように。
今度は俺が、扉をこじ開けるんだ。
「……勝手よ、パパ」
フランシスが、涙声でそう呟く。
その目には、涙が溜まっている。
「やっと諦められると思ったのに……終わらせられるって思ったのに、最後の最後で、そんなこと……ッ」
「ずるいよ」そう言った彼女の顔は、大粒の涙が溢れ出していた。
「ずるいよ、パパ……」
途端、フランシスは、子どもみたいに、堰を切ったように泣きじゃくった。
――それは、どこか枷が外れたように、見えてしまった。
今ここにいる彼女は、大量殺人鬼で、心が壊れて。
けれど、生きる執着が今更になって出てしまった、一人の普通の女の子だ。
「……フランシス、天国の話をしてやるよ」
俺はふと、思い出したことがあって、フランシスにその話をしようと思った。
遠くから足音が聞こえる。どうやらイトが、ベルさん達を連れてきてくれたみたいだ。多分、その安心感もあったと思う。
俺の言葉に、フランシスは、気力なく、けれど不思議そうな顔で、俺を見つめた。
それに、俺はただ答えた。
「天国では、みんな海の話をするんだ」
続きは病室で、フランシス。
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