29.Knock

 まるで宗教画のような、酷く美しい光景に見えた。

 今日は月光がひと際明るいからだろうか。

 青い光に包まれて立っている彼女が、俺には一瞬、天使に見えた。

 けれども、彼女は死者を迎える天使などではない。

 天使なぞが、こんな場所に好き好んでくるはずもない。

 彼女が構える白銀のリボルバーこそが、何よりの証左だろう。


「イト……」


 俺は彼女の名を呼んだ。

 宝石のような薄緑の瞳。彼女はその目を、寂しそうに細めて。


「……悪い、待たせた。ハリ」


 イトはそう言って、微笑んだ。

 なぜだろうか、一日も経ってないのに、ずいぶんと久しぶりに彼女に名前を呼ばれたような、そんな気がした。


「……何なの」


 後ろから、震えたような声が聞こえた。

 共に、金属が擦れるような、重く、けれど硬い音。

 振り返ると、フランシスが落ちた剣を拾って、イトを睨んでいた。


「なんで? なんで!? さっきから、みんなみんな、私とパパの邪魔ばっかり! みんな私のパパを横取りしようとする! いい加減にしてよ!」


 フランシスはその直剣を構えて、あらん限りの声で叫ぶ。

 声が震えていた。剣を掴んでないもう片方の手で、スカートを握りしめていた。

 それが何だか、とても傷ましく感じてしまった。


「……よく言うぜ、勝手に人様から盗ってったくせによ」


 イトはそう言いながら、ゆっくりと、俺たちに近づいてくる。


「ねえ、帰ってよ。私からパパを取らないで……」


「寂しいなら、私がピーカ・ブーでもしてやるよ。その後勝手に腹でも掻っ捌け」


「……そんな意地悪言うなら、もういい」


 それを最後に問答が終わる。イトの足は止まらない。

 それに呼応するように、フランシスは剣を水平に持ち直した。

 彼女の獣耳が鋭く立った。


「貴女なんか」


 剣の刃が、月光に照らされる。

 拳銃の銃身が、青白く輝く。

 互いが、互いの眼を見据える。




「地獄に堕ちればいいんだわ」



「ここが『そう』なんだよ、独りぼっちMiss Lonesome



 イトが、指をはじいて、『錠剤』を口の中に入れた。

 瞬間。


 閃光。

 轟音。


 フランシスが、一気にイトと距離を詰めた。

 それはリネンの時と同じ、見えない突進。


「ッ!?」


 流石のイトも面食らったらしい。ほぼゼロ距離に来たフランシスを見て、目を見開いていた。

 まずい、このままじゃ!


「さよなら、あとで銀貨をあげるわ」


 そう言ってフランシスは。

 剣を、振った。


「イトォ!」


 俺は彼女の名を叫んだ。

 けれど、その声は。



 激しい衝突音に、搔き消された。



 ……そう、『衝突音』にだ。


「なん……!?」


 フランシスが、そんなふうに、困惑した声をあげた。

 俺はもう一度、彼女らをよく見てみる。

 フランシスが振った剣、刃が到達したその先。



「……決め台詞はな、殺した後に言うもんだ」



 イトのリボルバー、そのトリガーガードが、フランシスの剣を受け止めていた。

 金属同士がきしむ音。

 銃口の先には、フランシスの額。

 イトは、引き金を引いた。


 コンマ数秒の間。

 乾いた発砲音。

 4回、4発。


「ッ!」


 その刹那の時間に、フランシスは後ろに飛びのく。

 4発の銃弾は、全て床を焦がした。


「ッ……! クソ、面倒くせえ……」


 イトはフランシスを睨んで、そんな悪態をついた。その声は明らかに、何かを耐えている声だ。

 見ると、彼女のだらんと垂れた腕から、ポタポタと黒い液体がこぼれてゆくのが見えた。


「イト、血が……!」


「わかってるッ……」


 チクショウ、やっぱり無事じゃ済まなかったんだ。しかもよりによって、あれは利き腕の方だ。

 彼女は顔をしかめて、負傷した腕を庇う。

 マズイ、このままじゃやられる。


「嫌いよ、みんな!」


 泣きじゃくっている子供のように、フランシスは叫んだ。

 その叫びには、明確な怒りがあった。

 彼女はそのまま、声を荒げる。


「私はただ、パパに天国に連れてって欲しいだけなのに、一緒にいて欲しいだけなのに! 何で取ろうとするの!? 取らないでよ! 私のパパなのに!」


「ふざけてんじゃねえ!」


 すると、イトが彼女に向かって叫んだ。

 フランシスは驚いたのだろう。びくりと体を震わせ、イトの方を見た。


「さっきから聞いてりゃ勝手なことばっか言いやがって! お前が誰にすがろうが知ったこっちゃねえ」


「けどな」イトはそう言った。声が少し、震えていた。



「ハリは、そいつだけは、私のだ!」



 イトは、息が切れそうなほどの大声で、フランシスにそうはっきり、宣言した。

 ……こんな時に、まったくもって変な話ではあるが。

 俺はその言葉を聞いて、何故だか救われたような気分になってしまった。

 数秒だけの、沈黙が流れる。


「……パパ」


 すると、フランシスが、俺の方に振り向いて、呼んだ。

 彼女の顔は、今にも泣きだしそうな、助けを求めているような、そんな表情だった。


「パパ、パパは私と一緒に居たくないの? あの女の人と一緒にどっかへ行っちゃって。また私を独りにするの?」


 それは、質問に見せた懇願だった。行かないでくれと、一緒にいてくれと、言葉の節々から、その思いが如実に伝わってくる。

 俺はこれに、どう返すべきなのだろうか。何もわからないくせに、俺は彼女に口を開く。


「……フランシス、俺……俺は――」


「ハリ、そいつの話を聞くな」


 俺が言い淀んでいると、イトが被せてきた。


「そいつはな、もう手遅れなんだよ。もう、何が怖かったのかもわかってねえ。『天にまします我らが主よ』って言いながら、神様を憎むようになっちまってるんだ」


 彼女はそう言って、負傷した腕をもう片方の手で握りしめて、何とか出血を止めようとしていた。あれじゃもう、銃は使えないだろう。

 フランシスはそれを、ただじっと見つめていた。先程とはうって変わって、微動だにせず、見つめていた。

 ……いや、イトじゃない。

 フランシスは、イトのさらに奥側、教会の入り口を見ている。


「そうだろう? 『レザボア・ハウンド』」


 そこにいたのは、拳銃を構えた、エレーミアだった。

 その銃口は、フランシスを狙っている。


「……お姉さま?」


「フランシス……」


 姉妹たちは、お互いのことを静かに呼んだ。

 フランシスは呆然としたように、エレーミアは覚悟を決めたように、互いを見つめ合っている。


「……ふぅん、お姉さまも、私を殺しに来たのね」


 フランシスは急に、実に淡々とした声色で、そう言った。

 それは明らかな、敵意と、失望の声だった。


「邪魔だったものね、私。ママもお姉さまも一緒、私が嫌いだったものね!」


 エレーミアを見た途端、フランシスは堰を切ったように喋り出した。その口調はさっきとは違って、どこか自虐的だ。

 ……エレーミアは、ただそれを、辛そうな顔をして聞いていた。俺はそれに、何も言えそうにない。


「それで今度は、私からパパまで取ろうって言うんだ! そこの女の人と一緒になって、また私から全部持っていくんだ!」


 彼女の言葉が、段々とちぐはぐなものになってゆく。恐らく、エレーミアを見て、全て思い出してしまったのだろう。

 絶望も、憎悪も、悲痛も、空虚さも、寂しさも、全部。

 ……正直、見ていられなかった。

 彼女が怒声を放つその姿は、泣きじゃくることもできなくなった、子どもの成れの果てなのだ。

 ……どうしてだ?


「ねえ、何とか言ってよ、お姉さま!」


 どうしてこんな小さな女の子に、世界はこんなにもつらく当たるんだ。


「ねえッ!」




「……ごめんね」




「……え?」


 エレーミアの言葉に、フランシスは思わずといったように、声を出す。エレーミアは、そんな彼女に近づきながら、その先を続けた。


「本当は、ずっと謝りたかった。もっとずっと前に、やるべきことだった。なのに……」


 そう言ってエレーミアは、フランシスの目の前にまで近づいた。はっきり言って、それはすごく危ない位置だ。

 なのに、俺もイトも、ただ教会の真ん中に立っている、二人の姉妹を、黙って見ていることしかできなかった。


「ごめんね、フランシス。もっと早く、こうしなきゃいけなった」


 彼女は大粒の涙を流して、涙声になって。



「ごめんね、フランシス。愛してるわ」


 

 そして、フランシスを抱きしめた。


「ッ……!?」


 フランシスは、それにどう対応していいかわからないのだろう。彼女は微動だにせず、されるがままだった。


「……まだ間に合うわ。いっぱい美味しいものを食べて、いっぱい遊んで、フカフカの布団で寝よう、ね?」


 エレーミアはただ静かに、フランシスの背中をポンポンと叩いた。

 きっとこのままいけば、俺やエレーミアが望んでいるような未来が来るのだろう。

 彼女ら姉妹で、マフィアの切り盛りをして、夜の世界を姉妹で駆け抜けて。

 稼いだ金で豪勢な食事を姉妹で食べて。

 フカフカのベッドで寝て。

 時間ができたら二人で遊んで。

 きっとそんな、笑えるような未来が、待っているのだろう。

 ……ああ、神様。


 やはりあなたは、最低だ。




 肉が斬れる、音がした。




「ッ……!?」


 俺は目を見開いた。

 フランシスが、剣を思いっきり、振り上げていた。


 ベチャリと、俺のすぐそばで音がした。

 思わず、音のした方を見る。


 腕があった。

 切断された、拳銃を持ったままの、エレーミアの片腕。

 肩の部分が赤黒く、染まっていた。


「……遅いよ」


 フランシスが、エレーミアを見つめて、泣きながら、静かにそう言った。

 エレーミアが膝をつく、苦痛に染まった顔で、フランシスを見上げている。


「フランシス……!」


「嘘よ、そんなの嘘に決まってる」


 そう言いながら、フランシスは剣を上にあげる、そのまま振り下ろせるような態勢になる。

 ダメだ、チクショウ! このままじゃ……。


「フランシス、待て!」


「だってそれなら、あの時……」


 ダメだ、聞こえてない……。

 イトは動けない、どうする、このままじゃエレーミアが……。

 ダメだ、クソ、そんなの! 何かないか、何か……。


「……!」


 俺の手に、不意に何かが当たった。

 切り落とされたエレーミアの片腕、それが持っていた『もの』。

 こんなモノしかないのか、よりによって、こんなモノしか。


「『あの時』、なんでそう言ってくれなかったの?」


 フランシスはそのまま、剣を振る。


 俺は、『それ』をもって、すかさず彼女に向けた。


「フランシス!」


 俺が呼んだ瞬間。

 フランシスは、手を止めて、俺を見た。

 手を、止めたんだ。


 ……だったのに、それなのに、もう遅い。




 俺は、エレーミアの銃で、彼女を撃った。

 彼女の、左胸を。

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