28.Affecion

「……どうしてそんなこと言うの?」


 フランシスを抱きしめている最中、耳元で震えた声が聞こえた。

 彼女はきっと、俺に失望したのだろう。

 けれど言わなきゃいけないと思った。

 ここで彼女の考えを否定しないのは、彼女に対してあまりに不誠実だと思ってしまったから。


「パパ、私いい子だよ? パパが喜ぶこと、たくさんしてあげられる。なのに愛してくれないの?」


 彼女は今にも泣きそうな声色でそう言う。

 俺は彼女から離れて、その顔を見た。

 声の通りの表情で、彼女の目には涙が溜まっている。

 彼女は口を開く。


「私、パパが言ってくれれば誰だって殺せる、どんな風にだって殺せる。パパが欲しがってるもの、全部あげられるのに、愛してくれないの?」


「フランシス、聞いてくれ……」


 俺が言っても、彼女は言葉の勢いを増してゆく。


「これでだめなら、もっとたくさん色んなことできる! もっとパパにあげれる! ねえ、これなら私のこと愛してくれるでしょ!? ねえ、パパ――」


「フランシス!」


 俺は大きな声で、彼女の名を叫んだ。


「ッ!?」


 すると、彼女はびっくりして、押し黙る。

 少しだけ、気まずい沈黙が流れた。けれどそれは、彼女が俺の言葉に耳を傾けてくれた証左でもある。

 俺はこれ以上怖がらせないよう、声を静かにすることを意識して、言った。


「……フランシス、なあ。そんなこと、しなくたっていいんだ。そんなことしなくても、君に愛情を与えてくれる人が増えるわけじゃないんだ」


「でもこうすれば、みんな愛してくれるって……」


「そんなの愛情じゃない。成功しなきゃ与えられないなんてものが、愛情であっていいはずがないんだ。そんなことしたって、君は救われない」


「……わからないよ。パパの言ってることが、全然わからない」


 フランシスは怯えたような表情でそう言った。

 それもそうかもしれない。俺だって自分で言ったことに、思わず自嘲しそうになった。

 ……君は救われないだと? どの口が言ってるんだ。

 俺が、彼女の考えを否定したいだけじゃないか。

 心のどこかではわかっている。いや、どころか、自分の人生で嫌というほど学んだはずだ。彼女の言う通りなのだ。方法はどうあれ、愛情を得るためには、何かを成さなきゃいけない。それは、身をもって知っていたことのはずだ。

 ただ俺がそれを認めたくないから、彼女に八つ当たり紛いのことをしているだけだ。

 彼女を救おうなんて、あまりにおこがましい。

 俺が救われたいだけじゃないか。


「パパ、パパは私のこと、嫌い?」


 フランシスは不安そうに聞いた。


「……そんなことないよ」


 俺は彼女にそれだけ答えた。

 フランシスは、はっきり言って恐ろしい。

 笑いながらたくさんの人を殺して、『錠剤』なしとは言え、あのリネンでさえも負かした狂人。

 だけれど、自分でも不思議だが、俺はこの子を嫌いになれなかった。

 けれど俺が彼女に向けるそれは、愛情じゃない。きっと、憐憫だ。


「パパ、ねえ。私、お勉強が苦手だから、パパの言ってることがわからないの。大人の人達に教わったことしか知らないから、それ以外は何にもできないの。それでも、パパは私のこと愛してくれる?」


 彼女は縋るように聞いてくる。俺はそれを拒むことができなかった。


「……もちろん、愛せるよ」


 自分の言ってることに寒気が走る。よくもまあそんな上っ面なことが言えるものだ、と。

 酷い話だ、ここで否定すると、自分が信じたいものまで否定されるから、乗っかっているだけだなんて。


「じゃあ、私のお願い、聞いてくれる?」


 フランシスはそう言って、俺の服の裾をつまんだ。


「なんだい?」


「身体を洗ってほしいの。頭からつま先まで、全部」


 それには誘っている様子も、媚びている様子もない。ただ本当に、そう願っているように聞こえた。


「……わかった」


 俺がそう言うと、彼女は微笑んで、俺をバスルームまで引っ張ってゆく。


「大好きよ、パパ」


 彼女はそう言って笑う。

 なぜ彼女は、俺のことを『パパ』と呼ぶのだろう? そんなことを今更ながら思う。

 どうやって俺を知ったかもわからない。

 ただ単に、俺が男で、たまたま見かけたから。案外そんなものだろうか?


「どうしたの? ぼうっとして」


「……何でもないよ、フランシス」


「変なパパ」


 ……ひょっとしたら、何か通じるものを感じたのかもしれない。

 そんな独りよがりな願望めいたことを考えながら、笑う彼女を見た。



 ◇



 フランシスの身体中についた返り血を洗い流して、一体どれだけの時間が経っただろうか。

 シャワーから上がった後、彼女は服を着替えて、俺を引っ張って教会に移動した。


「パパ、開けてみて。きっと気に入るわ」


 彼女はそう言って、俺を教会の扉の前に案内する。

 何やら嫌な予感がする。

 俺はある程度心の準備をして、扉を開く。


「これは……」


 扉を開くと、すえたような腐敗臭が漂ってきた。

 教会の中を見てみる。


 そこには、女性の死体が何体も、まるで儀式のように飾られていた。


「ッ……!」


「ね、素敵でしょ?」


 フランシスは俺の顔を覗き込んで、そう聞いて来た。

 俺はそれになにも答えれず、ただ口を手で覆って、月明りに照らされた、その死体を見た。


(あの服……確か『赤毛のロジー』の……)


 死体となった彼女らが着ていたのは、依然見た、『ママ・ロザリア』の手下が着ていたものと同系統のものに見えた。


「なあ、彼女たちは……?」


「うん、綺麗でしょ? あの人たちがパパのこと教えてくれたの」


 彼女の言葉を聞いて、点と点が繋がった気がした。

 つまり、フランシスは彼女たちを捕まえて――なんでそうしたのかはわからないが――何かしらで彼女たちから、俺の情報を聞いたのだ。

 そう考えていると、彼女は喜々として、あの死体について口を開く。


「だからね、私、パパを教えてくれたあの人たちを、ああやって飾ってあげてるの。ああやって着飾れば、みんな、天国の扉をノックした時、気づいてもらえるのよ?」


 彼女はそう言って、教会の奥へを歩いてゆく。

 カツカツと、彼女が足を動かす度に、硬質な音が教会中に響く。

 そうして、彼女は十字架の前で止まった。

 十字架は、血しぶきでも当たったのか、大部分が真っ黒に染まっていた。


「……パパ、こっちに来て」


 彼女にそう言われ、俺は恐る恐ると、彼女の元へ近づく。

 ステンドグラスから入る月光が、十字架までの道を淡く照らす。

 もし天国への階段があるとしたら、それきっとこんな感じだろう。そう思った。


「私知ってるの」


 俺が彼女の元へ着いた途端、彼女はそう口を開いた。彼女は続ける。


「パパはホントは、私のパパじゃないって」


 彼女は唐突にそんなことを言いだした。なぜ今になってそんなことを話すのか。それがわからないでいると、俺の考えを見透かしているのか、彼女は目を細めて微笑んだ。


「でもそんなの、関係ないの。パパを一目見たとき、この人と一緒なら寂しくなんてないって思ったわ。私のことを愛してくれるって」


「……フランシス、俺は――」



「だから、私と繋がりましょう、パパ?」



 彼女はそう言って、大きい直剣をすらりと抜いた。



「フラン、シス……?」


 俺が突然のことに困惑していると、彼女は柔かい笑みで、俺を見てくる。


「『契り』を交しましょう、パパ? お互いの愛を永遠にする、とっても素敵な誓い」


「待て、フランシス、何を……」


「この剣で、お互いのお腹を切って、中の『へその緒』で、お互いを結ぶの。そうすれば、私たちはずっと一緒になれるの」


 俺はその言葉を聞いて、戦慄を感じた。

 中のへその緒……ひょっとしなくても、腸のことだろう。一体誰が、彼女にそんな悪趣味なことを教えたのだろうか。いや、そんなことは今問題じゃない。

 問題は、フランシスがそれを本気で信じているということだ。


「パパ、私のお腹、切って?」


 彼女はそう言って、剣を差し出す。でも俺は、それを受け取れない。

 俺は恐怖心で早くなる鼓動を感じながら、彼女の顔を見た。

 ……さっきと変わらない。無邪気で、寂しそうな、子どもの顔だった。


「フランシス、やめよう、こんなこと。こんなことしたって……」


「怖がらないで、パパ、大丈夫……そうだわ、じゃあ私が最初に、パパのお腹を切ってあげる」


 そう言って、彼女は剣の持ち方を順手に戻す。

 ああ、ヤバい。選択肢を間違えたな。

 一回言うことを聞いて、彼女の剣を奪えばよかったじゃないか。

 10秒前の自分を恨んだ。でも、10秒前でももう遅い。


 彼女は、剣を構える。背後の十字架と相まって、まるで断罪人のように見えた。

 ああ、死ぬな。そう思って、俺は思わず目をつぶった。


「天国に行きましょう。パパ」



 すまない、イト……ッ。






 銃声が、突然響いた。






「ッ……!?」


 同時に聞こえたのは、甲高い、金属に当たったような音。

 重い金属が、落ちたような音。

 眼を開くと、振るはずだった剣が床にあって、フランシスは、険しい顔をして、俺の後ろの方、教会の入り口を見ていた。


「誰!?」


 フランシスは、恐らく入り口にいるだろう人物に、そう叫ぶ。

 俺は、ゆっくりと後ろを振り向いてみた。



「一人で死ぬのが嫌なら、カタコンベで首でも吊ってろ、クソガキ」



 そこには、拳銃を持ったイトが、月夜に照らされていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る