27.Francis

 私たちは負傷したリネンと、看病係のラミーを部屋に残して、レイニー岬へと車を走らせていた。

 運転している最中、町を離れるごとに月明りがいやに明るくなってるように感じて、それが何だか、不気味に感じた。


「……フランシスがああなったのは、私のせいなの」


 『レザボア・ハウンド』は静かにそう呟いた。

 余りに重い、後悔の言葉と共に、彼女は続ける。


「貴女達も、私みたいな『獣人』が、普段どんな扱いかは知ってるでしょう?」


「……まあな。で? それがどうしたんだ?」


 私は端的にそう聞いた。それでいいはずだ。彼女だってわざわざ、同情を誘うために話してるわけでもないだろうから。


「……昔の話、私たち姉妹がまだ、ようやく涎掛けを卒業できたくらいの年齢の頃。お母様が、まだ『モンタナ・ファミリー』のボスになっていない時」


 お母様。それが意味するのは十中八九、先代の『レザボア・ハウンド』のことだろう。

 私も人づてに聞いたことがある。酷く珍しい『獣人』のボスで、切れ者だと。

 そして、何よりも冷酷だとも。


「お母様は、野心がとても強い人だった。『獣人』の弱い立場を克服するため、使えるものは何でも使った」


「それが、腹を痛めて産んだ子供でも……話の続きはこんなところかね?」


 ベルが、不意にそんな言葉を口にした。それ聞いた『レザボア・ハウンド』は、獣耳を立て、眼を鋭くして、奴を睨んだ。


「デリカシーのないことを言って申し訳ないが、生憎、貴女の感傷に付き合っている暇もないんだ。要点を言ってくれ」


 ベルの言うことは不遜ではあるが、もっともだとも思った。実際のところ、攫ったフランシスとやらが何を仕掛けてくるかわからないから、こうして聞いてるだけなのだから。


「……ある日、『モンタナ・ファミリー』が資金難に陥った時に、こんな話がお母様の元に舞い込んだの」


 『レザボア・ハウンド』は少し声を震わせて、続ける。


「私かフランシスの、どちらかを『女優』にするっていう話」


 『女優』。その単語を聞いた瞬間、通常意味するそれと違うものであることが、容易にわかった。

 映画やドラマに出る『それ』とは違う。キッズ・ポルノやスナッフ・ビデオに出て、度し難い変態たちを悦ばせる、そんな仕事だ。

 ……なんてことはない、この世界ならよくある。反吐が出るような、そんな話。


「それに、フランシスが選ばれた、と?」


 ベルが言うと、『レザボア・ハウンド』はただ静かに、顔を伏せて首肯した。


「……お母様は、将来私たちのどっちが使えるかで、天秤にかけたのよ。あの子はちょっと不器用で、勉強が苦手で……それだけだったのに」


「つまり、彼女を人柱にして、『モンタナ・ファミリー』は資金難から逃れたわけか。それで、手柄を立てた先代はそれをきっかけに上り詰めていったと、そんなところかね?」


「そうね……あまり言いたくはないけど、概ねそんな話」


 ベルが導き出したあらすじに、彼女はただそう言った。


「……それを考えると、フランシスが『モンタナ・ファミリー』を襲ったのは、復讐のためってことか?」


「いいえ」


 私の問いに、しかし彼女は否定した。彼女はその理由を言うためか、口を開く。


「あの子は、そうすれば私が喜ぶと、本気で思ってるの。残酷な殺し方をすればするほど、それを見た人は喜ぶって。そう、教えられてきたみたいだから」


 その話を聞いて、私は掃きだめの中にいるような気持ちを思い出した。

 まだ10にも満たない子供の時から、変態どもの悦ばせ方を教え込まれ、いつかそれに順応して、壊れてしまう。

 結果出来上がるのは、笑いながら人の皮を剝ぐ化物だ。


「……あの子は、泣きじゃくってお母様に聞いたわ、『私を愛してないの?』って。でも……でもお母様は、『愛してない、私を喜ばせられないなら、愛してもしょうがない』ってッ……!」


 言いながら、彼女は泣いて、自分の肩を抱く。それはきっと、懺悔によるものだろうか。


「その日から、大人たちに連れて行かれる日まで、あの子は繰り返し、見たことも無いお父様の話を私にしたわ。あの人なら私を愛してくれるって。たくさん喜ばせれば、私を愛してくれるって」


「……それで、さっき言ってた『契り』ってのもそれと関係あんのか? ハリに何をやらせようってんだ、そいつは?」


 そう聞くと、彼女は少しだけ間をおいて、自分を落ち着かせてから、涙をぬぐって口を開いた。


「あの子は、きっと、彼に自分を殺させるつもりよ」


「……なんで?」


 後ろの席にいるルーラの問いに、彼女は静かに答えた。


「それも大人たちに教わったことかもしれないわね。殺せば殺すほど、自分を愛してくれるようになる。そして最後に殺されれば、その人は永遠に自分を見てくれるようになるって……」


「私のせいよ……」彼女はそう呟いた。


「私が抱きしめなくちゃいけなかった……私は貴方を愛してるって、そう言わなきゃいけなかった……お母様が怖くて、結局私も、貴女にきつく当たってしまった」

 


「ごめんね」と、彼女は何度も繰り返す。いつの間にか大粒の涙をこぼしていた。

 それはこの車の中にいる誰に対してのものでもない。

 壊れてしまった、実の妹に向けた言葉だろう。


 ……無事か、ハリ?

 お前なら、こんな時なんて言えばいいか、わかるんじゃないか?

 もしそうなら、教えてくれ。あの日私を、救ってくれた時みたいに。




 ◇





 『モンタナ・ファミリー』襲撃からおよそ1時間も経っていない頃。俺は、フランシスが殺した連中から盗んだ車に乗せられ、その運転役をやっていた。

 助手席に乗る、道順を指示する彼女への恐怖心と、慣れない左ハンドルで精神を疲弊させて、早40分くらい。


「あそこよ、パパ!」


 陽気な声を上げて、彼女は前に映る教会を指さす。


「……パパ、この辺で停めて」


「……なんでだい? 教会にはまだ距離があるよ?」


「その前にやらなくちゃいけないことがあるの。いいから!」


 駄々をこねる子供のように、彼女は俺にそう言ってきた。何を企んでいるのかは知れないが、下手に逆らっても良くない方向に転ぶだけだろう。そう考えて、車を道の端に寄せて、砂利の上に停車させた。


「こっちよ、パパ」


 フランシスはそう言って、車から降りる。俺もそれに従って、車の外に出てみる。

 月がいやに明るかった。だからだろう、遠くの方に見える海が、やたらを綺麗に見える。それを背景にした、古い教会が、まるで灯台のように岸の上に建っていた。

 反対側を見てみると、もはや使われていないような古い住宅が2、3件ある程度で、あとはただただ、広い平原が続いている。

 『スティーブン・キング』の小説に出てきそうな、恐ろしいほど、静謐せいひつなロケーションだった。


「何してるの、パパ? 早く来て!」


 景色に見惚れていると、いつの間にやらフランシスが俺の手を引っ張っていた。


「あ、ああ、すまない。行こう」


 俺は差し出された彼女の手を握る。すると彼女は目を細めて、住宅がある平原の方へと、俺を引っ張っていった。


「何をするつもりなんだい?」


「私、ずっとやりたかったことがあるの。パパが天国から来てくれた時に、ずっと一緒にやりたかったこと」


「……それは?」


 『天国から来てくれた』。そのワードに俺は違和感を感じつつも、その疑問を投げた。

 それに彼女は答えず、ただ満面の笑みを見せただけだった。




 ――フランシスが案内した、平原にある小さい家の中に入ると、当然ながらそこは、誰も使っていない廃屋だった。

 電気も点いてないが、今夜は月明かりがあるおかげで、どこに何があるか

はっきりわかる程度には明るかった。

 いや、誰も使っていないというのは語弊があっただろう。ボロボロのベッドやテーブルにそれほど埃が溜まっていないのを見るに、フランシスは普段ここで生活しているのだろうことが見て取れた。


「パパ、ほら、こっちこっち」


 そういって彼女は、部屋の奥へを俺を誘う。


「ああ、今行くよ」


 何をされるかわかったものではないが、ここまで来て逃げられるはずもない。観念して、俺は彼女がいる場所に足を進めた。


「……それで、何を?」


 辺りを見てみる。その部屋の中で見つけたのは、シャンプーと石鹼、そして、簡素でボロボロな湯船だった。

 ああ、ここは風呂場か。

 そう思っていると、フランシスは俺を見て微笑んだ。


「……パパ、見て?」


 彼女はそう言うと、いきなりブラウスのボタンを外し始めた。


「お、おいなにを――」


「いいから」


 俺の戸惑いも構わず、彼女は粛々と服を脱いでいく。

 ブラウスのボタンを全て外し、彼女はスカートを下に降ろす。

 俺は思わず目を逸らした。けれどその間も、布が擦れる音と、落ちる音が続く。


「……ダメ、ちゃんと見て」


 どこか悪戯っ子のような、そんなからかうようなトーンで、彼女は言った。

 布の音はもう聞こえない。全て脱ぎ終えたのだろう。

 俺はゆっくりと、彼女の方に視線を戻す。

 フランシスの身体を見た。


 一糸まとわぬ彼女の身体には。

 信じたくないほど。



 おぞましい、『悪意の手術痕』が在った。



「ッ……!?」


 俺はそれを見て、思わず目を見開いた。

 フランシスは、そんな俺を見ながら、尚も微笑んでいる。


「フフ……パパは男の人だから。男の人は『これ』で喜んでくれるって。昔、大人の人が言ってて、それで、やってくれたの」


 少し照れくさそうな顔をして、フランシスは『それ』を見せつける。

 『それ』は、あまりに異常で、彼女の全てを踏みにじったかのような、吐き気を催すような、グロテスクとすら形容できない『手術痕』。


 ……何なんだ、これは?

 フランシスは大人たちと言った。『それ』の処置をしてくれた人がいたと。

 そいつらは何を思って、この子にこんな残酷な仕打ちをしたんだ?

 こんなこと、人間にすることじゃない。

 なんでここまでする? なんでここまでできる?


「パパ、喜んでくれた?」


 なんでこの子は、ここまでのことをされて、笑っていられるんだ?


「フランシス、それは……」


「パパ」


 俺が言うことを遮って、彼女は俺を呼んだ。

 すると、彼女は太陽のような笑みを見せた。



「きっと『これ』で、パパも私を愛してくれる。パパ、私、パパに愛してもらえるようになったの」


 

 ……ああ、そうか。

 さっきから感じていた、彼女への恐怖と、違和感。その正体が、何となくだがわかった気がする。

 彼女の本心が、垣間見えた気がした。


「フランシス」


 俺は何とか気を持ち直して、彼女の名を呼んだ。

 身をかがめて、フランシスと目線を合わせた。彼女は、きょとんとした顔をして、俺を見つめる。


「……どうしたの、パパ? 悲しそうなお顔してる」


 なんでだと思う、フランシス?

 きっとそれを今言っても、君は理解してくれないだろう。

 でも、これは言わなきゃいけないと思った。



「君が何をしても、しなくても、君を愛することとは、何も関係ないんだ」



 そう言って、俺は彼女を抱きしめた。

 そうしなければ、いけない気がした。

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