26.Jane

「……なあ、ベル。なんか面白い話、無いか?」


 夜の8時半ごろだと思う。ハリとリネンを見送って2時間以上が経った現在。ホテルに残された私たちは……まあ、有体に言って暇だった。


「……こんな話がある」


 ベルはそう言って、読んでいたらしい小難しそうな本を閉じて、私の方を見た。どうやら付き合ってくれるようだ。


「あるところに、空から降ってくるワニを自分のイチモツで突き殺す男がいたんだが――」


「悪い、やっぱ黙っててくれ」


 言っておいてなんだが、やはりベルにジョークなんて求めるべきじゃなかったと痛感した。なんだその話? 冒頭から情報量が多すぎる。


「なんだね、イト? ハリくんがいなくて寂しいのはわかるが、私に八つ当たりをするのはやめたまえよ」


「……いや、ちげぇし。適当なこと言うんじゃねえよ」


 ベルがあんまりにも見当違いなことを言うもので、私は思わずため息が出た。10やそこらのガキじゃあるまいし、アイツが数時間出掛けてったくらいで、いちいち寂しがるわけないだろうが。

 ……にしても遅いなあ、ハリ。


「ハリくん、大丈夫かなあ……」


 ルーラが間延びした声で、ハリの安否を心配する。


「大丈夫っしょ、リネンもいるしぃ」


 ソファに寝っ転がっていたラミーが、顔だけ向けてそう答えた。個人的に言えば、リネンがいるからこそ不安なところがあるわけだが。

 ……寝るのどうのという不穏なことも言っていたわけだしな。


「あーぁ、にしてもついに、リネンも男の味を知っちゃうわけかぁ」


 途端、ずいぶんと聞きたくもなかった話題が、ラミーから発せられる。私とルーラは思わず奴の方に顔を向けた。

 ルーラがだいぶ焦ったような顔をしている。多分、私もだろう。


「ッ……や、やっぱそうなっちゃうのかな?」


 ルーラがそう聞くと、ラミーは何か悪いことでも思いついたようなニヤケ面をして、口を開いた。


「そりゃぁそうでしょ。まさか、ホントに寝るだけで済ますと思ってんの? 黒髪くんとやれるせっかくのチャンスなんだよ?」


「……でも、リネンだぜ? あいつそういうのに興味ないんじゃねえの?」


「アッハッハ!」


 私の言葉を聞いた途端、ラミーはカラカラと笑い出した。


「んなわけないじゃぁん。あの子実はめっちゃくちゃムッツリなんだから」


「……マジで?」


 ムッツリ? あのリネンが? そんな感じ、おくびにも出していた記憶はないけど……。


「あんな性格だから、オープンにできないだけだって。私、あの子が駅の端っこのロッカーに、えっぐいエロ本隠してんの知ってんだから、それも何十冊も」


「え、エグイって、どんな? どんな!?」


 私が知りたくもなかった事実に閉口している隙に、ルーラはラミーに顔を近づけて、話の詳細を促していた。

 ……なんか、目が爛々らんらんとしてないか、アイツ? あのラミーが若干引いてるぞ。


「あー……うーん、本の内容はねー――」


 ラミーが本の内容を話そうとした。


 ――が、それが語られる前に、ノックの音が、部屋に響いた。

 2回、3回、1回。

 それは、私たちで決めた、身内を示す合言葉代わりのリズムだ。

 これが聞こえたということは、ハリとリネンが帰って来たということになる。


「……答えは本人に聞いてみたまえ。その方が確実だろう?」


 まるで地獄のような提案をして、ベルは玄関へと向かう。私はそれに呆れはしたものの、特に何も言うことはなかった。

 私も彼女についていこうとしたが、何故かハリとリネンが一緒にいるところを見たくなくて、やめた。……『本当に寝たのか?』なんて、聞きたくもないことを聞いてしまいそうだから、なんて理由も、ちょっとだけある。

 ベルはドアスコープを除いた。

 ……何故だか、少しだけ間があって。

 そして彼女は慌てたようにドアを開けた。


「……説明してもらえるかな、『レザボア・ハウンド』?」


 それは、少なくとも今の状況じゃ絶対に聞くことのないだろう名前だった。

 思わずソファから立って、玄関の方を見る。


 そこには、肩を負傷したリネンと、それを支える『レザボア・ハウンド』という、実にミスマッチな光景があった。


「なんッ……リネン!?」


 それを見たラミーが、大慌てでリネンの方に駆け寄った。リネンの表情は、苦しそうだった。


「リネン、大丈夫? 怪我したの?」


「安心して、止血は済んでる。命に別状はないわ」


 そばにいる『レザボア・ハウンド』はそう言って、ラミーを宥める。

 彼女はリネンを支えながら、リビングへとゆっくり入っていった。


「頑張りなさい、もうすぐよ。ほら、ここに寝なさい」


「うぅ……」


 リネンはうめき声を上げながら、ソファに寝かされた。


「リネン……」


「すまんが、どいてくれ、肩を見たい」


 ベルは不安そうなラミーにそう言って、リネンに近づく。


「貴女、お医者様?」


 『レザボア・ハウンド』がそう尋ねた。


「内科医だがね。素人よりはマシだろう」


 つつがなく、けれど焦燥感のあるそんな会話が流れていると、リネンが私に向かって、口を開いた。


「クソ、イト。黒髪黒瞳が……」


「……ハリ?」


 そうだ、ハリはどこだ? さっきからどこにも見えない。

 ひどく嫌な予感がした。そのせいか、私はつい、リネンに対して強い語気が出てしまった。


「おい、ハリはどこだよ。一緒じゃないのか!?」


「……連れ去られた。剣を持った、イカれた『獣人』の女にだ」


「ッ……クソ!」


 私は思い切り壁をぶん殴った。

 ……チクショウ、私のせいだ。

 なんで目を離した? なんでアイツを誰かに任せきりになんかした?

 ハリが狙われているのは、わかり切っていたことなのに……!


「……すまない」


 リネンは静かに、私に向けたそう言った。

 コイツが謝罪の言葉を口にするなんて初めてだ。普段なら悪態のひとつでもついてやるところだが、今の私にそんな余裕はなかった。


「……お前は休んでろ、あとは私がやる」


 私はリネンにそれだけ言って、玄関へ出た。


「え……ち、ちょっと待ってよイト! 何しに行く気さ!」


「ハリを探すに決まってんだろ!」


「ちょっとちょっと、落ち着きなって!」


 ルーラの抑止を聞く余裕もない。私はそのまま、玄関のドアに手をかけた。


「待ちなさい」


 すると、不意にドアを開けようとしたものとは反対側の手を掴まれた。振り向くと、『レザボア・ハウンド』が、私にそう言ってきたのがわかった。


「……邪魔すんな」


「どうするつもりなの? 誰がどこに連れてったのかもわかっていないでしょうが」


「うるせえ! ハリが待ってんだ! いいからどけ――」


「頭を冷やしなさいと言ってるの!」


 『レザボア・ハウンド』は叫んだ。その小柄な体躯からは想像もできないような、まさに鶴の一声というに似合うもので、不覚にも、私はそれに固まってしまった。


「……中に入って、あの男の人が心配なのはわかるけど、場所がわからなきゃどうしようもないでしょ?」


 彼女は先程とは対照的に、私を真っ直ぐ見て、静かにそう言った。


「……誰がやったんだ?」


 そう聞くと、彼女は無言で、部屋に戻るよう促した。

 ……頭が冷えた私は、それに今更逆らう道理もなく、素直にリビングへと戻ることにした。




 ――私は壁にもたれかかっていた。冷静にはなったが、椅子に座ってられるほど落ち着くこともできなかったから。

 ルーラも座ってこそいるものの、そわそわと落ち着きがない動きをしている。ラミーは、ベルの治療を受けているリネンのそばに座って、彼女を心配そうな目で見ていた。

 全員に共通するのは、目の前に座っている『レザボア・ハウンド』を意識しているということだ。


「……犯人は、恐らく教会に行ったわ」


 彼女は静かにそう言った。

 『恐らく』という副詞をつけてはいるものの、その口調には何か、確信めいたものがあった。


「……なんでわかる?」


「私が、聞いたからだ……」


 私が質問すると、『レザボア・ハウンド』ではなく、リネンが弱々しく答えた。


「リネン、大丈夫……?」


「平気だ、ラミー……奴が黒髪黒瞳を連れ去る時、言っていたんだ。『一緒に教会に行こう』と」


「確かか?」


「間違いない。ブラフを吐いてる様子でもなかった」


 なるほど、犯人直々と来たか。自分から場所のヒントを言っている辺り、あんまり計画的な奴とは言えなさそうだ。


「……でもさ、教会ったって範囲が広すぎない? この『ウィンストン・ヒルズ』にだって、そこら中にあるじゃん」


 ルーラがそう言いだしたが、私もそれはもっともだと思う。手分けして探したとしても、しらみつぶしにやるには、あまりにも数が多すぎる。


「……そもそも、なんで教会なんかに行ったんだ?」


 ルーラが聞いた場所whereに加えて、私はそいつの目的whyを、『レザボア・ハウンド』に聞いた。


「ッ……」


 ……すると彼女は、何故か、酷くつらそうな顔をした。

 何か、言い淀んでいるようだった。

 少しだけの静寂があって。

 ただ静かに、彼女は口を開いた。


「……場所は、もう誰もいない田舎町。『ウィンストン・ヒルズ』から30km先にある、『レイニー岬』の廃教会」


「……なんでわかる?」


 私がそう聞くと、彼女は何故か、酷く哀しそうな目をした。


「あの子は……」


 そう言った彼女は、何かを、憐れんでいるかのようだった。

 彼女は続ける。


「『契り』を交そうとしている。あの男の人と、繋がりたがっているから」


「……どういう意味だ?」


 言葉の意図がわからず聞くと、彼女は何かを思い出しているような、遠い目をしていた。

 それは悔恨か懺悔かは、わからないが。


「きっと、これは罰ね。あの子が私に科した罰……」


「……そいつを、知ってるのか?」


 『あの子』と、先程から彼女はそう言ってる。それが気になって私はそう聞いてみた。

 それに対して、彼女は少しだけの涙声で、答えた。


「……名前は『フランシス』。私の妹、この世でたった一人の家族」


 彼女の頬に、細く、涙が伝った。



「父親を、愛情を欲しがっていた。私のせいよ」

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