25.Bill
――ああ、コイツはヤバい奴だ。
剣を持った、エレーミアさんとよく似た少女が部屋に入ってきたとき、俺は真っ先にそう思った。
血塗れとなったブラウスとスカート。それに不釣り合いな、無垢を感じるあどけない顔つき。右手に持った、真っ赤に染まった剣には、何やら
狂人だ。出会って1分も経ってないが、それと決めつけるには十分すぎる判断材料だと思う。
……そこまで思考が回っているはずなのに、何故か体は金縛りにあったみたいに、一歩も動けなかった。
「……フフ、パパどうしたの? 怖い顔して」
彼女はクスクスと笑いながら、腸付きの剣を引きずり、こちら近づいてくる。
1歩、2歩、3歩。
ゆっくり、ゆっくりと、俺の眼をしっかりと捉えて、まるで待ちわびたかのような表情で、ズルズルと、剣を引きずっている。
ベチャリ。
剣に巻き付いた腸が、床に落ちた。
「……だぁれ? その女の人?」
彼女の瞳孔が、一気に開いた。
そのまま剣を、振り上げる。
「ッ! どけ、黒髪!」
「グェッ!?」
リネンが、急に俺を押しのけた。俺は拍子に床に転んで、それでようやく、金縛りが解けた。
彼女が布団から飛ぶ。
ドン、と、重く鈍い音。
リネンが、少女を力の限り蹴り飛ばした。
少女がよろめく、けれど、大したダメージはなかったのだろう。剣は握ったままだった。
「おい黒髪黒瞳! 何なんだアイツは!?」
「クッソ……お前ら以外の知り合いなんざいねえよ!」
「じゃあ誰なんだよ、お前のことパパだとか言ってたぞ!」
「あんなデカい娘がいる歳か、俺が!」
いかん、リネンとこんな言い合いをしている場合じゃないだろ。兎にも角にもまず逃げなきゃ。
……ああ、クソッタレ、そうだよ。入り口の前にあの女の子が立っているんじゃないか。どうすりゃいいんだ。
「……パパぁ」
いやに間延びした、甘えたような、緊張感のない声。それが今の状況には、酷く恐ろしいものに聞こえた。
俺は少女を見た。
エレーミアさんによく似た顔立ちが、そこにあった。
けれど、その年齢以上に幼く見える表情は、似ても似つかない。
眼でわかる。
この子はヤバい。本能が、そう訴えかけてきた。
「……なんだ君は、ママ・ロザリアの手先か?」
俺はよろよろと立ち上がってそう聞くと、少女はキョトンとした顔を作って、小首をかしげてみせた。
「何言ってるの? 私はフランシスだよ? 私、パパを迎えに来たんだから」
……どういうことだ? さっきから俺のことパパ、パパって。
少なくとも、あの赤毛のロジーの手下ではないみたいだ。だからこそわからない。
俺の存在をどこで知ったのか、どうやって俺たちの居場所を割ったのか。
わからない、フランシスと名乗る彼女は、得体が知れなさすぎる。
「……おいクソガキ」
そうしていると、リネンが俺とフランシスの間に立ち、ドスの効いた声を彼女に向ける。
「その男にこれ以上近づいてみろ、その目玉抉り取って――」
「……ましないで」
「あ?」
「邪魔しないで」
一瞬。
コンマ1秒のその間。
その声と共に、フランシスはリネンに思い切り『突進』した。
轟音。
衝撃。
彼女の直剣が。
リネンの肩を貫いた。
「ッ……が!?」
「リネン!」
リネンがうめき声をあげる。直後、彼女の服の、剣に貫かれた部分が赤黒く染まり出した。
フランシスはそんなことを気にする様子もなく、無造作に剣を抜く。
「アグッ……!」
その痛みに悲痛な声を上げて、リネンは力なく膝をついた。
それを見て、フランシスは酷く冷たい目を、リネンに向ける。
「ねえ、誰なの貴女? さっきから私とパパの邪魔ばっかり。貴女、悪い女の人?」
彼女はそう言いながら、剣の持ち方を逆手へと変える。切っ先を、リネンの顔に向けて。
フランシスは大きく振りかぶった。
「クソッ……」
リネンは、動けない。
「貴女、私のママみたい。私、ママ嫌いなの」
それは酷く温度のない声だった。
ダメだ、チクショウ、マズイ!
「待て、フランシス!」
俺はとっさに、彼女の名を呼んだ。すると彼女は、その瞳孔が開いた目をこちらに向ける。
その目は、今まで見たことのないような眼だった。ぞっとするほど澄んでいる、狂気を含むような、銀色の瞳。それは異様な圧があって、思わずたじろぎそうになる。
――が、そんな俺の心中とは対照的に、彼女は天真爛漫な笑みを俺に向けた。
「パパ! 私のこと、名前で呼んでくれた!」
フランシスはそう言うと、剣を持った手を降ろして、俺にトテトテと近づいて来た。
さっきリネンとの会話からは想像もできないくらい、それは明るい口調だった。それこそ、親に甘える子供のような、無邪気ささえ感じさせる、そんな声。
「嬉しい! 私、名前を呼んでもらったの、お姉さま以外では初めて! ねえ、もう一回読んで!」
……わからない。
なんなんだこの子は? 何が目的なんだ?
今まで、俺を狙った来た奴は、その目的がはっきりしていた。あの『赤毛のロジー』でさえ、俺を狙う理由は、酷くわかりやすいものだった。
だが、彼女は、フランシスは違う。全く持って得体が知れない。
だからこそ、何をするか全く予想ができない。
「……もちろんだよ、フランシス」
自分の恐怖心を何とか抑えて、俺はなるべく、彼女を刺激しないような声を出すことに努めた。
「……! ずっと待ってた。私、今幸せよ、パパ……!」
妙にちぐはぐな気がする、その言葉。
それを言うとフランシスは剣を背中の鞘に収め、俺を抱きしめた。
彼女の顔が、俺の胸にうずくまる。ひとまずは、下手に逆らわない方が良いだろう。俺はそう思い、されるがままに、彼女の抱擁を受け入れた。それは意外と弱く、先程まで直剣を振っていたとは思えないくらい、その華奢な身体に相応な力だった。
「……ねえパパ、私見せたいものがあるの」
フランシスはうずくまった顔を俺に向けて、笑ってそんなことを言いだした。
「ああ、なんだい?」
そう聞くと、彼女は「フフ……」とはにかみ、心底楽しそうな顔をしてみせる。
「あのね、ここじゃダメ。一緒に教会に来て。いいでしょ?」
……是非『嫌だ』と言いたいところだが、それを言ってしまったら最後、俺もリネンも切り殺される可能性は高い。
俺だけならともかく、リネンの命もかかってる以上、選択肢はないだろう。俺はなるべく、彼女に思考を気取られないよう、やわらかい声で答えた。
「あ、ああ、もちろんいいとも」
「ほんとう!? じゃあ、早速行きましょう!」
そう言って、フランシスは俺の手を取り、部屋から出ようと、ドアに近づいた。
その横で、リネンが膝をつき、傷ついた肩を抑えながら、こちらを見ている。そこには酷く悔しそうな表情があった。
「クソ、黒髪……」
ごく小さい声量で、彼女は俺を呼ぶ。
……俺は目の前にいるフランシスを確認する。彼女が俺から目を離すのを見計らって、リネンに向けて、唇の動きだけでこう言った。
――イトたちに、救援を――
「ッ……!」
リネンは俺の意図に気づいたようで、小さく頷いた。どうにか伝わったようだ。
俺はそのままフランシスに手を引っ張られ、部屋を出た。
「……チクショウ」
後ろから、リネンのそんな声が聞こえた気がした。
――部屋から出る。その瞬間、辺りは酷く、生臭い匂いに包まれていた。
「……ねえ、パパ。これぜぇんぶ、私一人でやったの。凄いでしょ?」
フランシスは照れくさそうにそう言った。
目の前にあったのは、死体の絨毯。
切り殺された者。
刺し殺された者。
頭を潰し殺された者。
その中には、さっき俺たちを案内してくれた、門番もいた。
「ッ……!」
「ねえ、凄いでしょ、私。ね?」
「……ああ、そうだな」
気絶してしまえばどんなに楽だろうか。けれどそれもできない。俺は何とか踏ん張って、フランシスが望んでいるであろうレスポンスを返す。
すると彼女は満面の笑みで返し、満足したとばかりに歩を進める。俺の手をしっかりと繋いで、実にご機嫌に、血と臓物を踏み潰していった。
(……生きて帰れよ、リネン)
俺はその手を振り払うこともできず、ただ無力に、怪我をした彼女の無事を、祈るしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます