24.Kill

 言った瞬間、俺は『しまった』と思った。が、今更どうしようもない。脳裏にこのワードがよぎった場合というのは、往々にして手遅れな時だけだ。

 目の前にいる『レザボア・ハウンド』、『モンタナ・ファミリー』の女ボスと思われる、中学生……下手すれば小学生に見えるくらいの女の子を前に、俺は思い切り『子供』という単語をはっきり口に出してしまった。

 相手の機嫌を損ねるには十分な効果があったようで、現に目の前にいる彼女は、狐の耳らしきものを――そもそも耳なのか疑問だが――ピクピクと動かし、その下にはシワのよった眉間と、つり上がった目がついている。

 ……長ったらしくなったが、つまり今の状況を一言で言うと、『やっちまった』だ。


「ええ、えぇ。貴方の言う通り、私はお酒も飲めないお子ちゃまよ。それで、何? こんなミルクの匂いがするロウ・ティーンと寝るのは嫌だって、そう言いたいわけ?」


 やや早口で、拗ねたように『レザボア・ハウンド』は捲し立てる。その姿はまるでぶう垂れた子供そのものだったが、次は間違いなく豚の餌にされてしまいそうなので、流石に俺は口を噤んだ。


「も、申し訳ありません……!」


 リネンは少女に頭を下げながらも、横目で俺を思い切り睨み付けていた。

 何も言われずともわかる。『よくもやってくれたな』という言葉が、彼女の顔だけで嫌というほど伝わって来た。


(チクショウ……だからどんな人なんだって聞いたんじゃねえか)


 リネンの態度に若干腑に落ちない部分もあったが、それでも俺がやらかした不始末なのは確かだ。俺は何も言わず、彼女に倣い少女に深々と頭を下げる。


「申し訳ありません。大変失礼なことを……」


「……顔を上げて」


 『レザボア・ハウンド』は静かに言った。それに逆らう道理なぞあるはずもなく、俺は言う通り下げた頭を上げ、彼女を見る。


 先程も述べた通り、小柄で、華奢な印象を持たせる。まだあどけなさが多分に残っている少女が、不釣り合いなほど大きな椅子に座っていた。

 亜麻色のミディアム・ヘアの上に乗っかっている、哺乳獣類を思わせる、大きくとんがった耳が目を引く。恐らくは、あれがリネンの言っていた『獣人』と呼ばれるもの。『見ればわかる』と言っていた、その大きな特徴なのだろう。


 彼女は、不機嫌な顔をしたまま、じろじろと俺を、まるで品定めでもするように見てきた。

 脚、腰、腕。下から順に、彼女は俺の全身をチェックする。


「……へ、へぇ」


 小さく、『レザボア・ハウンド』はそんな声を漏らす。その顔は先程の不機嫌な表情が崩れつつあり、代わりになにやら、緊張した顔色へと変わっているように見えた。

 そんな表情のまま、彼女の目線は胴から、首。そして、顔へ。

 彼女の眼が、俺の眼を捉える。

 思い切り、目が合った。


「ッ……!」


 が、その瞬間、彼女は目を見開き、固まってしまう。それはなにやら、ある種の衝撃に駆られたようだった。

 ……確証は持てないが、恐らくは、お気に召してもらえたのだろうか?

 そんな不安が頭を悩ませていると、『レザボア・ハウンド』は咳ばらいをした。


「ふ、ふん、まあいいわ。『お土産』を持ってきてくれたリネンに免じて、今回だけはその非礼、許したげる」


 少々似合わない大ぶりの動作でふんぞり返って、彼女は許しの言葉を口にしてくれた。

 俺は内心で胸をなでおろす。どうやらそれはリネンも同じようで、横目で見ると、そこには安堵の表情が見て取れた。


「ありがとうございます、ボス。何とお礼を言えばいいか……」


「エレーミアよ、これからはそう呼びなさい。『モンタナ・ファミリー』にようこそ、貴女の仲間共々、歓迎するわ」


 『レザボア・ハウンド』……改めエレーミアは、得意げな笑顔で、俺たちにそう言い放った。

 少なくとも、今のところは豚の餌にされずに済みそうだ。

 ……ともあれ、気が抜けはしない。ここから先が、俺にとっての本番だ。


「……それで、その、リネン?」


「はい?」


「ど、『毒見』の方を、早速やってもらっていいかしら?」


 エレーミアからその台詞を聞いた途端、リネンはピシりと、石になったように固まった。ひょっとしなくても、毒見のことを完全に忘れてたんだろう。

 ……一緒に行動して分かったことなのだが、彼女はその……戦闘以外では、少々抜けている部分が目立つきらいがあった。良い言い方だと天然となるだろう。案外、ラミー辺りがその部分をフォローしていたのかもしれない。合わなそうに見えて、結構いいコンビだったみたいだ。

 ……と、そんなことを考えている場合でもなく、エレーミアはどこか照れた表情をしながらも、どんどん話を進めている。


「部屋は別に用意したわ。テープ・レコーダがあるから、それで、その……撮ってきてもらえる?」


「ろ、録画するんですかァ!?」


「あ、当たり前じゃない! 直接見張らないだけ温情だと思いなさい!」


 もはや先程までの張りつめた空気はないが、今度は別の意味で居心地が悪い。

 どうやらエレーミア自身、色事に関しては年相応のようらしい。ここだけ切り取ると、普段ククリを振り回したり、ギャングのボスだったりが信じられないくらい、彼女らが、色めきだっている普通の女の子に見えた。


(……ていうかこれ、どこまでやるべきなんだ?)


 リネンが言ってた通り、『寝るだけ』なら楽なんだけど。そう思いながら、俺はことの成り行きを見守るしかなかった。





 ◇





 ――そこから部屋に移動するまでは、特に語るべきところもない。用意された、やや大きめのベッドがある部屋に案内され、リネンと2人きりで、そのベッドに座っていた。

 憂慮すべきは、かれこれその状況が10分以上続いているということだろう。


「……なあ、リネン」


「なん!? な、なんだ!?」


 それだけで、いつもの切れたナイフのような性格は見る影もなく、非常に緊張しておられるのが見て取れた。


「何にそんな焦ってんだよ。アンタらに取っちゃぁ男なんてただの道具なんだろう? 道具相手にテンパってどうすんだよ」


「う、うるさい! 逆になんでお前はそんなに余裕なんだ!」


「余裕ってこたぁないけど……まあ、『昔の仕事』で慣れてんだよ」


「お、お前……普段からこんなことしてるのか?」


 しかし、こんなに慌てふためくくらいなら、なんで自分から『寝る』だなんて言い出したんだろうか。

 まあ、どうにしろ、このままでは埒が明かない。俺はそう思い、まずは適当に話をして、リネンを落ち着かせることにした。

 ちょうど、聞きたいこともあったわけだし。


「なあリネン、話は変わるんだけどさ。エレーミアさんの、あの耳って……」


「あ? ああ……『獣人』の耳だろう?」


 『獣人』。彼女の口から、再びその名詞が出てくる。結局ここに来るまで聞き出せなかったその単語について、俺は彼女に聞くことにした。


「さっきから聞きたかったんだけど、『獣人』って何なんだ?」


「えぇと、そうだな……『獣人』っていうのは、平たく言うと、人体実験の成れの果てだ」


 ……思っていたより100倍くらいヘビーな言葉が、彼女の口から語られた。もしかしたら、情事の前の会話としては、少々胃もたれするものだったかもしれない。

 俺のそんな考えをよそに、彼女は続ける。


「『錠剤』がない時代のものらしくてな。何百年も前にほとんど消えた男の代わりに、女の身体を強くしようとして、人体改造を行っていたらしい。まあ、『獣人』ってのはその子孫だな」


「……その実験ってのは、成功したのか?」


「……お前、さっきのエレーミア以外、獣人を見たことあるか? 奴らの少なさと、『錠剤』が主流になってる今を見れば、わかるだろ? 差別されたり迫害されたり、浄化だなんだっつって殺されたりで、もうほとんど数も残ってないさ」


 そう言うリネンは、酷く寂しそうな、自嘲したような雰囲気を持っていた。

 差別に迫害。その言葉は何故か、彼女が言うと、妙な重みがあった。彼女にとっても、どこか思うところがあるのかもしれない。

 もしくは、何かしら苦い思い出があるのか。

 ……やはり、情事の前に聞く内容ではなかったようだ。


「悪い、変なこと聞いたな……」


「……いいさ、おかげで落ち着けはした」


 リネンはそう言うと、ベッドから立って、部屋の端にある、備え付けのテープ・レコーダの録画ボタンを押した。配線を辿ると、天井にカメラがある。どうやらあそこで撮るらしい。

 レコーダが動作するのを確認すると、彼女が再びベッドに座る。

 深呼吸をして、俺の方を見た。どうやら、腹を決めたようだ。


「……嫌ならすぐ言えよ?」


「我慢してやるよ」


 彼女はぶっきらぼうにそう言った。彼女に近づくと、そのパールのような瞳が、少し震えているように見えた。

 俺は彼女の頬に触った。




 ギィィ……と、ドアの蝶番がきしむ音。

 それが不意に、後ろから聞こえた。

 気になって後ろを振り向くと、そこにはエレーミアさんがいた。


「……エレーミアさん? どうして?」


 俺が聞いても、彼女は何も反応しない。

 ドアが完全に開く。彼女の全身が見えた。



 彼女は剣を持っていて。

 血まみれで、笑っている。



 エレーミアさん。

 いや違う。



 誰だ?





「やっと見つけた、パパ」





 その女はそう言って。

 こちらを見て、笑った。

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